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お山にお宮がたちました

七福神

待ちに待った七福神様が我が家にやって来ました。額と弁才天様のお札のみ南予の観自在寺にて購入して、一緒にお遍路をはじめたご夫婦に、買い忘れた六神様のお札をお願いしていました。
そして、このご夫婦も全て買ってました🥰

このご夫婦と、最近はいつも、お遍路珍道中のお話をします。夫婦共にいつも笑っていて、明るくて、そして優しくて、仕事で知り合ったのですが、出逢えた事に感謝しています。

寿老人様

おん ばざら ゆせい そわか
(うん ぬん しき そわか)

寿老人さまは道教の神仙(神)で中国の伝説上の南極老人星(カノープス)の化身とされています。

長寿のシンボルである桃や難を払う団扇を持っており、そしてしばしば鹿を従えた姿も特徴として見られます。

福禄寿様

おん まかしリ そわか
(うん ぬん しき そわか)

道教で強く希求される3種の願い、
幸福(子に恵まれること)
封禄(財産のこと)
長寿(健康を伴う長寿のこと)
の三徳を具現化したもので、宋の道士・天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体異名の神とされることもあります。

容姿としては、背が低く長頭で長い髭をはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴っている姿とされます。


恵比寿様

おん いんだらや そわか

恵比須様は遠方から福を運んできてくれる海の神様、豊漁の神様として信仰され、やがて農民や商人にも広まり、商人には商売の神様、農民には田の神、山の神として豊作の神様となっています。
事代主神ともいわれ、記紀神話の国譲りの項で、大国主神の使者が事代主に天津神からの国譲りの要請を受諾するかを尋ねるために訪れたとき、事代主が釣りをしていたので、えびすが海の神であることが結びつき、江戸時代になってから恵比寿様を事代主様と同一視する説が出てきたようです。

七福神の絵図でえびすが釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿で描かれるのは、この事代主神の伝承に基また、事代主の父である大国主命が大黒天と習合したことにより、えびすと大黒は親子ともされています。

大国様

おん まかきゃらや そわか

大黒天(だいこくてん、マハーカーラ、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもので七福神の一柱です。

マハーカーラ→ まかきゃらや
ですかね。

日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。

須佐之男命の娘である須勢理毘売命との婚姻の後に少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、大物主神を祀ることによって葦原中国の国作りを完成させますが、高天原からの天照大御神の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となったといわれます。

国譲りの際にかつて須佐之男命から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を修復してほしいと条件を出したことに天津神が同意したことにより、このときの名を杵築大神(きづきのおおかみ)ともいわれます。


毘沙門天様

おん べいしら まんだや そわか

ヴェーダ時代から存在する古い神様であり、インド神話のヴァイシュラヴァナを前身とします。

ヴァイシュラヴァナ→ べいしら まんだや
ですかね。。

ヒンドゥー教にはおいてはクベーラともいいインドにおいては財宝神とされ、クベーラを音訳した「鳩鞁羅」、「拘鞁羅」、「金比羅」として言及されています。

これは、金毘羅様とも関係ありますね❣️😳
金毘羅様が発祥した四国に伝わる地元の縁起によれば、インドからやってきて日本の四国の象頭山の頂に降臨し、弘法大師に「祀って欲しい。」と姿を見せたといわれます。
その姿は体に鱗のある龍体であったといわれます。

金毘羅様は津野山の神様でもあり、本当にお世話になっている大好きな神様です🩷

パーリ仏典において、毘沙門天はヴェッサヴァナ(Vessavaṇa)と呼ばれ、ヴェッサヴァナは過去世において「クベーラ」という名前を持ち、スリランカで、サトウキビ畑を有するバラモン階級の富豪として生き、7つ所有していた工場のうち一つで生産されたものをすべてを、2万年間貧しい人々に施し続けたとされる。その後クベーラは、善果を得たことで四天王天に生まれ変わります。

毘沙門という表記は、ヴァイシュラヴァナを中国で音写したものであるが「よく聞く所の者」という意味にも解釈できるため、多聞天とも訳され、日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例であります。

毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺であり、ムカデを毘沙門天の使いとするのは日本独自の信仰であります。

日本最初の、毘沙門天出現霊場の信貴山奥の院、京都・鞍馬寺、神戸市北区唐櫃の六甲山多聞寺 (神戸市北区)、高知・雪蹊寺など、毘沙門天と吉祥天を一対で安置するもの(奈良・法隆寺金堂像など)、毘沙門天と不動明王を一対として安置するもの(高野山金剛峯寺像など)があります。

弁才天様

おん そらそばていえい そわか

弁才天はヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持っています。創造神ブラフマーの妻であり、実在したサラスヴァティー河の化身とされ、流れる川のせせらぎから「流れるもの」を連想する音楽や言葉などの才能をもたらす神とされました。

こちらも、
サラスヴァティー→ そらそばていえい
かな。

日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命と同一視されることが多く、古くから弁才天を祭っていた社では明治初頭の神仏分離以降は、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多いようです。

また、瀬織津比売様が弁才天として祀られる神社もあり、兵庫県六甲山山頂にある大きな磐座をご神体とする六甲比命神社は弁才天を瀬織津比売様として祀っています。

六甲山麓・周辺には弁才天を鎮守神とする寺院が多く、神呪寺の南の目神山の、役行者と弁才天が邂逅したという伝承のある場所の磐座には役行者の像が鎮座しています。
役行者はその後、天武天皇と共に、天河で伊勢神宮内宮荒祭宮の祭神を弁財天として祀る天河大弁財天社を創建したといわれています。

布袋様

おん まいたれいや そわか

唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧であります。

太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩き、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたといいます。
その姿は風変りであったのですが、素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力を持っていたといいます。

謎めいた公案のような問答や、偈や歌も残しており、歌の中では、心の真実の大切さや、閑たる心境を求めることを説いています。

その最期についても不思議な逸話が伝えられているとか。。

天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり(貞明3年(917)に嶽林寺で遷化したという説もある)埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられ、その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録があるようです。

「景徳傳燈録」によると布袋は死の間際に
彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時分を示すも時人は自ら識らず)
—布袋和尚、景徳伝灯録

という名文を残しています。

このことから、実は布袋は弥勒菩薩の化身なのだという伝説が広まったといわれています。
御真言も弥勒菩薩の御真言と同じです🩷


天橋立で買って来た宝船とこの額を一緒に飾りました。
「 永き世の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな 」



何気なく日本人が大切に祀ってきた七福神様は、地球の大きなお役目を担ってくださっている神々のようで、有難いと思いました。

遠の眠りの みな目ざめ

神様は人間の魂の目覚めをあたたかく永い間、見守り待ち望んでくださっているのですね。ありがとうございます。

感謝の気持ちで、七福神様の御真言を宜しければ唱えてくださいね❣️





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