マイmy巷話

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浜松町・人骨の出た大名屋敷周辺を歩く

2015-05-16 | 街歩き・歴史散歩

安保関連法案のニュースも大事だが、ひそかに、ワタシ的に最近気になっているニュースといえば……。

ズバリっ👆
JR浜松町駅に近い、昔大名屋敷のあった跡地の工事現場の土深くから発見された、二人の頭蓋骨と動物含めた骨片に関するニュースなのです。



いきなりですが、これ幕末の現場周辺の古地図…👀

昔は、愛宕下から増上寺周辺は、大名小路があったりして、大名や旗本の立派な門がずらりと並んでいたんですね。

で、今回骨の出た場所には、かつて赤穂藩 森家の上屋敷があったとか。。。🤔

フムフム。。。
ここなら、バスを乗り継ぎゃ行けそうですねっ🐾



そして、JR新橋駅に来ました。
いかにも大都会ですね…💧
ビル下には、道路整備で平成に入って移された日比谷稲荷の鳥居が見えています。



ここはむかし、愛宕ノ下大名小路と云われる道👀
この先、浅野内匠頭切腹の場となった田村家の上屋敷や遠山の金さんの屋敷もあったとか、、。

中央区や港区あたりには誰もいないのに無駄に広い裏路地があるのですが、実はこのように昔、セレブリティな家々の専用通路だったってことって多いんですよねぇ。。



森家の跡地に行く手前に古地図に「江川太郎左衛門」という文字を見つけます👀
回り道をしてそのあたりに行ってみましょう。。

ここから東海道線が見えています。
だから、しょちゅう新幹線が通っていました。




そして、「江川太郎左衛門」の場所がこのあたりですが、なぜかミロのビーナスが建っている👀



港区のイタリア公園と書いてありますね。

なぜ、江川さんの名前にしなかったのか?と思っちゃいましたが、、
因みに「江川太郎左衛門」は代々世襲の名でして、歴史暗記でおなじみの、韮山反射炉=江川太郎左衛門よりも、地図に名が載るこの太郎左衛門さんは、後のヒトなのでした。



さて、道草を食いましたが、いよいよ森家の敷地あとに向かいます🐾

そこは東海道線を越えた、あの一連のビルあたり。。
古地図を見ると、新見藩の関但馬守の上屋敷と並んでいるようですが、かつてはその敷地も、森家の所領だったそうです。森家広し。。



そんな広大な土地のなか、問題の工事現場は果たして特定できるでしょうか?
鬼門の方角から入ってみると、いかにも古そうな石垣を見つけました。



この港区の看板を読むとこの路地が赤穂藩 森家の北側敷地境界だったことは確かなようです。

そして、森家の敷地を目視してみると、、



ここから、あの世界貿易センタービルまでぜんぶと、、、



横向けば、あの奥まで見えている道路をすべてが敷地だったとは💧💧

広すぎるぞ。森家。。。😑

確かにこんなに広けりゃ、骨でもなんでもいろんな遺物から異物まで、
ここに埋まっていてもおかしくないような気になってきました。


そんなわけで、現場は判りました。

その場所は古地図上では、まわりを長屋に囲まれた大名上屋敷の一角意外だったのですが、近くここにはマンションが建つらしいので、やはり特定は避けることにします。。



じつは、この一帯は他にもあちこちが派手に工事だらけ‼️
で、旗本屋敷跡地のビル解体現場も派手に放水をしながら、ぶっ壊していましたっ😮


で、改めて思ったわけなのです。
今回の工事現場での骨の発掘は、都会のなかでは特別な出来事でもなんでもなく、時々ひっそりと起こっては、ひっそりどっかに行っちゃうんだろうなって、、、。



《追記》
その後の調査が港区のホームページで発表されましたが、発掘された人骨諸々は江戸初期より以前にあった墓地の埋葬物だったとか…。
均された広い敷地を必要とする大名の江戸屋敷には、当時寺院の土地を譲ってもらうことが結構あったため、こういう例はおそらく他にもあるかと思われます。
他家の事例ですが、 土地譲渡をめぐって寺院から訴えられた大名屋敷の顛末が港区郷土資料館のホームページ内の「資料館だより」 で閲覧できますので、興味あるかたは是非読んでみてください。


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