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お山にお宮がたちました

お山の神様と神社仏閣めぐり

石川県 氣多大社

2024-05-22 07:23:00 | 神社仏閣詣り
前田利家公とまつが祟敬した国幣大社の氣多大社。
『日本の神社100選』の本で紹介されている神社の一社です。

神社が好きで買った本なのですが、観ていると行きたくなります。
そして、計画する旅行は、この本を参考にしたりして、神社中心に決めています。

神社に着くとこんな看板がありました。
こちらに潮満珠が奉納されているんですね。
そして、綺麗な五色のお守り。


こちらのお守り買って来ました。 



能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する御祭神の大己貴命は、出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされます。


古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けたようです。

現在は本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物の社叢「入らずの森」で知られている。



御祭神は
大己貴命(おおなむちのみこと)です。







境内裏手には、原生林の社叢が広がっています。
神門の内は神域「入らずの森」として、禁足地になっており、大晦日の奥宮例祭を催行する宮司ら神職以外の立ち入りは禁止されているようです。
その神職さんも目隠しで祭祀のためだけに中に入るようです。


太玉神社
御祭神:天太玉神

天太玉神は、高皇産霊尊(たかみむすび)の子であり、忌部氏の祖の一柱であり、「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子である、天宇受売命の父神様にあたります。



亀🐢のようです。


学問の神様、菅原道真も祀られていました。



五柱のお守り、それぞれに御祭神が書かれてあり素敵ですよね。


氣多大社の境内に五柱の神様がこのように鎮座されています。



奥宮
御祭神:素盞鳴尊、奇稲田姫命
「入らずの森」内に鎮座し、一般の参拝はできません。境内に遙拝所があります。



本殿右
白山神社
御祭神:菊理姫命

本殿左
若宮神社
御祭神:事代主命



氣が多い神社と書いて氣多大社。


神社で頂いた、この『氣』に元気をもらいます✨













福井県 平泉寺白山神社

2024-05-19 06:45:00 | 神社仏閣詣り
以前、姉と友人と三人で訪れた平泉寺白山神社。
あまりに美しかったので、また行きたいねと姉とよく話していました。
今回、福井県に泊まることになって、夫と娘を連れてきてあげたくて、再び訪れました。


今回は、前回行けなかった三の宮と若宮神社を加え、こんな感じで周りました。


新緑の季節、この時期が苔の緑が美しくて、一番良いかもしれません。
丁度小雨が降った後だったので、境内はため息が出るほど美しかったです。



朝も早かったので、あまり人が居なくて、この美しい空間を満喫させて頂きました。





娘です。


こちらは、御手洗池です。


修行中の泰澄が女神(白山大神)と出会い、白山登拝と開山のきっかけを作ったという「御手洗池」は、平泉寺の名の発祥ともなりました。




御手洗池の向かいに泰澄大師お手植御神木がありました。


以下平泉寺白山神社紹介HPより。

養老元年(717年)、泰澄大師による白山開山からほどなく、泰澄自身の手によって創建されました。
当時は平泉や平清水(ひらしみず)と呼ばれていたようです。



泰澄は越前(福井県)の人で、越知山(おちさん)で修行し、女神(白山大神)の招きに応じて、同年4月1日勝山の地を踏まれ、さらに東の林泉にたどり着かれました。

現在も、平泉寺白山神社の一角にあって滾々(こんこん)と水が湧き出ている御手洗池がそれにあたります。



その泉のほとりで祈っていますと、ふたたび女神が、泉の中の影向石(ようごいわ)に出現、白山登拝を促しました。 
そこで泰澄は、二人の行者、淨定行者(きよさだぎょうじゃ)と伏行者(ふせのぎょうじゃ)とを伴って、白山に十泊以上かけて登拝されました。これが白山の開山と伝えられているものです。



三人は山頂での千日におよぶ修行ののち下山、御手洗池(平泉)のほとりに白山大神(女神、伊奘册尊/いざなみのみこと)を祀る祠(ほこら)を建て、その傍らにお住まいになり修行に励まれました。これが平泉寺白山神社の始まりです。

泰澄大師は、それから、夏の間は白山山頂で懸命に白山神を拝され、それ以外の期間は平泉の地、あるいは白山麓の各地で修行されたようです。
その名は段々知られるところとなり、疱瘡(ほうそう)が流行した時などは京都にあった朝廷より招かれ祈祷をされました。

晩年には、最初の修行地であった越知山麓(おちさんろく)に戻り、その地で神護景雲元年(767)逝去されました。八十六歳でした。


前回訪れることのなかった三の宮に上がりました。なかなかの階段です。
夫が遠い。。。と息をハーハーしながら上がってきました。


御祭神はどの神様かなと思って上がってきたのですが、栲幡千千姫命とありました。
織物の神として信仰される他、安産、子宝等の神徳をもつといわれています。



この栲幡千千姫は高木大神(高皇産霊神)の次女であり、天照大神の子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだとあります。

千と千尋の神隠しの千尋のモデルともいわれていて、とても好きな女神様です。
上がってきて良かった🥹






こちらも、前回訪れなかった若宮社です。
御神木が力強くて圧倒されてしまいました。
こんな力強い御神木はみたことないかもしれないと思いました。
エネルギーが吹き出ている感じで、本当にこの御神木、凄いです‼️


娘が小さく見えます。
私達が生まれるずっと昔から日本の歴史をみてきたんです。
大昔から、日本の、この地にお詣りしてきた、この地に住む人々の心に寄り添ってきた、力強さとあたたかさを感じます。
だから、御神木が大好きです。






平泉寺白山神社を満喫した後、福井県といえば恐竜🦕。
神社のすぐ近くにある恐竜博物館に行ってみました。
お母さんと来ると神社ばかり。。。
と言われるので、家族サービスもしなければ😅
いつも神社中心の旅に付き合ってくれて有難う。





なかなか面白い博物館でした。
恐竜のいた時代もあって、今に至っているなんて、地球って凄い星✨ですね。



福井県 永平寺

2024-05-18 06:09:00 | 神社仏閣詣り
岐阜県を出て、福井県に泊まり、曹洞宗の大本山として知られる「永平寺」を訪れました。

770年以上の歴史が生み出す圧倒的な荘厳さの中で、雲水(うんすい)と呼ばれる修行僧たちが修行に励む様子を垣間見れるのが、こちらの永平寺です。



永平寺は道元禅師が寛元2年(1244年)に開創した禅の修行道場。曹洞宗の大本山であり、現在は全国から集まった多くの雲水が厳しい修行の日々を送っているようです。
今の時代に凄いなと思いました。


道元は出家して比叡山延暦寺に上った後に宋に渡り、天童山景徳寺の如浄に入門し、ひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」の禅風を継いで帰国しました。


初めは京の建仁寺に住し、のちには郊外の深草に興聖寺(こうしょうじ、廃寺となった後に宇治市で再興)を建立して説法と著述に励んでいたが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭ったそうです。


道元は、信徒の一人であった武士の波多野義重の請いにより、寛元元年(1243年)、興聖寺を去って、義重の領地のあるた越前国(福井県)志比庄に向かいました。



義重は当初、道元を吉峰寺へ招きました。
この寺は白山信仰に関連する天台の寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここで一冬を過ごし、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立し、これが永平寺の開創となります。



寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めました。
その寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からであり、意味は「永久の和平」であると紹介されていました。

以上Wikipediaより


永平寺は、外を歩くのではなく、すべてのお堂が中の通路でつながっています。



一番最初に、永平寺のビデオ紹介が15分くらいあったので、それを観てからスタートしました。
このビデオがとても良かったです。




永平寺の寺のつくりがお釈迦様の身体であり、頭は法堂、胸は仏殿という感じになっており、修行僧の修行の様子も紹介されていました。



雲水といわれる修行僧が、厳しい修行を自らに課し、生活全ての所作が御仏の御心に叶っているかを常に省みているようです。



『起きて半畳、寝て一畳』は、永平寺のお坊さんの修行から出来たお言葉みたいです。



永平寺で飾られていた額があります。
そのお言葉が素晴らしくて、その額のお言葉が綴られている永平寺の冊子を買ってきました。



心が乱れた時、手に取って読み返すと、フワリとその乱れた心を包み込んでくれるような言葉が綴られています。





神のみ心に添った生き方をしたい、よりよく生きたい、そして社会が、皆んなが幸せになれば良いと心から思います。

お若いお坊さんや、剃髪をした女性のお坊さんもいらっしゃいました。
自らを、このような境遇に置き、戒める生き方なんて、なかなか出来ることではないので、すごい覚悟を持って、永平寺の山門を潜ったのだろうと思います。

修行僧にはなれないのですが、社会生活の中で、思いがけず起こってしまう出来事に対して、真摯に向き合い、自分の行いは神の御心にそっているかを自問自答することで、自我を無くしていくような、そんな日々を送ろうと思いました。
置かれた場所での心の修行が大切ですね。



永平寺を出るとお昼になっていて、お蕎麦を頂きました。
永平寺蕎麦は日本一と言われているみたいなのですが、本当に今まで食べたお蕎麦の中で一番美味しかったです。



岐阜県 白川郷 八幡神社

2024-05-17 05:52:00 | 神社仏閣詣り
岐阜県で行ってみたかった白川郷。



日本昔ばなしのような素敵な集落です。



閉まっているところもありましたが、空いていた家に入ってみました。



昔は本当に人間関係の上下や差別があったのですね。この部屋は主人より頭を上げないようになんて、なんか嫌な感じです😔





あまり時間は無かったけれど、こじんまりとした集落なので来れて良かったです。



集落のすみに神社の鳥居がみえました。


世界遺産の白川郷にある神社で、御祭神は八幡神(応神天皇)です。
こちらにもお詣りさせて頂きました。
石見銀山に行った時の神社と雰囲気が似ていました。



秋葉神社もありました。



このように小さい集落でも、日本人は氏神様をお祀りして、神様を心の拠り所としているのですね。


白川郷には一般の方が今も住んでいるので、夕方5時以降の観光はご遠慮くださいとのことでした。
夕暮れ時、間に合って良かったです。







岐阜県 飛騨一宮水無神社

2024-05-16 06:08:00 | 神社仏閣詣り
飛騨国の一宮の飛騨一宮水無神社は、岐阜県北部、高山市の市街地南方に鎮座する、西南方の位山(くらいやま、標高1,529m)を神体山として祀る神社です。

位山は登ってみたいと山なので、遥拝する事が出来て、近くに来れて良かったです。


主祭神
御歳大神 「水無神」と呼ばれる。

配神
大己貴命、三穗津姫命、応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命

水無大神は、御歳大神とする説のほか、八幡神などとする説もあるそうです。


長野の乗鞍岳から岐阜の高山までは車で1時間くらい。
ペンションの女将さんに、高山は近くて行けますよと教えてもらいました。



位山を調べてから、こちらの神社がずっと気になっていました。
山には登れなかったけれど、お詣り出来てよかったです。





掃除の行き届いた、美しい神社です。



有難うございました❤️