ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

継続断酒3年 心の軌跡(飲まない生き方のモットー その2)

2016-11-04 09:37:51 | 病状
 継続断酒10ヵ月後にあった “憑きモノ” が落ちた体験、つまり精神的 “底着き体験”(二度目の“底着き”)の後、モットーとしていた言葉を古い順に以下に挙げてみます。

 ● ハイテンションは危ない
 ● 行動に移す
 ● 飲まないでいる方が楽

 “憑きモノ” が落ちた体験の後で私に起きた大きな変化の一つに、些細な異変でもしっかり異常と自覚し始めたということがあります。そのキッカケとなったのは、自助会Alcoholics Anonymous(AA)のミーティングで経験したある出来事でした。その詳細は、初めて本ブログに投稿した「断酒中のハイテンションは危ない!(ドライドランク)」を参照していただくとして、かいつまんで述べると次のようになります。

 そのミーティングでのテーマは「どうやれば(断酒が)うまくいくのか?」でした。手持無沙汰のまま一人でいるとイライラから再飲酒となる危険が高い、それを避けるには頻繁にミーティングに参加し続けるのが一番、と語ったベテランメンバーたちの発言に悉く不満を持ってしまいました。今から考えると至極もっともな内容だったのですが、初心者の自分でも分かり切ったことなのに何を今さら、と内心見下していました。

 その場ですぐに、これはちょっと可笑しいと気づき、事を荒立てずに済みました。それまでは、しばらく経った事後に気づくのが普通だったので、リアルタイムでの反応に驚きました。帰ってすぐにネットで検索し、自信過剰で慢心となっていたこのときの心情が、話に聞いていたドライドランクのせいとはっきり知ることができたのです。この事件(?)を最初の投稿記事とし、その表題をそのままモットーとしたのが上の一番目(通算4番目)“ハイテンションは危ない” です。

 このミーティングの帰り道、突然頭の中がグルグル空回りし始め、胸がひどくザワザワしたことを覚えています。出現した順番はこの順だったように思います。ミーティング中の自信過剰を反芻していたときのことでした。不吉で不穏な、なんとも遣り場のない気持ちになりました。信号待ちしていた時に始まり、横断歩道を渡って間もなく収まったので一過性でした。

 遅発性の離脱症状 ― 急性離脱後症候群(Post Acute Withdrawal Syndrome:PAWS≒ドライドランク)の初期には、情動(感情)の振幅が殊の外大きくなるものと思えて仕方ありません。振り子のように、一方の振れが大きければ、もう一方への反転も大きいという意味です。一方の振れの極点が自信過剰と慢心としたら、反転したもう一方の振れの極点は落胆や後悔ということになるでしょうか。

 振り子が反転して大きく振れ切った極点で出現したのが、頭の中の空回りと胸のザワザワ感だったのだろうと今では考えています。恐らくこのとき、無意識の内に反省し後悔していたのだと思います。後づけですが、頭の中の空回りは動揺がまだ軽い初期段階で、それが酷くなると胸のザワザワ感になるようです。


 当時は「遣り場のない」という言葉が思い出せず、表現すべき適切な言葉が思い付けなかったので、この時の心境を「遣る瀬無さ」と表現しました。(これは明らかに想起障害があることを示しています。)その後、「不吉で不穏」の方がより近い表現と思い直したのですが、依然として「頭が空回り」が抜け落ちたままでした。不穏な気分を催すこの言葉なしでは、何を根拠に「不吉で不穏」なのか不思議に思われたと思います。私の書いたものには「何のコッチャ?」とわけの分からない部分が多いと思いますが、大抵は想起障害のせいにしています。今回釈明できたことで、その一つは解消できたのではないでしょうか?

 ドライドランクをネットの解説で具体的に知ることができた結果、前回述べた継続断酒3ヵ月以降にあった諸々の情動の揺れもドライドランクに特徴的な症状だったことに気づきました。これも後になって気づいたのですが、心当たりがないのに突然感情に大きな動揺があったのはこの時期が最後だったように思います。一度体験してしまうと、その後同様の異変があった場合も敏感に察知できるものです。この体験以降は兆しが察知でき、その理由についても見当が付くようになったのです。

 感情についても同様で、変化の兆しをリアルタイムに自覚することだけで、大きく動揺せずに済むようになれました。振り子の振幅が小さくなったばかりか、意識して無理に行動を変えなくても、無難にやり過ごせるようになったという意味です。

 ドライドランクというものを具体的に初めて知った時と “憑きモノ” が落ちた体験とは、時期的にちょうど被っていました。当初は一方の強烈な印象に押され気味で、もう一方の “憑きモノ” が落ちた体験の影が薄く、その意義を十分理解できていませんでした。ただゝゞ日にちが経つにつれ、断酒を特別意識しなくても飲まないでいる毎日が自然だと思うようになっていました。

 AAにはAA特有の言葉づかいがあることに当初あまり気づいていなかったのですが、前回触れた「断酒」と「飲まない」の意味合いの違いも、体験談でよく出て来る「楽」という言葉のニュアンスも体得できるようになりました。

 これを期に、上の三番目(通算6番目) “飲まないでいる方が楽” もモットーとすることにしました。「楽」には身体が楽の意味もありますが、私の場合は精神的に肩の荷が降りて気楽になった方の意味です。せっかく肩肘を張らないで済むようになったのだから、これをみすみす手放すようではお前はバカ、と自分に言い諭す思いを込めたものです。

 上の二番目(通算5番目)のモットー “行動に移す” は、AAの「アルコホーリクス・アノニマス」のある章の見出しとなっている言葉です。AAの掲げる回復のプログラム『12のステップ』の実践を通じ、回復を目指すよう促した言葉と理解しています。

 繰り返しになりますが、体験談を聞いていると、手持無沙汰から部屋に籠り始めるなどしたら魔が差す危険が大という話が多く、私自身もこれには大いに心当たりがありました。いわゆる “空白の時間” 問題です。毎日通院の実践が絶大な効果を発揮したと実感していましたし、上述した体験談の多さに意を強くし、何らかの活動を毎日通院以外に新たに始めることが通院日数を減らす鍵だと思うに至りました。

 専門クリニックの教育プログラムはすでに5クール以上の受講回数を重ねており、さすがにマンネリを感じていました。“憑きモノ” が落ちた体験後、何かにつけプラス思考になってもいました。それで奮起を促す意味で、AAの “行動に移す” をモットーとして拝借することにしたのです。これは、以前からモットーとしていた “秩序とリズム” への具体的肉付けでもあり、念押しの意味も込めたものです。

 これをモットーとする以前から実践していたことがありました。糖尿病に少しでも良いことをと、通院では自宅から最寄りの駅まで毎日往復1時間歩いていたことです。その途中、ゴミが目障りでどうにも気になってしまうと、手に負えない場合はさておき、吸い殻などはつい素手でも構わず拾ってしまうのがクセになっていました。

 そんな折、教育プログラムに空き時間が出来たこともあり、時間つぶしに専門クリニック近辺を1時間ほど散歩することになったのです。散歩コースは港神戸の観光スポットに当たり、大勢の観光客で賑わうところです。人の行き交うところ、必ず吸い殻などのゴミが散らかっているものです。案の定、間もなくそれが気になりだしました。見過ごすわけにもいかず、いつものクセで素手で拾い始めていました。

 こうして路上のゴミ拾いが始まったのですが、素手で続けていいものか、ゴミ袋をどう調達すべきか、集めたゴミをどう処分すべきかなど、神戸に通院中の身ではなかなか難しいことが分ってきました。特にゴミの処分が大問題で、いっそのこと処分が容易な地元で本格的にやるのが一番と、場所を自宅近辺に変えることに決めたのです。継続断酒1年5ヵ月後から土曜日の通院を止め(週5日通院)、土日の2日間をゴミ拾い専属の日に当てました。

 いよいよ “行動に移す” の本格的な実践、奉仕活動を始めることになりました。何度か試練もありましたが、継続は力なりです。これで週単位の生活サイクルが確立し、“空白の時間” 問題が解消されました。体調も頗る快調になり、活動開始4ヵ月で糖尿病の著しい改善(HbA1c: 7.3%→ 6.8%)もみられました。ゴミ拾いが糖尿病の運動療法に一役買ってくれたのです。

 ゴミ拾いに加え、継続断酒1年3ヵ月後からもう一つ新たに始めたことがありました。AAのミーティングに参加したときには、その日の内にテーマと感想を書き残すことにしたのです。テーマだけなら会場内でメモできるのですが、その他一切のメモ・記録の類は禁じられています。そのため初参加以来、言いっぱなし、聞きっぱなしに加え、忘れっ放しの状態が続いていました。これではもったいないと気が付き、その日与えられたテーマに沿って会場で考えたことは何か、印象に残ったことは何か、を文章にして残すことにしたのです。

 記憶障害を持つ身ですから、思い返せることなど高が知れています。断片的ながらも辛うじて記憶に残っていたものは、それだけ印象が強かったものに違いありません。自分史の連載以外、このブログに投稿した記事の多くは、この記述作業からヒントを得たものです。

 さらに、これらの作業が、記憶機能のリハビリとなったことは間違いありません。週2日あるミーティングの都度、この作業で内省を重ねたことになり、これにブログ原稿の作成作業(週3日以上)も加えると、“言語化” 療法(?)の回数は少なくとも週5回以上となります。その分 “気づき”(自己洞察)の回数も増えたことになり、回復にプラスになったと考えています。

 私は外出する時いつも小さなゴミ袋をポケットに忍ばせています。こうして休日以外でも、目に止まったゴミは即拾うことにしています。また今回の記事も、その時々に実践した記録のお蔭でこのように書くことができています。やると決めて始めたら、すぐクセになってしまう、これも依存症気質のなせる業なのかもしれません。

 “行動に移す” は、踏ん切りがつかずグズグズしているときに打って付けです。まさに、実践向きのモットーです。今に至るまで日々お呪いにしています。
(次回につづく)


断酒中のハイテンションは危ない!(ドライドランク)」(2014.9.06投稿)
自分で始末をつけられる生き方」(2015.8.07投稿)
キッカケと転機」(2016.7.01投稿)もご参照ください。記憶の微妙な違いに気づかれると思います。

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