十三スポーツ

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東日本復興支援競走、勝つのは重野だ!(写真を追加しました)

2011年08月10日 13時03分25秒 | 日記
皆さん、超ご無沙汰しております。 元フリーライター、現フリーターの遅々さわるです。

戸田で開催されている東日本復興支援競走の優勝戦について一言二言語らせてください。

なかなかバラエティに富んだ顔ぶれとなった優勝戦、1号艇には重野哲之選手が乗艇しました。

最近でこそ、SGやG1の常連として活躍している重野選手ですが83期の中では大柄で体重ハンデもあり、訓練中はいわゆる劣等生。 初出走から3ヶ月後の尼崎で初勝利を挙げたもののそのハンドルワークはあまりに荒くデビュー期の勝率は2.07と当時としてはかなりの低レベルな結果に…ある先輩選手は「重野は選手に向いていないんじゃないか?」とその行く末を危惧するほどでした。

しかし、師匠の片山友多加選手をはじめとする周囲のアドバイスに真剣に耳を傾けた結果、2期目は4.04と成績が一気に上昇。それから着実に地力を身につけデビュー7期目に6.24の勝率をマークし初のA1入りを果たします。途中、F2によるB級落ちがあったりしたものの目下12期連続のA1級、内10期で勝率7点台とデビュー当初の心配は杞憂に終わりました。また、減量を目的に始めた趣味のマラソン効果もあって体重は常に50㌔前後とかつての重量級の面影はみじんもありません。

そんな重野選手、お父さんが警察官という影響もあるんでしょうか性格はいたって真面目。特に仕事に対しては本当にストイックなまでに取り組んでいます。

こんなエピソードがあります。

あれは2006年の住之江で行われた賞金王での事。 シリーズ最終日、7Rを走り終えた重野選手は陸に上がるやいなやプロペラ調整室に直行したのです。普通ならば帰り支度をすぐさま整えて帰路につくものなのに、ひとり黙々と調整に取りかかっていました。賞金王決定戦が近付くにつれ一人また一人と部屋から離れ遂に誰も居なくなっても本人は一心不乱にプロペラと格闘していたのです。「今、やれる時にやっておかないとダメですから。」と…



(その時の写真が見つかったので貼りつけておきます。)

重野選手のひたむきな姿勢を見て「この努力、いずれ必ず大きな実を結ぶだろうな…」私は心の中で思い続けてきました。 それが昨年12月の東海地区戦でG1初制覇、さらに6月の江戸川周年優勝とここにきて形になって現れてきました。そして今、SG初優勝の時を迎えようとしています。

1号艇がプレッシャーになるという声がありますが、心配ありません。 2006年の住之江49周年、1号艇でG1初優出(結果は2着)や同年の福岡ダービーでSG初出場ながら初優出(5号艇で4着)を経験している彼にとって必要以上のプレッシャーは無いだろうし、多少あったとしてもこの5年の間で築きあげた経験値、自信が不安を一切拭い去る事でしょう。 戸田のインが難しい? それも関係無し。インが難しければ昨日の準優も逃げ切れてないだろうし、昨日逃げた事で今日の勝利のシミュレートは出来ているでしょう。つまり、昨日と同じスタートを行けば誰が来ようが大丈夫だと。

83期の劣等生が秋山直之や須藤博倫といった本栖時代から将来を嘱望されたエリートに先んじてSGを制覇する瞬間は目前に迫っているのです。

私は予想が苦手なので狙い目がどうこうとは言えません。でも、これだけは言わせて下さい。

今日の優勝戦は重野がインから逃げ切る!

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅々さわるさん (M記者)
2011-08-10 16:56:34
おめでとうございます!

完璧でしたね。

私の舟券は惨敗でしたが…。

現場記者もヒーロー原稿の参考になるんじゃないでしょうか(笑)

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逃げた~ (SGレーサー)
2011-08-10 18:52:31
恐るべし 静岡軍団 大阪支部も気合い入れ直して ここから突き進んで下さいね~
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Unknown (ゃす☆)
2011-08-11 07:57:19
重野選手、そんなエピソードがあったんですね☆

2006年と言えば、私が競艇を知った年で、初めての賞金王

連日ドキドキウロウロしてました。

最終日、
客席から見えない陰で、そんな姿があったとは。

聞けて良かったです♪

それを見逃さなかった、
さわるさんの洞察力も、なかなかのものですね(^o^)/

有難うございました♪
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Unknown (案乃運)
2011-08-11 11:49:52
クオカードは出ませんよ。
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