
鳥です。
今年も大好きな箱根駅伝が終わりました。村山アナはやっぱりいい声だなと思いながら、ふと昨年鰐さんの紹介で本人にお会いすることが出来た夢のような時間を思い出しました。
応援していた母校は残念ながら今年も優勝という結果を残せませんでしたが、それ以上にショックだったのが、「陸上部の卒業生だった石橋洋三さんが亡くなった…」という実況を聞いたことです。
「石橋洋三」
まぎれもないボクの同級生でした。にわかには信じられない話でしたが、残念ながら昨年8月に癌のため亡くなったのを知りました。体の異変を感じたのが8月2日、病院に行ったのが4日、そしてわずか5日後の8月9日に亡くなったそうです。
石橋君とは大学1年のクラスが一緒で同じ福岡出身、さらに彼は福大大濠、ボクは九国大付と共に男子校出身という共通点があったので、すぐに打ち解けることができました。確か大学に入ってボクが初めてしゃべった友人が彼だったと思います。
「推薦で(早稲田に)入ったけど、たまたまその時コンディションが良くてタイムが出ただけだから…。でもせっかく陸上部に入ったからには箱根は出たいよね」
初めて話をしたときにこう言っていました。真面目な彼は菅平で行われる1年生全体で行くキャンプ活動でも一人だけ早起きをして走りこむような男でした。
そんな彼に箱根を走るチャンスはすぐに訪れました。大学1年の81回大会で3区のランナーに選ばれたのです。しかし結果は11位から4つ順位を下げて15位でタスキをつなげる厳しい結果に終わりました。それから2年(82、83回大会)彼が箱根で走るチャンスはありませんでした。
早稲田大学陸上部といえば全国から精鋭が集うエリート軍団です。次から次に入部してくる才能のある新入生に押しのけられる形になってしまったのでしょう。それでも彼は腐らずに努力を怠りませんでした。その結果、最終学年のときに7区を任されたのです。
結果は1位で受け取ったタスキを1位でつなぐ最高の走りでした。後ろから迫る駒大のエース・豊後を持ち前の粘りで振り切る彼らしい走りだったと思います。1年で味わった挫折、2、3年で走れなかった悔しさ…様々な思いをぶつける渾身の走りでした。
「お前の同級生はすごかなぁ」
「やろっ?こいつはめっちゃ努力家っちゃんね、卒業後は陸上辞めるって言っとったから、競技生活最後の舞台でこの走りは凄いわぁ」
陸上競技生活最後の舞台箱根で快走を見せる友人をまるで自分のことのように父に自慢していたのを昨日のことのように思い出します。
しかし、結果的に箱根駅伝を走る姿が石橋君を見た最後の姿となってしまいました。
なぁ洋三、お前長距離ランナーやろうが?
もっとゆっくり人生歩めば良かったったい。
なし短距離選手のごと逝ったんや?
最後の走りマジ凄かったばい、目にやきついとうわ。
絶対忘れんけんな。ありがとう。
合掌!!ご冥福を祈ります。
今年も大好きな箱根駅伝が終わりました。村山アナはやっぱりいい声だなと思いながら、ふと昨年鰐さんの紹介で本人にお会いすることが出来た夢のような時間を思い出しました。
応援していた母校は残念ながら今年も優勝という結果を残せませんでしたが、それ以上にショックだったのが、「陸上部の卒業生だった石橋洋三さんが亡くなった…」という実況を聞いたことです。
「石橋洋三」
まぎれもないボクの同級生でした。にわかには信じられない話でしたが、残念ながら昨年8月に癌のため亡くなったのを知りました。体の異変を感じたのが8月2日、病院に行ったのが4日、そしてわずか5日後の8月9日に亡くなったそうです。
石橋君とは大学1年のクラスが一緒で同じ福岡出身、さらに彼は福大大濠、ボクは九国大付と共に男子校出身という共通点があったので、すぐに打ち解けることができました。確か大学に入ってボクが初めてしゃべった友人が彼だったと思います。
「推薦で(早稲田に)入ったけど、たまたまその時コンディションが良くてタイムが出ただけだから…。でもせっかく陸上部に入ったからには箱根は出たいよね」
初めて話をしたときにこう言っていました。真面目な彼は菅平で行われる1年生全体で行くキャンプ活動でも一人だけ早起きをして走りこむような男でした。
そんな彼に箱根を走るチャンスはすぐに訪れました。大学1年の81回大会で3区のランナーに選ばれたのです。しかし結果は11位から4つ順位を下げて15位でタスキをつなげる厳しい結果に終わりました。それから2年(82、83回大会)彼が箱根で走るチャンスはありませんでした。
早稲田大学陸上部といえば全国から精鋭が集うエリート軍団です。次から次に入部してくる才能のある新入生に押しのけられる形になってしまったのでしょう。それでも彼は腐らずに努力を怠りませんでした。その結果、最終学年のときに7区を任されたのです。
結果は1位で受け取ったタスキを1位でつなぐ最高の走りでした。後ろから迫る駒大のエース・豊後を持ち前の粘りで振り切る彼らしい走りだったと思います。1年で味わった挫折、2、3年で走れなかった悔しさ…様々な思いをぶつける渾身の走りでした。
「お前の同級生はすごかなぁ」
「やろっ?こいつはめっちゃ努力家っちゃんね、卒業後は陸上辞めるって言っとったから、競技生活最後の舞台でこの走りは凄いわぁ」
陸上競技生活最後の舞台箱根で快走を見せる友人をまるで自分のことのように父に自慢していたのを昨日のことのように思い出します。
しかし、結果的に箱根駅伝を走る姿が石橋君を見た最後の姿となってしまいました。
なぁ洋三、お前長距離ランナーやろうが?
もっとゆっくり人生歩めば良かったったい。
なし短距離選手のごと逝ったんや?
最後の走りマジ凄かったばい、目にやきついとうわ。
絶対忘れんけんな。ありがとう。
合掌!!ご冥福を祈ります。
泣いちゃった。
ばーど君、あなたはやっぱり伝える側にこなくちゃいけない人ですね。
しかし遊びまわることもなく、日々練習に邁進する姿はアスリートのカガミでした。
24歳という早すぎる死を悔やみます。
無念です。
ご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りします。 合掌…
本当に努力家な方だったんですね。ご冥福をお祈りいたします。