TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

我が青春の山<多良岳・経ヶ岳>

2020-09-20 08:14:00 | 山行
私が本格的に山登りを始めたのは大学時代からです。

大学のサークルで山に登るのは、山岳部とワンダーフォーゲル部があり、どちらにするか迷いました。

山一筋の山岳部に対し、ワンダーフォーゲル部は山歩きもあればサイクリングもできて、やろうと思えばウォーキングやサバイバルもできるとの触れ込みでした。

結局、活動の自由度が高いワンダーフォーゲルを選び、私の青春時代は山登りを中心にサイクリングやウォーキング、サバイバルなども経験することができました。


では、私が覚えている範囲で初めてキャンプをして最初に登った山と言えば、それは小学6年の時の「多良岳・経ヶ岳」。

もう50年も前のことですから記憶も曖昧です…

ただ、当時はオバケが出るという噂があった奥平谷キャンプ場にドキドキしながら1泊し、キツイ思いをして山道を歩いた記憶だけが残っています。

もちろん夕飯はカレーライスでした。

山頂からどんな景色が見えたかとか、山頂に立ちどんな気持ちだったとか、全く記憶に無いのです。

青春時代というにはあまりにも早すぎる小6の経験ですが、記念すべき私の初登山の思い出です。



昨年の5月6日に多良岳に登ってきました。

車で林道を走り、登山口にある駐車場に車を停めて、急登を登りました。



金泉寺まではゆっくり歩いて30分程です。


金泉寺の横には県営の山小屋があります。



中を覗いてみると、5月だと言うのにストーブに薪が焼べられています。



いい雰囲気でした。


多良岳山頂を目指します。

途中、登山道の脇にこの山を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)像があったりします。

30分程で山頂ですがプレートは見つけることができませんでした。

立派な石の祠が建っています。


眺望はききませんが、木々の隙間から経ヶ岳が見えました。








50年ぶりに多良岳に登り、家から持ってきたお弁当を食べながら純真無垢だった小6の自分の姿と重ねてました。

感慨に浸ったせいでしょうか、ボケたからでしょうか、お弁当を食べる時に脱いだ帽子を置き忘れて下山してしまいました。

10分程下って思い出し、戻るかそのまま帰るか迷いましたが、その帽子は連れ合いが京都の鞄屋さんで買ってきた帆布で作った帽子だったので取りに戻りました。

カーキ色の帽子がポツンと一人で、私が戻ってくるのを待っていました。

そんなおまけの話付きの山行になりました。














父の想い出<鮒釣り>

2020-09-19 06:41:00 | 父の想い出
私は何度か父に連れられ釣りに行きました。

歩いて30分もかからない近くの堀まで、釣竿とビク(釣れた魚を入れる網カゴ)、ウキや板状の鉛などが入った釣用の道具箱を持って出かけるのです。

釣りに行く日の朝は早く、朝日が登る前の、少しひんやりとした空気を感じながら、露が降りた雑草の道をそっと歩いて釣場に向かいます。

父は釣場に着くと、手際よく準備を整え、鏡の様な水面に釣糸を垂らすのでした。

波紋が音も立てずに幾重にも広がります。

そして、その波紋の中心に赤と黄色と黒の線が入ったウキが音もなくスクッと立ちます。

そこまで父はほとんど言葉を発していません。

手取り足取り私に教える事はしませんでした。

まるで、
「なぁ、釣りはこんな風にやるんだ」
と、背中で語るかのように黙ってウキだけを見ています。

私も少し遅れて、父がしたように釣竿に釣糸を繋ぎ、ゴム管にウキを差し、板鉛をちぎって糸に巻き、生きたミミズを針に付け水面に投げ込みます。

オモリが軽すぎるとウキは水面で横になり、重すぎると水中に没してしまいます。

それが一発で決まると気持ち良く、様に成るのですが、何度もオモリの量を変えると、水面が忙しく波立ってしまいます。

そんな時も、父はチラッとこちらに目をやるだけでした。

「何をやってるんだ」

とでも言っているように感じられ、私は緊張したものです。

程なく、父のウキが小さく浮き沈みし、これ以上はないタイミングで手首を跳ね上げ竿を上げました。

ウキはしばらく浮き沈みしながら、針から逃れようとする水面下の魚の動きを生々しく表しています。

私の心臓はドキドキと鼓動を打ち、その一部始終を息をするのも忘れて見つめるだけでした。



西側にある外屋の波板の屋根を修理する際に、外屋に置いている棚に父の釣り道具が入った釣竿ケースを見つけました。

父が亡くなってすでに18年経っています。

この間、この釣竿ケースを開いてみることはなく、埃をかぶってここに眠っていたのでした。

久しぶりにケースを開けてみました。



竿は父の手によって色が塗られていたり、リールを取り付けられるよう金具をつけるなど加工されていました。




セットされた糸巻きには、父の几帳面さを表すように「① 新大長 ウキ長」など、取付ける竿やウキがすぐに分かるよう記してあります。



そして、父が使っていた"肥後守” も入っていました。













父の想い出<道具箱>

2020-09-18 07:49:00 | 父の想い出
今住んでいる家が完成し、私の父や母がこれまで暮らしていた借家を引き払うことになりました。

時計店を営んでいた狭い借家には、布団や鍋釜の他、食器などの生活用品など沢山ありました。

父の商売道具である時計の修理に使っていた小型のペンチやドライバー、ピンセットからグラインダー、ガラス研磨機なども随分沢山ありました。

新しく建てた家に持ち込める荷物の量には限りがあり、私は最小限に絞り込んで欲しいと思っていました。

ただそれだけしか考えることができませんでした。


父や母にとっては、今まで使っていた全てのものが必要なものだったようです…

特に父は、ありとあらゆる仕事道具を持って行こうとしました。

そんな父に、私は、
「そんなもの持って行ってどうするのか」
と、詰め寄ってしまいました。

   … 父の気持ちも考えずに。

父は泣く泣く、小さな3段になった引出しに、どうしても捨てることのできない道具だけを仕舞い、後は廃棄用の袋に詰め込み手放しました。


きっと、後ろ髪を引かれる思いだったことでしょう。



今でも、その道具箱が父と母が寝起きしていた和室の棚に残っています。






もう使うことはないとは言え、私は、父の生きてきた証である時計の修理道具を、たった3段の引出し1つにまとめさせてしまったのです。


私は時々、その道具箱の引出しを開け、後悔の想いと共に、その道具を使い生きていた頃の父の姿を思い浮かべます。





我が家メンテナンスpart 30<西植込み>3日目

2020-09-17 09:16:00 | メンテナンス

西植込みのメンテナンス前(before)は、こんな感じでした。



排水口の北側部分だけ拡大すると…



柊木が1本植えてあるだけですからそれほど手間はかからないと思われます。

が、やはり石が足りません。

ということで、今回は水遊び抜きで石だけ拾いに出かけました。




こんな感じで、石は沢山転がっています。

水に入りたい気持ちをグッと堪えて、手頃な石を大小含めて10個ほど拾って帰りました。

石を並べるのもパズルみたいで楽しいものです。

"いい感じ” に組もうと、いろいろやってみますが、手元にある石は限られているのでなかなか満足できる形にはなりません。

まるで会社の人事みたいです。

それぞれの特性が最も活かされる場所に配置する。そして、個々としてというよりは総体として力を発揮させる。

この石、どれか一つでも抜けても石垣になりませんから…

今あるもので最高のものを作りましょう。




何とか石組みはできました。

コンクリートの粉と砂を混ぜ、固からず柔らか過ぎずの按配で水を加えモルタルの準備ができました。

モルタルで丁寧に石の隙間を埋めていきます。






西植込み出来上がりました(after)








我が家メンテナンスpart 29<西植込み>2日目

2020-09-16 08:40:00 | メンテナンス

昨日は、残っている石組みをできるだけ残しながら渓から持ち帰った石を据えてみました。

今日は、地中に埋まっていた赤煉瓦を一部掘り出し、石組みも少しだけ変えてみました。




それでも石が足りなかったので、庭の別の場所にあった石も移してきました。




土の中には柊木や花桃、南天、紫陽花の根が張り巡らされていていましたが、何とか形にはなりました。



"雑念” を組んだ「西植込み」の南側半分のできあがり。


残すは、排水口より北側部分です。