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お山にお宮がたちました

お山の神様と神社仏閣めぐり

国生み神を巡る旅 ①おのころ島神社 伊弉諾神宮

2023-07-31 05:42:00 | 神社仏閣詣り
淡路島にある伊弉諾尊と伊奘冉尊を祀る神社にお詣りをしようと旅を計画しました。
今回の旅は、先に続く富士山への登拝に先立ち、急に思い立ったものです。

姉と三輪山に登ることを決め、奈良に行くことになったのですが、私一人の運転だと淡路島くらいで一泊していくのが丁度良いと閃きました。

そうこう考えていると、淡路島にはおのころ神社があり、鳴門🌀と富士山🗻で陰陽☯️だから、富士山に登る前に行こう!となりました。

おのころ神社は淡路島の港から船で沼島に行かなくてはいけないのですが、先ずは本島にある、おのころ島神社に参拝しました。

こちらの大きな朱塗りの鳥居は日本三代鳥居の一つだとか。



御祭神は
伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冉尊(イザナミノミコト)
菊理媛神(キクリヒメノミコト)
です。

黄泉の国との境界で伊弉諾尊・伊弉冉尊二神は対峙しますが、そのふたりの前に登場するのが菊理媛尊で、二神の仲裁をし、その後、天照大御神や月読尊、須佐之男尊が生れます。



おのころ島神社の正殿前に鶺鴒(せきれい)石があります。
鶺鴒石は、神様が夫婦の道を開かれた場所として縁結びのご利益があるとか。


日本の国生み神話では、太古の昔、伊弉諾尊と伊弉冉尊は、鶺鴒石につがいの鶺鴒が止まって夫婦の契りを交わしている姿を見たといわれています。

その、つがいの鶺鴒を見習って神様として初めて夫婦となり、夫婦の道を開かれて、日本国土や神々を産み出したといわれています。

鶺鴒石に縛られている白い縄と赤い縄を握ってお祈りをすると良縁を結ばれるといわれています。

拝殿にてお詣りさせて頂きました。


おのころ島神社を後にして、『古事記』・『日本書紀』に記載がある中では、全国で最も古い神社、淡路国一宮である伊弉諾神宮にお詣りです。
2回目のお詣りになります。


伊弉諾神宮にある「陽の道しるべ」を紹介します。


陽の道しるべとは、伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図のことです。

伊弉諾神宮を中心として、日本の主要な神社と神秘のラインで結ばれています
 東・・・伊勢皇大神宮(内宮)
 西・・・海神神社(対馬國一ノ宮)
 南・・・論鶴羽神社
 北・・・出石神社(但馬國一ノ宮)
 
 夏至・・・日の出の方向に熊野那智大社。日没の方向に高千穂神社
 冬至・・・日の出の方向に諏訪大社。日没の方向に出雲大社

太古から祀られている神社の配置が、伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように、東西南北には縁ある神社が配置されていることは不思議だと思います。

この四国のラインに、津野山も通ってるような感じがします。。。



ニ柱の神は淤能碁呂島に降り立ち「国生み」のため結婚の儀式を行います。
ところが、最初は天の御柱を左右から回り、出会ったところで女性神の伊奘冉尊から先に求愛の声をかけたため、不具の子である水蛭子(ヒルコ)が生まれ、葦船に乗せて海に流してしまったそうです。

海に流された水蛭子は摂津國(阪神間)に流れ着き、海を領する神「夷三郎殿」として西宮神社の西宮大明神となり祀られることになります。

こちらはヒルコ神の御神木。
御神気を感じます。優しい氣に満ちています。


お祭りがあるのでしょうか、御神輿を見ることができました。


こちらが本殿です。




この日は姉と二人、淡路島で一泊することにしました。


大神神社 & 六甲比売神社 夫婦神

2023-07-30 06:03:00 | 神社仏閣詣り
姉と二人、神社旅行をしました。
いつ頃からか、二人の会話は神様の話が多くなり、双子の共通の趣味は神社詣りとなりました。
神話にまつわる古代史も好きだし、神の道に通じる道の教えは今の生活の軸となっています。

この日は、ずっと登拝したいと願っていた大神神社に参拝です。
はじめての三輪山登拝は姉と行きたいと思ってました。
仲が良すぎる私達は、一心同体。
最初の三輪山の感動は一緒に分かち合いたいなんて、そんなふうに思ってました。姉も私と登りたいと思ってくれてたみたいです。
天気は快晴。二人で朝の坐を終え、早朝ホテルを出発しました。

大神神社すぐ近くのホテルに泊まりました。こちらから見る朝日も美しかったです。


姉は大神神社へのお詣りは、はじめてでした。
私は今回で3回目になりますが、登拝ははじめてです。
日本最古の神社の御神体に、足を踏み入れても良いものかと、ずっと自問自答していました。


でも、神様への思いは確かだから、登拝しようと、今回三輪山が開山されたら是非登ってみようと決めました。




早朝に大神神社に着いたので、殆ど人がいなくて、美しい参道を歩くことができました。



早朝の神社参拝は空気が澄んで素晴らしいですね。



登拝前に三輪山を遥拝しました。
今から登ります。。。

そして、朝9時の受付を終え、御神体の山に参拝させて頂きました。

全てが美しくて、何となく歓迎されたような感じもあって本当に感動しました。
登拝できて本当に良かったです。。
有難うございました。

朝早くから動いたので、お昼には参拝を終え、昼食に美味しい三輪素麺を頂き、午後はどうしようかということになりました。
この日に高知に帰らないといけないのですが、せっかくなのでもう少し周りたいねとなり、色々案も出たのですが神戸の六甲山に向かうことにしました。

神社詣りになるとアクティブになります。
昔は二人とも家が好きで、出不精だったのですが、神社が好きになって、全国神社巡りが今の楽しみになりました。

六甲山の瀬織津比売様の磐座前にて。
姉です。




このキラキラした感じは何なんだろうと思います。


こちらの山を管理されている方、もしかしたら宮司さんかもしれないのですが、その方から六甲比売神社に纏わるお話を伺うことができました。

陰陽のバランスが崩れ、自然災害や戦争、病や争いが世界に蔓延している。

日本をみても異常気象が続き、日本の安寧のためにも、日本古来の神様の祀り方を今一度見直す時期に来ているのではないかと、お話を伺って感じました。

帰ってからふと思ったのですが、三輪山と六甲山に鎮座されているのは夫婦神!?
日の出の神と月の女神。

太陽と月、陰と陽、同じ日にどちらもお詣り出来て良かったです。
とても楽しい1日となりました。
本当に有難うございました。。。



四国別格二十霊場 第18番札所 海岸寺

2023-07-29 05:35:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
丸亀城を横目に見ながら、次の札所に向かいます。



丸亀城ほとりの池に白鷺発見。

海岸寺、本堂の入口には二力士像が立っていました。




そして、本堂から離れた所にある大師堂に車で向かいます。


こちら、元々は空海さんのお母様の御実家のようで、こちらで空海さんが誕生したとの説もあるようです。


一般的には宝亀5年(774年)に父方出身地である、讃岐の多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で生まれたとされています。

江戸時代に弘法大師生誕の場所をめぐって争論が起き、海岸寺が敗訴した結果、善通寺が空海誕生の地として確定されたようです。

江戸時代は、父方の実家で子供を産むのが風習だったようで、争論の結果、父方出身地である善通寺だとされたのかもしれず、平安時代は血を穢れとみなしていた時代なので、里帰り出産がメインだったのかもしれませんけど、真実はわからずです。



海岸寺ですが、空海のお母様の実家のあった場所に建立されたと伝えられており、建立当時も母方の実家で出産をしたであろうということで、この地が空海の実際に誕生した場所とされていました。

玉依御前が空海を産んだ他の場所の説として、仏母院から西へ約2kmの海岸寺御影堂の前に産井があって、そちらではないかという説もあるようです。
一方、善通寺御影堂の横にも産井があるようです。


空海の幼名は真魚です。
父は郡司の佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は玉依御前(阿古屋御前、阿刀大足の娘、または阿刀大足の妹)です。

母方の阿刀氏は水路の要衝の水運業で勢力を持ち、またその姓からも、安曇系海人族に関係した氏族であったことが推理できます。

真魚という名前も海人族ならではなんでしょうかね?




現在も海岸寺には、大師が生れた時、そこの産湯水を産湯をつかったといわれる井戸があり、この水を飲むと眼病に効くといわれています。



また、空海が生まれ育った場所は、多度津の母方の屋敷であり、現在「仏母院」と称する寺院になっており、そこには「えな塚」と呼ばれる、空海のへその緒を埋めた塚もあるそうです。





出生地を巡り江戸時代に争いまであり、地域の人の思いが重いんだなと、空海さんは争いなどしてほしくないだろうに。。。なんて
そんなふうに思いました。






四国別格二十霊場 第17番札所 神野寺

2023-07-28 05:42:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
香川県まんのう町にある四国別格二十霊場第17番札所神野寺の麓には、周囲約20km、貯水量1,540万tという日本最大の灌漑用のため池「満濃池(まんのういけ)」があります。



奈良時代以前(701~704年頃)に創築されましたが、洪水により何度も決壊し、空海こと弘法大師が修繕に派遣され、空海は約3ヶ月で改修を完了したといわれています。

空海が護摩法を修したと言われている満濃池の中にある場所は護摩壇岩と呼ばれています。



満濃池の守護として建立されたといわれるのが、これから参拝する神野寺です。

お寺にお詣りする前に八大龍王様の鳥居をみつけたのでこちらからお詣りさせて頂きました。




今昔物語にまんのう池の龍神伝説があります。

今は昔、讃岐の国(香川県)に、万能の池(満濃池)と呼ばれるとても大きな池がありました。弘法大師(空海)が衆生を哀れんだがために、築いた池です。池の周囲はとても広く、堤を高く築き囲んでありました。池とは名ばかりで、海のように見えます。池はとても深かったので、大小の魚が無量に住んでいました。また、竜のすみかとして知られていました。

ある日、その池に住む竜が、「日に当たろう」と思ったのでしょうか、池から出て、人が訪れない堤のあたりに、小蛇の形でとぐろを巻いておりました。

そのとき、近江の国(滋賀県)比良の山に住む天狗が、鵄(とび)の姿で池の上を飛び廻っていました。鵄は堤に降下して、にわかに蛇を掻きつかみ、ふたたび空に昇りました。竜は力の強いものですが、思いもかけないときにつかまれましたので、術も出せず、つかまれていくほかありませんでした。天狗は捕らえた小蛇を砕いて食べてしまおうとしましたが、竜の力が強かったために、つかみ砕くことができず、持てあまして、住みかである比良の山に持ち帰りました。

竜は狭い洞窟に閉じ込められ、動くこともできませんでした。一渧(しずく)の水もなかったので、空を翔けることもできませんでした。死を待つ四、五日がすぎました。

このころ、天狗は比叡の山に行き、「貴い僧を捕らえよう」と考えて、夜、東塔の北谷にある高い木の上でうかがっておりました。その向こうに造りかけの僧房がありました。その房にある僧のひとりが小便をして、手を洗うために水瓶をもって縁側に出たところを、天狗は木より飛来し、かきつかんで、比良の山に連れ去り、竜を閉じ込めた洞窟に打ち捨てました。僧は水瓶を持ったまま、もうだめだと思いました。天狗は僧を置くと、どこかへ飛び去ってしまいました。

そのとき、暗い所から声がしました。
「おまえは誰だ。どこから来たのだ」
僧は答えました。
「私は比叡山の僧侶です。手を洗おうと僧房の縁側に出たところを、天狗につかみとられ、ここに連れられてきました。それゆえ、水瓶を持ったままなのです。あなたは誰ですか」
竜は答えました。
「私は讃岐の国万能の池に住む竜である。堤に這い出たところを、空より飛来した天狗に連れ去られ、ここに閉じ込められたのだ。狭く動くこともできなかったが、一渧の水もなかったので、空を翔けることもできなかった」
僧は言いました。
「私の持っている水瓶に、一渧の水は残っていると思います」
竜、これを聞いて、喜びました。
「私はここで日を過ごし、命を終えるしかないと思っていた。しかし、幸いにおまえに会うことができた。たがい命を助けよう。一渧の水があれば、私は必ずおまえをもとのすみかに連れていってやる」
僧は喜び、水瓶を傾けて竜に授けました。竜は一渧ばかりの水を得ました。

竜はおおいに喜び、僧に言いました。
「怖れてはいけない。目を閉じて、私の背中に乗りなさい。この恩は、生まれかわっても忘れない」
竜はたちまち小童の形になり、僧を背負いました。洞窟を蹴破って出る間、雷が鳴りいかづちが光り、空は真っ暗になってたくさんの雨が降りました。僧はふるえ、おそれ、「怖い」と思わずにはいられませんでしたが、竜を信じて負われていきました。ほどなくして比叡山のもとの僧房にいたりました。僧を縁側におろすと、竜は去りました。  

「雷が房に落ちた」
僧房の人がそう思ったとき、にわかに房の周辺は闇夜のように暗くなりました。しばらく経って晴れあがってから見ると、失踪した僧が縁側におりました。奇異に思って問うと、僧はいきさつを詳しく語りました。多くの人は僧の話に驚き不思議がりました。

その後、竜は天狗に報復するために天狗を探しました。天狗は京で勧進(喜捨)を求める荒法師に化けていました。天翔けていた竜は法師のもとに降りて蹴殺しました。法師は翼の折れた屎鵄(くそとび)の姿で大路に横たわり、多くの人に踏まれました。あの比叡山の僧は、竜の恩に答えるために、経を読誦し、善をおこないました。

竜は僧の徳によって命をつなげ、僧は竜の力によって戻りました。すべて前生の機縁といえます。僧が語ったのを、語り伝えています。



龍神伝説面白いですね。
蛇に姿を変え昼寝してると、鵄に姿を変えた天狗に比叡山まで連れて行かれ洞窟に閉じ込められるなんて。。

僧の水に助けられて良かった。
まんのう池に戻れて良かった。
昼寝して連れ去られるなんて、可愛いですね。



さて、お詣りです。

こちらが本堂。


大師堂がわからなくて探してると、お大師さんの像がありました。



こちらからまんのう池を見守っているのですね。


そして、水子供養について書かれたものをみつけました。

抱いてもらうこともなく、
添い寝してもらうこともなく、
生まれてこられなかった小さな小さな命が
どうぞ成仏し癒されますようにと祈ります。



まんのう池のほとりを歩くと、神野神社を見つけました。

その前に、とびですか?

ずっとこちらを眺めていました。。



さて、小高いところに祀られている神社があったのでお詣りさせて頂きました。





雄大で雨の少ない香川県にとっては命綱だったのかもしれませんね。



人工池とは思えないまんのう池を眺め、空海さんは、本当に凄いなと思いました。



四国別格二十霊場 第16番札所 萩原寺

2023-07-27 05:01:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
香川県内有数の萩の名所の萩原寺。
「萩寺」とも呼ばれ、境内に24種、約2,000株の萩が植えてあり9月中旬から下旬に、いたるところで咲き乱れるとのこと。

閉館間近にやっと辿り着きました。
別格の次から次が遠くて。。。


寺伝によれば、平安時代初期の大同2年(807年)空海(弘法大師)が建立したという。
この時、空海は千手観音と地蔵の2体の菩薩像を刻んだといわれる。千手観音は四国八十八箇所六十六番雲辺寺に、地蔵菩薩は当寺院にそれぞれ安置したと伝えられていて、雲辺寺の前札所である。

こちらが山門です。


本堂です。


境内は綺麗に掃除されていました。




「世界一観」と書かれた世界平和を誓願する石碑がありました。



世界を一望にし
人種国籍宗教を問わず
己をむなしくして
争うこと無く
親しみかわし
徳を積み徳を及ぼさんがための
実行の第一歩をしめす

人間だけが人を差別したり、戦ったりして、何してるんだろうね。


大師堂です。

こちらの大師堂には秘鍵大師と呼ばれる私剣を持った弘法大師の像が祀られているようです。



秘鍵大師とは、次のような由縁による。
弘仁九年 (八一八年)、飢饉と疫病で国民が苦しんだ折り、弘法大師は嵯峨天 皇に般若心経の写経を勧め、自らは般若心経を修法し誦読したところ、 その霊験によって多くの国民が救われた。 
この時の講釈が「般若心経 秘鍵」であり、秘鍵大師はこの時の大師の姿を表しているとされる。

この日は香川県に一泊することにしました。