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お山にお宮がたちました

お山の神様と神社仏閣めぐり

四国八十八箇所お遍路 第三十四番札所 種間寺

2021-08-31 05:02:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
第34番札所種間寺は安産祈願のお寺のようです。

一歩前に足を出し、歩き出したお大師様が迎えてくれます。

御本尊 薬師如来
本尊真言 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌 世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり

寺伝によれば用明天皇在位(585年 - 587年)の頃、四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着、航海の安全を祈願して薬師如来刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。その後、弘仁年間(810年 - 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し、堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい、その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号(種間寺)が定められたという。
以上Wikipediaより。

こちらが本堂です。

大黒様がいらっしゃいました。さわり大黒と紹介されていたので、ちょっと触ってみました。

本堂の龍の彫物は髭も爪もリアルで迫力ありました。




こちらが大師堂です。

鐘楼かなと思いましたが子育観音様が安置されていました。左手に赤ちゃんを抱えていらっしゃいます。
周りにはたくさんの柄杓が奉納されています。
ずらっと並んでいるひしゃくはすべて底がないのですが、底がないひしゃくは、母親が苦しまず安産できるようにという願いが込められているようです。


種間寺の安産祈願では、妊婦さんが持参したひしゃくの底を抜いて、1週間の安産祈願をしてお札を添えて妊婦さんに返すのが習わしのようです。出産後、ひしゃくをお寺に納めるようで、現在も年間60人ほどの妊婦さんが祈願に訪れるとか。
安産祈願のお寺と云われる由縁ですね。

こちらは樹齢230年の古木でしだれ赤松と云われている大きな松です。

帰ろうとすると、大師像に隠れて見落としそうでありましたが鳥居がありました。春日神社とあります。
階段を上がると、鹿の絵のある灯籠がある古い感じのお宮がありました。


春日神(かすがのかみ)は、神道の神であり、春日明神または春日権現とも称され、春日大社から勧請を受けた神のことであられます。春日神を祀る神社は春日神社などという社名になっており、日本全国に約1000社あるようです。

御祭神は以下の四柱の神。

武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比売神

藤原氏(中臣氏)の守護神である武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)、祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神をもって春日神と総称される。

このひっそりとした春日神社もお詣りさせて頂きました。


お遍路さんをまわると、色々な神様を祀る神社がすぐ隣や裏山にあったりします。
自然崇拝の神道から仏教伝来、そして神仏習合から神仏分離、廃仏毀釈といった流れがあったことくらいしか知識がなくて、あまり詳しくわからないです。
神社はもともと好きでしたが、お遍路をまわってお寺も素晴らしいなと思う今日この頃です。多様性を受け入れる寛大さが日本の良いところですね。

我が家には神棚も仏壇もあります。神棚では神様に手を合わしますし、仏壇では亡義父を始め先祖に手を合わしますから、私にとり神も仏もどちらも大切です。

昔から人々が手を合わしている目には視えないけど大切にされてきた神様には心から敬意をもっています。
仏様である先祖にも神様の御加護のもと天国で幸せにいて欲しいなぁと思います。


神棚

2021-08-30 06:35:00 | つぶやき
自営業を始めた時、父から神棚をきちんとせんといかんといわれまして、今から10数年前に神棚を祀るようにしました。
その頃は、母から途中でほうるようだったら最初からせられんよと言われて、大丈夫かなぁと自問自答したものでした。

母は信心深くて、実家には神棚もお仏壇もあり、私が子供の頃からいつもきちんとお祀りしていました。
だから、不思議と真言宗のお経は耳に残っていて、お遍路でスラスラ出てきます。

そんな流れでホームセンターで何も考えず神様セットを一式揃えて10数年前からお祀りをはじめました。
何とも不敬で、その頃は1日と15日に神棚に手を合わす感じで、それすら忘れていかんいかんとなっていました。

それが10年ほど前からお伊勢詣りを始めて、凛とした空気の美しさに心を奪われ、毎年多い時は年に3回、最低でも1回は行くようになりました。その頃から神様がどんどん近くなり、自分でも神様の事を調べて、神様の事を大好きになりました。
それと同じくして神棚に向き合う自分の姿勢が変わっていきました。

何も考えず買った神棚は一社のお札しか入れる事が出来なかったので、数年前に伊勢神宮で三社お札が入る神棚を購入しました。伊勢で買った茅葺きの神棚を友達はミニ伊勢神宮とかいってくれ手を合わしてくれます。
山さんが我が家に来てみてくれた時に、素晴らしいと褒めてくれました。

毎朝、起きたら一番に神棚に向かい、手を合わし、祝詞を奏上します。そして家中にお祀りしている神様にも手を合わします。その優しい時間が好きです。一日のスタートは神様へのご挨拶から。

つい先日、お仕事でお世話になっている知人夫婦が新社屋を建てたとかで、そこに神棚がないから用意せんといかんと話していました。
以前、伊勢内宮で私が神棚を買ってきた話をした事があったので、この際、伊勢神宮に買いに行こうと、ご夫婦でお詣りを兼ねて伊勢神宮に行かれました。

可愛い奥様でとても親しくさせて頂いており、私も一緒に伊勢詣りをと言ってくれ、ご夫婦でのお詣りの間、私の携帯にLINEがピンポンピンポンと入ります。
今から鳥居をくぐります。。とか、
今から五十鈴川で手を洗います。。とか、
今から御祈祷所です。。とか、、、
私も連れてってくれました。
私も鳥居前では頭を下げて、五十鈴川のところでは、手を洗いに行きました。笑

御神楽を奉納しようと思われたらしくて、内宮で申し込みをしていたら、丁度、県外の知り合いの会社さんとばったりそこで会ったようです。
従業員さん50人連れて、その会社の社長さんがなかなか観ることの出来ない特別大々神楽を奉納したようで、伊勢神宮の方からもご一緒にどうぞといわれ、その特別大々神楽を1時間かけて観ることができたといいます。
徳が高い方は違いますね。偶然は偶然じゃないですから。
10分そこに着く時間が違ってても特別大々神楽を観ることは無理でしたと感動して話してくれました。

神棚を買って、直ぐに持って帰りたいからと、大きな神棚の入った段ボールをせっせと担ぐ社長さんの写メまで送ってくれました。
五十鈴川にかかる宇治橋を段ボールを持って担ぐ姿は、なかなか珍しい光景で、そんな人伊勢で見たことないから笑ってしまいました。

お優しいご夫婦で母の病気平癒の御守りを買って持ってきてくれました。そんな素敵なご夫婦だから、御神楽の舞を神様の配慮で一緒に観ていきなさいとなったんでしょうね。

写真は伊勢神宮HPよりお借りしました!




四国八十八箇所お遍路 第三十三番札所 雪蹊寺

2021-08-29 05:13:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
第33番札所雪蹊寺は桂浜にほど近い場所にある、民家の中のひっそりとしたお寺でした。



門を入ってすぐ太玄塔と書かれた石碑がありますがこちらは山本太玄(17代住職)と山本玄峰(18代住職)の供養塔のようです。

廃仏毀釈によって廃寺となった雪蹊寺を復興させたのが山本太玄師であります。

「昭和の傑僧」と名高い山本玄峰師が若い頃に遍路の途中行き倒れになっていたところ、当時の雪蹊寺の住職・太玄和尚(山本太玄)に救われたという逸話があります。





この石碑の横に「土居保墓」「土居保妻墓」と書かれた2つの墓石があります。
このお墓は坂本龍馬の日根野道場時代の剣の師匠である土居保(楠五郎)とその妻のお墓で、龍馬が14歳の時から剣の指導をし、人間形成にも深い影響を与えたといわれています。


御本尊 薬師如来
本尊真言 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌 旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明(ありあけ)の月

寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。

『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。

寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという伝承もある。

その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 – 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。
以上Wikipediaより
 
こちらが本堂です。


お地蔵さんと河童ですか?可愛かったです。


自分の体の悪いところと同じところをなでると病気が治ると信仰されているびんずるさんです。

こちらが大師堂です。

馬頭観音様のお宮もありました。

お稲荷さんです。


隣は神社です。


このお寺の雪蹊寺という寺号は長宗我部元親の戒名「雪蹊恕三大禅定門(せつけいにょさんたいぜんしょうもん)」からつけられたようで長宗我部元親と非常に縁深いお寺です。

隣に長宗我部元親公を主祭神とする秦神社があり、お詣りさせて頂きました。歴史好きな人はワクワクするかもしれませんね。


木々が生茂ります。


社殿にてお詣りさせて頂きました。



社殿の奥には長宗我部盛親(もりちか)公の慰霊碑があります。家督を継いだことにより、気の毒な晩年を送ったようです。
盛親は元親の四男で、戦国大名としての長宗我部家最後の当主です。

神社の摂社末社の西宮神社がありました。御祭神は恵比寿様です。




掃除されてなかったのですが上がってみました。誰もお詣りされてないような感じです。




物寂しさを感じましたが、神社の素通りは出来なくて上がって手を合わしお詣りさせて頂きました。

雪蹊寺は素朴なお寺であり、秦神社は素朴な神社でした。


風の時代

2021-08-28 02:04:00 | つぶやき
あっという間に8月も終わりに近づき、時の流れの速さに驚かされます。

8月は私にとり超繁忙期で、例年なら末日まで仕事に追われる感があったのですが、今年は昨日で8月のお仕事が完了し、ひと段落つきました。
流石に昨日は何件かお客様を周り、クタクタになってしまい、帰るや否やバタンと寝てしまいました。

久々に会うお客様と仕事の話が終わると、長々と仕事とは関係のないお遍路の話や神社詣りの話をしたりします。
お話が弾んで楽しくなり、そんなこんなで、ついつい一件あたりの滞在時間が長くなってしまう事はよくある事です。笑
お仕事で出逢って素敵だなと思う方は、神仏に手を合わす事を大切にしていますね。

私より一つ年下の経営者の方は、15歳の時に1回目のお遍路をまわり、今家族と2回目をまわっていると言います。
年下のはずなのですが、スケールの大きな方でやる事が大きくて、カブトムシの幼虫を何百匹も育てて保育園に寄贈したり、お話が面白く昨日も長居をしてしまいました。

太龍寺の話が出てきて、家族はロープーウェイに乗せ、自分は歩いて上がったと言います。
その時に年配の方が階段の上の方の、あとちょっとのところで、お兄さん、もう無理だから納経帳に印をもらってきて欲しい、と頼まれたけど、一緒に休んであげてそれから背中を押してゆっくり連れていってあげた話なんか、心がほっこりしました。
私がロープーウェイで乗り物酔いした話は、どれだけ子供みたいに三半規管が弱いんやって笑われましたけど。

今の世も、素敵な人は溢れてます。
そういう方がされているお仕事はやっぱり優しくて、仕事を始めた頃に不思議なご縁で知り合って、かれこれ10年来のお付き合いなのですが、この仕事をして出会えて良かったなと思えるお客様の一人です。

風の時代といわれますが、もの凄いスピードで時が流れていると感じます。
ここ最近、時間と距離を感じなくなりつつありますが、こんな時代だからこそ、今という瞬間を大切にして時を過ごしていきたいと思います。
今の瞬間の思いや行動、言葉がもしかしたら未来をつくっていってるのかもしれませんから。


四国八十八箇所お遍路 第三十二番札所 禅師峰寺

2021-08-27 00:21:00 | 四国八十八箇所 別格二十箇所
第32番札所禅師峰寺は市内が眺めれる小高い山にあります。この日の天気は曇り。

車は前進駐車です。




境内に入るとすぐに不動明王様がお迎えしてくれます。
奇岩が不動明王様の光背の炎になっている感じで圧感です。

お不動様の隣には小さな鳥居がありその先には弁財天様がお祀りされていました。
この鳥居、とても低くて、しゃがまないと入ってお詣りできません!


とにかく奇岩がたくさんあるお寺で、奇岩の横の階段を上がります。

御本尊 十一面観世音菩薩
本尊真言 おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌 静かなるわがみなもとの禅師峰寺 浮かぶ心は法(のり)の早船(はやぶね)




奇岩前に立つお大師様です。


鐘楼の前には仏足石がありました。


寺伝によれば、聖武天皇の勅命を受けた行基が海上安全を祈願して堂宇を建立したのを起源とし、空海(弘法大師)はここを霊地と感得し虚空蔵求聞持法の護摩を修法、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として祀り、山の姿が補陀落山の八葉の蓮台に似ていることから八葉山、求聞持法を修したことから求聞持院禅師峰寺と寺名を定めたという。
以上Wikipediaより

大同元年(806年)にこの地を訪れた弘法大師が奇岩が並ぶ境内を見て仏道の理想とされる天竺・補陀落(ふだらく)山を感得し、虚空蔵求聞持法の護摩を修法されました。
正式には八葉山(はちようざん)求聞持院(ぐもんじいん)禅師峰寺(ぜんじぶじ)といい、真言宗豊山派のお寺です。
禅師峰寺紹介より

本堂です。

こちらが大師堂です。


お地蔵様が並んでいます。

奇岩の上にお宮が建っていましたのでこちらもお祀りさせて頂きました。

至る所にある奇岩が凄いです。




お詣りを終えふっと上をみるとお花が咲いていました。
ゴツゴツ岩を観て、切り立つ感じの激しさを感じた後だったので何だか癒されました。