TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

"タマゴ ” を彫る

2020-09-25 07:07:00 | 木のカトラリー
今から3年ほど前、何を思ったか"卵” を彫りたくなりました。

理由は覚えていません。

冷蔵庫の中で並んでいる卵を見て、タマゴは簡単に彫れると思ったのかもしれないし、胡桃みたいに2個持って手の中で回すと脳の刺激になると思ったのかもしれません。

実際にやり始めると、タマゴを彫るのは考えていたのと違ってとても大変な作業だったのです…


立方体の木材を丸く仕上げるのは、粘土を掌で丸めてつくるように簡単にはいきませんでした。

四角い角をノコで切って大まかな形をつくります。



あとは、ひたすらヤスリで削っていくのです。

これがなかなか厄介な作業で、なかなか捗らないのです。



そして、少しでも削り過ぎると、また、全体を削って形を整えなければならなくなるのです。

おまけに、全体が丸く仕上がってくると、ヤスリで削る際に卵を押さえている指がツルツル滑ってなかなか思うように削れないのです。

モノづくりはどれも大変でしたが、つくっている途中でこんなにイライラしたのはこれが初めてでした。


そんなことを考えれば考えるほど、本物のタマゴは涼しい顔をして、均整のとれた完璧な姿を私に見せつけてくるのです。


「自然の造形は神様がつくられたからこんなに美しいんだろうか…」

信心深い方ではない私でしたが、そんなことまで考えてしまいました。




見た目と違いなかなか苦労したタマゴづくりでしたが、性懲りもなく、私はもう一つタマゴをつくっていました。


やはり、制作理由は"ボケ防止“ だったのかも…?













我が青春の山<天山>

2020-09-24 17:26:00 | 山行
天山(てんざん)は、佐賀平野の北にそびえる1046mの山です。

その天山は、私が所属していた大学のワンダーフォーゲル部にとって切っても切り離せないほど大切な山です。

なぜなら、夏合宿など長期の遠征前に必ず登る山だったからです。

それもただ登るのではなく、キスリング(厚い帆布製で、蟹の甲羅のように横長型の昔のザック)に30kgの砂を詰めて登るのです。

サークルボックス(部室)横の地面をスコップで掘り、土嚢袋に砂を入れ、それを何個もキスリングに詰め込み体重計で30kgになるよう調整します。

これを担ぐのに一苦労します。

砂の入ったキスリングを一旦持ち上げて右膝の上にのせます。次に、肩紐の輪の中に右腕と肩を入れるようにしながらキスリングを背中まで回すのですが、その余りの重さに大概はバランスを崩して背中からひっくり返ってしまうのです。

また、何とか背負うことができても、その格好は背中を丸めた前屈みの姿勢になっています。

すると、それを見た先輩から、
「背筋を伸ばして、キヲツケ!」
と、号令が飛んできます。

号令に合わせて背筋を伸ばすと、キヲツケした姿勢でそのまま後ろ向きにひっくり返るのです。

もっとも、これは"お約束” なのですが…


大学近くのバス停まで30kg超の荷物を背負い、重い登山靴を履いて歩きます。

すでに、肩紐が食い込んでいます。

バスに乗っている間はキスリングは下すことができるので、天国にいるみたいに体が浮いてる感じがしました。

登山口のバス停に着くと、いよいよそこから地獄の進軍が始まります。

ここの標高は20m程ですから、ここから標高差にして1000mを30kgの砂を担いで登っていくのです。

これが、我がワンダーフォーゲル部で言うところの"天山歩荷(tenzanbokka)” です。

国道沿いのバス停から歩きはじめると、すぐに辛口で有名な酒蔵が見えてきます。さらに川沿いの道を進み、神社で休憩したものです。

民家の庭先の道通り、みかん畑の間の道を抜け、しばらくすると小学校の分校が見えてきます。



分校の校庭で長めの休憩をとります。

しかしまだ、道半ばと言ったところです。

この先は民家はありません。8合目に駐車場があり、砂利道の車道は通っていますが、最短距離の登山道を一歩一歩登って行くだけです。

もう足はフラフラで、気力だけで足を前に出している状態です。

やっと、8合目の天山神社上宮です。



ここまでくれば、頂上はあと少しです。

水場があるここで最後の休憩をとります。



8合目を出てすぐに、木立がなくなりまばらに低木が生えた草地が広がります。

傾斜はキツくなりますが、30kgを超えるキスリングも間もなく降ろすことができるので、自分や仲間を奮起させる声(奇声?)を発しながら最後の登りを登りきるのでした。


そしてたどり着いた天山山頂ではこんな眺望が広がっていました。






これでやっと30kgの砂の呪縛から解放されます。

大学から担いできた30kgの砂をキスリングから取り出し、みんなで山頂に撒いたものでした。


この"天山歩荷” の経験があるから、どんな過酷な山行もやり遂げる事ができたと、今でも信じています。

そして、天山山頂で担いできた砂をぶち撒ける解放感は、担いできた者しか味わうことができない達成感だったのかもしれません。



今からちょうど1年前の9月、私は長年の夢であった穂高に40年振りに登りました。

そしてその1週間ほど前、かつて学生時代やったように、重い荷物を背負い天山山頂を目指したのでした。

















我が青春の山<祖母山〜傾山>

2020-09-23 12:14:00 | 山行
私の生まれ育った町では、20歳の成人式は都会に働きに出ていた若者が帰省するお正月に行われていました。

同級生が成人の祝いで盛り上がっている時、私は奥深い九州の山の中、それも雪の降り積もる白と黒だけの墨絵のような世界にいました。




私の初めての冬山登山は、傾(かたむき)山から祖母(そぼ)山までの縦走でした。

メンバーは1年生の私にとっては雲の上の存在にあたる大先輩(?年生)のM永さん、2年生のF上さん、S田さんと同じ1年生のS永と私の5名です。




大晦日の朝、大学のサークルボックス(部室)を出発し、国鉄豊肥本線の緒方駅からはバスで傾山登山口に向かいました。

登り初めは雪はありませんでしたが、標高が増すと次第に地面に白い物が目立ってきます。

そして、稜線まで登ってくると一面雪の世界でした。

傾山山頂はガスに包まれて真っ白々、1日目の夜(大晦日の夜)は九折越にテントを張ったように記憶しています。

いつもだったら大晦日の夜は、コタツに入って紅白歌合戦を見ているところです。

天気図を録るためにラジオは持ってきていますが、わざわざ山にきて世俗に浸ることはしませんでした。

夕飯も食べ終え、夜になりました。

水が足りなくなったので、少し離れた水場まで水を汲みに行くことになりました。

私と2年生の先輩でテントの外に出ると、なんと、空には無数の星が煌めいているではありませんか。

今まで見たこともない星の数です。天の河も星の洪水です。

下界では見えない微弱な光の星も全て手が届く所にあるようです。

私はしばらく星から目が離せませんでした。

雪が積もったテント場も木の枝も、星の光で白く照らされ明るく感じられました。


2日目も3日目も天気に恵まれ、自分たちが歩いてきた稜線をはっきりと目で追うことができました。

雪が舞い散る中を黙々と歩いたこと、今にも空から落ちてきそうな無数の星々、白く浮き立って見える夜の雪景色、肌を刺すような冬山の空気…


成人式に参加することはできませんでしたが、その事が却って、私にとって特別な日の記憶として今でも鮮やかに思い出されます。

私は胸を張って言います。

「私の成人式の写真はこれです!」







我が青春の山<ミヤマキリシマ咲き誇る平治岳>

2020-09-22 08:13:00 | 山行
昨年の6月5日、「ここしかない!」といったいったタイミングで九重の平治(ひじ)岳に登ってきました。

5月末から6月初めは、知る人ぞ知る、九重の"ミヤマキリシマ” の開花時期です。

前回のブログで坊がつる讃歌の歌詞を一部紹介させてもらいましたが、その2番に、

♫ 山くれないに大船(たいせん)の ♬

という歌詞が出てきます。

大船山の斜面がピンク一色に見えるくらいにミヤマキリシマが一斉に咲き誇る様を歌っています。

「そんな大袈裟な… 」

と、私も最初は思っていました。

社会人になってすぐの頃、ワンゲル(ワンダーフォーゲル部)だった仲間とその友人でミヤマキリシマを見に九重の平治岳に登りました。

     ウン十年前にミヤマキリシマ咲く平治岳で



ちなみに、平治岳は大船山の隣の山で、これは私個人の意見ですが、ミヤマキリシマの見事さは平治岳の方に軍配が上がるかなと思っています。



九重のミヤマキリシマを見に行くのはその時以来です。

数日前から開花情報と天気予報とのにらめっこでした。

昼前から天気は回復すると見て、夜中に家を出て朝の6時頃に登山口の駐車場に着きました。

駐車場はほぼ満杯でしたが、何とか停められました。

「みんな好きだなぁー」

と、呆れてしまいましたが私もその"好き者” の一人です。

駐車場から見上げる山頂はまだ雲の中です。

準備を整え出発します。

今回は初めて男池(おいけ)から登ります。

"かくし水” を過ぎ、"ソババッケ” を抜けたら急登が始まります。

キツイ登り坂ですが、新緑と苔に癒されながら登って行きます。


"大戸越” の峠に着きましたが、まだ、平治岳山頂はガスに包まれています。

ここで1時間程、ガスが切れるのを待ちました。

次第にガスが薄れて空が明るくなったのを見て、山頂目指して登り始めました。



あたり一面ミヤマキリシマです。

あの歌詞にあるように山はピンクに染まっています。



ピンク色の花弁は、開花したばかりのように初々しく鮮やかでした。



いつまでも山頂にとどまっていたい気持ちでしたが、その気持ちをグッと堪えて下山しました。

急登をキツそうに登ってくる人たちとすれ違います。

その度に、
「頑張ってください。綺麗に咲いたミヤマキリシマが待ってますよ!」
と、声をかけている自分がいました。


無事、山を降り、登山口近くの男池を覗いてみました。



男池は、ミヤマキリシマのピンクと対象的に、限りなく透明なブルーの湧き水を湛えていました。














我が青春の山<九重連山久住山>

2020-09-21 09:00:00 | 山行
昨年の5月、連れ合いを送り出してすぐ、私用のお弁当を持って九重連山に向け車を走らせました。

学生時代にワンダーフォーゲル部で山登りを中心に活動していたことは前回のブログに書きました。

♫ 人みな花に酔う時も/残雪恋し山に入り/涙を流す山男/雪解の水に春を知る ♬

の歌詞で知られる「坊がつる讃歌」の"坊がつる” は九重連山に囲まれた湿性植物が広がる草原です。

九州最高所(1303m)にある法華院温泉も近く、九重の山々を登る人たちのベースキャンプとして有名です。

私が学生だった頃、新入部員を連れて行く"新歓登山” の山が「九重(くじゅう)」でした。

国鉄久大本線の豊後中村駅で降り、バスで九重登山口の長者原まで行き、坊がつるを目指しました。

総勢50人ほどの大集団です。



兎に角、目立ちたがり屋の集団でしたので、他の登山客の方にはいろいろと迷惑をかけたと思います。あの時は本当にゴメンなさい🙇‍♂️。


今回は、1人で登ります。

それも、牧ノ戸峠から歩き始め、沓掛山、西千里ケ浜、久住分かれを通って久住(くじゅう)山だけに登り、来た道を戻ります。

やまなみハイウェイを走り、牧ノ戸峠に着きました。

天気は雲一つない晴天です!


沓掛山までは急な坂道ですがコンクリートで舗装されています。

木段を上がったら展望が開けました。

登山道をしばらく行くと、足元にピンク色の可愛らしい花が咲いていました。

"イワカガミ” です。



西千里ケ浜まで来ると、前方から"小人” の集団がやってきました。

よく見ると"小人” ではなく園児たちでした。



「さすが地元の子! 入学前から自分の足で九重に登るんだ!」

と、感心させられました。


平坦地を抜け岩場を越えた辺りで、家から持ってきたお弁当をいただきます。

「腹ごしらえもしたし、さあ、私も園児に負けないよう頑張ろう!」

と、気合いを入れ直して久住山山頂へ続く急登を一歩一歩登って行きました。


頑張ったご褒美に360°遮るものもない絶景が私を待っていました。





我が青春の山"九重” は、何度登っても私を優しく迎えてくれる山です。