マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

目黒 将軍家お鷹狩と御成道を辿ってみる その2

2021-07-25 | 街歩き・歴史散歩

前回からの続き。。

江戸セレブの年中行事🐎🐎🦅
駒場野のお鷹狩(鶉狩)で、将軍が辿ったルートをお散歩しています。

目黒区郷土研究第312号には14代将軍家茂が道玄坂を通過したのが、午前10時過ぎとあるので、おそらく到着は10時半頃でしょうか。。


まずは古地図を使って、御鷹場を確認します👀

どうやら鷹狩は、舞台が演目ごとに場面が変わるように、場所を移って催されたようです(赤①〜③)。
そこを含めて将軍が高みから見物をするための御立場が合計5箇所(⭕️)、そして、大老、老中の控え所も最北西(★赤マーク)に設営されていたようです。




そんな御鷹場口の御成橋がこのあたり…👀

早朝にお城を出立した将軍は、宮益坂から道玄坂を抜けて、現在の山手通りの本法寺角を入り、ここに到着したらしい。。

御成橋は、御成門手前の三田用水に掛かっていた石橋なのですが、よく見ると横切る道がわずかに盛り上がっているのが用水路跡なんですね。

そして、御成門を抜けた将軍御一行は、華やかな幕が張られた内で、前夜から泊まりの大老井伊直弼はじめ、老中、家臣一堂のお目見えを受けたそうです(御成懸け)🎌🎌

ま、そんなハレの場も、今じゃ見てのとおり気配どころか、人影も何にもないただの路地裏なんですけどね…😅



それから、小休止後、御一行は道路の突き当たりの駒場東大方向に移動を始めるのです🏇🏇🏇

しかし、、
将軍って実際はどの時点で籠を降りて、馬に乗ったのでしょうか❓
幕府も後半になると、病弱な将軍が続き、颯爽とした馬駆で、見事に獲物を狩るとは到底思えないような気がするし、、



移動した先は、この門の奥🏇
東大先端科学技術研究センター内の六本松御立場(古地図①)なのです。

ここで、馬を下りて整列敬礼(下乗)した臣下一堂を、将軍は観覧したそうですが、開会の儀みたいなものかな❓


で、お次。
いよいよメインイベント会場に移動しますっ🏇

それが中丸御立場(古地図②)で、お鷹狩がやっとはじまるわけですね❗️
現在の駒場公園内の旧前田公爵邸あたりがそれ。
ここ、今は気軽に見学できる地元民の憩いの場なのです。。😌


加賀といえば百万石✨
芝がよく手入れされた旧前田家屋敷の庭園も、御鷹場の頃は赤松が点在する草深い地だったらしく、将軍も馬上で草を分けつつ、狩を楽しんだのでしょうか。

どうやら、駒場野の鷹狩といえば、鶉狩が有名だったそうでして、勢子と呼ばれた追い立て役が、あらかじめに飼育された獲物を将軍の御立場に向かって追いやり、各々配置された大勢の役人や農民らが声を挙げて、場が最高潮になったところで、いよいよ将軍が登場🏇✨✨

…と完璧にヤラセだったそうですよ❗️

しかも獲物だって、草むらに潜んだ黒装束の鷹狩専属の役人(綱差)が、あらかじめ翼を傷つけた鳥を絶好のタイミングで将軍の前に放したらしく、これじゃあ、幕府がまもなく斜陽を迎えるのもわかる気がします。。。


その間、大老や老中のお歴々は狩には同行せず、今の三角橋交差点そばの東大宿舎あたりに幕を張り、寒中を待っていたそうです。寒そうっ❗️


狩も終わると再び移動🏇🏇
最後は臣下の最大の見せ場となる、前丸御立場(古地図③)での馬術演技がはじまります👏👏

図のように、将軍は高さ6メートルの壇上から臣下の馬術を観覧したそうですが、その場所が、いまの駒場東大の正門広場あたり。

かつての幕府御鷹場のほとんどを占める東大キャンパスも、少し前ならば地元民にオープンな場所でしたが、昨今の事情で全く入れなくなったのはとても残念ですね。

…と、ここまでが駒場野のお鷹狩のおおよそのスケジュール。


🏇

🏇


その後、一堂集まって、御鷹場南側の柵門、いまの駒場東大の梅林門を出るのが12時半🕜

全行程2時間の寒中イベントになりました❗️


門を出た将軍御一行は、井の頭線の踏切を渡り(笑)、南下していきます。


今も残る一直線の御成道は、静かな住宅街のなかにあります。

きっとむかしは見渡す限りの畦だらけを、ここだけが「何人も踏むべからず」の、セレブ専用道だったんでしょうね笑


そして話を戻すと、この御成道の傍に、山下奉文の邸宅があったってわけなんですねー!


滝坂道(現 淡島通り)に出ました。

ちょうど道路向かいの駒場高校正門あたりに、幕府御用屋敷の御成門はあったそうです。

この御用屋敷で将軍は、菓子やお酒で臣下を労ったそうですが、ここには将軍の御膳所や御休憩所のほか、鷹狩全般を管理した鳥見役所、そして幕府直轄の御薬園もあったそうでして、広さは五万五千坪…

今でいえば、淡島通りと246号に挟まれた目黒区大橋から世田谷区池尻四丁目までの広大な敷地だったようです。


もはや、そんな江戸歳時記の風景は全く失せてしまいましたが、淡島通りの駒場幼稚園門脇のケヤキの古木と、、




246号の大橋病院入り口から入った先の駒場高校運動場脇の立派なアカマツ。。




そして、目黒区の御鷹場説明板の背後に聳える、警視庁第三機動隊門脇の大ケヤキ、、

あたりが、将軍の時代の貴重な生き証人かもしれませんね。



…というわけで、またもや近所で新たな発見👀❗️
楽しいご近所散歩になりました。


コメント
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