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お山にお宮がたちました

川の流れの如く

10年以上昔に私が病を患った時、両親は氏神様にお百度詣りではなく百日詣りをしてくれた。治療の為、関東にいた数ヶ月の間、高知ではカレンダーに印をつけて両親が神社にお詣りしてくれていた。

この病気は治らなくて寝たきりになったりして、何十年も苦しみ続けている人がいるのに、適切な治療と素晴らしい医師との出逢いの奇跡が続いて、気がついたら2年で完治していた。

あの時はすごく辛くて、生きていることもしんどくて、こんな鎧の様な重くて痛くて苦しい身体と共に生きていかないといけないのかと思って涙する事もあった。自分の身体なのにどうすることもできなくて、お医者さんに委ねるしかなかった。

交通事故が原因で病気になり、100%被害者でありながら、加害者に雲隠れされ謝罪もなく苦しみを背負わされた時、悔しさと怒りでどうする事も出来なかった。その時、全ての怒りや悲しみといった負の感情を手放して神様にお任せしようと思った。

そうすると川の水が流れるが如く、全てを忘れる事ができた。最初は努力して忘れようとしたけど、次第に怒りも負の感情も何もかも忘れていた。そして気がつくと病気も消えて、病気にならなければ会う事も無かった人との素晴らしい出逢い、心の葛藤の経験、病気に苦しむ人に寄り添う心など、多くのプレゼントを神様は私に残してくれた。

再び経験するかねと聞かれると絶対嫌だけど、今となってはあの病気にも感謝している。私が自分で、私の魂の経験値を上げるために決めてきたことかもしれないとも思うから、何もかも全て自分の責任だと思える様になった。

川の水はとどまることがなく、流れが早い時も遅い時もある。何があっても、川の流れの如くとどまり澱むことなく流していかないといけないと思う。大きな岩にぶつかり、滝のように直下に流れる時もあるけど、また穏やかな優しい流れに変わりゆっくり流れはじめるから、何事も諦めず川の水の流れの如く生きていこうと思う。

家族の愛と、多くの人の助けにより、今の私がいる。氏神様に病が治ってから一人でお礼詣りをしたのはもう10年以上昔のことになる。私は神様に守ってもらっていると感じているから、氏神様のお一日詣りとお掃除はこれからも続けていこうと思う。


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