熱帯夜が続き、今朝も若干の不調を感じたので近所の川辺の散歩で済ませた。しかし、最近のニュースを見ていると、日本社会全体の劣化ともいうべき現象が感じられることが多い。北海道札幌の男性の頭部切断持ち去り事件では、容疑者の女性と精神科医の父親以外に母親も逮捕されたとのこと。医師の家族といえば、一般には中層以上の家庭が想像されるが、どうも、家庭内では娘が支配的であったようで、被害者に強い恨みを抱いた娘の犯行に両親も加担していたという。外見的には、中層以上の家庭であっても、一種病的ともいえる家族が増えてきているのかもしれない。
ハイクラスとみなされている家庭といえば、官房副長官の木原氏の妻が、元夫の不審死事件で重要参考人として事情聴取されたとの文春の記事に対して、人権侵害ということで法務省に救済の申し出をしたとのことだが、このことは朝日新聞に小さく掲載された以外、依然として大手新聞社は報道していない。この件で問題なのは、2018年に再捜査の体制が縮小されたのは、木原氏に対する警察キャリア幹部の忖度が働いたからではないかという点であるし、現在、大手マスコミが沈黙を守るのは、官房副長官という内閣のキーパーソンに対するマスコミの忖度である可能性がある点でもある。事件そのものは、事件発生後長年が経過していることもあり、状況証拠や参考人の供述による以外に立証に不安が残ることは理解出来るとしても、警察庁長官が「捜査は尽くされていて容疑は無い。」などと、元の捜査員の発言とは異なることを、軽々に発言したことも疑問だ。また、木原氏が、「場合によっては刑事告発もする。」と言うことであれば、それは、彼の妻の自由な行為ではあるが、権力者である彼自身が、言論を封じたと言われないように、その場合は彼も職を辞してからにしてはどうか。ここまで疑惑を持たれたら、国民は政府が何を発信しても信じようとはしないだろう。
※ ノブレス・オブリージ
19世紀にフランスで生まれた言葉で、「noblesse(貴族)」と「obliger(義務を負わせる)」を合成した言葉。財力、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。法的義務や責任ではないが、自己の利益を優先することのないような行動を促す、社会の心理的規範となっている。
警察キャリアや木原氏のような政府要人となる者は、常に、社会的責任や義務を自覚しなければならないのではなかろうか。どこかの車の修理業者の社長とは、その立場が違うはずである。