ヒゲジイのアル中よもやま話

断酒を始めて早7年目。このブログは回復プロセスの記録と脳のリハビリを兼ねて綴っています。やはり、まだチョット変ですかネ?

“身体的底着き”の後から“精神的底着き”も・・・(上)

2015-10-09 22:26:12 | 病状
 “底着き” とは普通、アルコール依存症の専門医療機関を受診せざるを得なくなった頃に経験する過酷で最悪の酒害体験のことを言います。
 “底着き” をしたか否かは、アルコール依存症から回復できるか否かの試金石と捉える向きがあります。アルコール依存症者にとっても、“底着き” を経験したことは断酒を継続するためのお守りみたいなもので、あたかも回復への安心切符と思いたがるものなのです。だから一方で “底着き体験” を経験しているから断酒を継続できたと言う人がいれば、他方では “底着き体験” を経験したと言っていた人がアッケナク再飲酒してしまう例もあります。
 私は、“底着き” には “身体的な底着き” と、情動に係る “精神的な底着き” と二つあるのではないかと考えるに至りました。“底着き” とは何なのか、再び考えてみます。

 体験談を聞いていると、アルコール依存症と診断されたのは、配偶者や親兄弟に付き添われて専門の医療機関を初めて受診した時という人が圧倒的に多数派です。受診することになったキッカケは、酒浸りとなってもはや自分の意志ではどうにもならなくなったため、半ば強制的に連れて来られたというのが大半のようです。かくいう私も同類です。

 くすんで蔭りが見える顔、虚ろな眼、覚束ない足、自力では歩くこともままならない体たらく。これが初診の患者に共通した外見です。身体的には、内臓や下手をすると骨までも文字通りボロボロの状態です。頭の中はというと、自分が何をしているか半分ぐらいしか理解できていない状態で、論理的な思考能力はほぼゼロです。これら外見上の風貌と、身体的・精神的に末期とも思える状態がアルコール依存症者の初診時に共通する姿です。

 自力ではどうにもならないため、「断酒するしか生きられない」と主治医から通告されたとき、私はショックを受けながらも内心ホッとしました。「これで救われたぁ~!」、これが私の偽らざる本音でした。

 不眠(頻回覚醒)などの急性離脱症状で最も苦しい1週間ほどが過ぎると、順調な身体の回復で少しずつ元気が戻ってきました。抗酒剤の助けを借り「とにかく断酒を続けなければならない」と、精神安定剤(ジアゼパム)でボンヤリした頭ながら断酒に懸命に取り組みました。夕食に出された粕汁に酒の臭いがしたため、箸を付けずに済ましたこともありました。

 この頃、専門クリニックの初心者教育プログラムで『底着き体験』という言葉を知りました。ネットで調べると、飲酒はおろか自分自身のことさえコントロールできなくなったことから “アルコールに無力” と降参した心理状態のことだとありました。同時に、回復への第一歩であるともありました。

 初診前の凄まじい酒害体験を経て、やっと辿り着けた気持ちでいた当時の私にとって、“アルコールに無力” の心境は自分に合致するものだと思えました。私はすぐさまこの言葉に飛びつきました。

 『底着き体験』には「酒とは金輪際縁を切る」と “心の底から” 得心するという意味合いもあります。私自身も心の底から(?)生涯断酒で構わないと納得していたはずでしたが、実の所、まだ飲酒への未練が残っていたようなのです。

 専門クリニックの初心者教育プログラムの一コマに、近々起こりうるドライドランク(≒急性離脱後症候群:PAWS)に備えての講義がありました。断酒を始めて3ヵ月以内の患者を対象とし、アンケート形式の教材を使ったものでした。アンケート用紙には、質問項目としてドライドランクに陥った際に想定される心境が30問程度書かれてあり、それらに当てはまる心境の有無を尋ねていました。

 質問項目のひとつに、「もう一生酒を飲めない自分はとても不幸だと思う」というものがありました。他の項目すべてに対し該当セズと答えていましたが、これだけはダメでした。今思うに、まだ酒に未練が残っていて、「酒とは金輪際縁を切る」心構えが万全ではなかったのです。心構えが不十分などとは考えてもいなかったので、この事実を目の当たりにしても、依然として「自分は “底着き” を経験したのだ」と信じようとしていました。

 アルコール依存症の治療は普通3ヵ月間の入院加療です。病院スタッフの監視下ですから、禁酒を文字通り強制されるわけです。3ヵ月間の入院は、身体的健康の回復、高い飲酒欲求の抑制、アルコール依存症の教育、これら3つを目的として必要な処置とされています。ただ、3ヵ月という期間については臨床的経験則という側面が強く、身体的健康の回復以外は科学(医学)的根拠が乏しいようです。

 自助会AAで聞く入院経験者の体験談では、退院した途端、即再飲酒だったというのが圧倒的多数派です。自由のない半強制的隔離状態に不満タラタラだったことが、原因として共通しているようです。体力の回復に退院した解放感も加わって、入院中に受けたアルコール依存症の教育効果など無に帰してしまったのでしょう。私の経験に照らしてみても、3ヵ月間の教育1回では身に付いた知識などほとんどなく、最低2回の受講で6ヵ月の教育期間が必要だったというのが実感です。

 3ヵ月で退院というと、ちょうどドライドランクが始まる時期に当るので、この病的状態に特有の自信過剰の気分から、“アルコールに無力” など上の空となったのかもしれません。恐らく、『底着き体験』と考えていたことも、実質苦い思い出としか残っていなかったのでしょう。それでも本人は “底着き” を経験済みだから、と相も変わらず固く信じたままとは思いますが・・・。

 結局、身体的ダメージが主体の『底着き体験』は、それがどんなに悲惨で酷い身体状態を経験したものであったとしても、体力が回復するにつれ影が薄くなるもののようです。

 これに対し毎日通院ではあまり強制力を感じずに、主体的に断酒に取り組んでいることで再飲酒を堪えられている自信が大きいと思います。毎日通院することで、日常生活の秩序とリズムを自律的に取り戻せることも大きなメリットです。同じ3ヵ月間の加療なら、入院よりも毎日通院の方が自律性を養う意味でも分が良さそうです。

 私の場合も、継続断酒を始めてまる3ヵ月が過ぎた頃には、歩行がしっかりし、肝機能が正常化するなど体調が戻ってきました。あたかも拷問のようだった読書が難なく出来るようになりました。酒害体験を記録しておくため、症状ごとに詳しく叙述することも始めていました。

 心理状態はと言えば、一方で明鏡止水とでもいうべき穏やかな心境が訪れるかと思えば、他方では気分が妙に浮つき、こともあろうにクリニックの医療スタッフに恋心を抱くなど(恋したくなるのも無理のない愛想のよい医療スタッフでしたから・・・)、今から考えると微妙な状態にありました。妙に浮ついた恋心に違和感があり、一応は精神障害者の身なのだからとも考え、「懸想するなど軽率であるまじきこと」と意識的に距離を置くようにしました。

 今となっては、医療スタッフへの懸想はドライドランクによるものだったと断言できます。断酒後に現れる情動不安定な状態は、渦中にあるときはそれと自覚できないもので、過ぎた後になって初めて自覚できるものなのです。

 ところが、断酒継続中のこんな状況でか、こんな状況だからこそか、性的なものへの強迫観念(妄想)に火が着き、強いストレスとなってしまいました。それでネットで手軽に見られるAV動画に耽るハメになったのです。自室でパソコンの電源を入れ、着信メールの確認を済ますと、すぐAV動画サイトにアクセスです。AV動画を観ないことには気分がむしゃくしゃし、もうどうにも治まらなくなっていました。
(次回につづく)



「私の底着き体験・断酒の原点」も併せてお読みください。
 http://blog.goo.ne.jp/19510204/e/b398995e4348d76c198f521a06c83f42

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