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conscience

my diary

眞子さんおめでとう。

2025年05月30日 | 日記
 宮内庁が、一部メディアで報じられたからと、ようやく小室眞子さんが出産したことを発表した。結婚前は、あれほど公務に使っていながら、私人となって皇室から離れた途端、出産しても無視しているのかと落胆していたが、先にメディアに報じられたからとの言い訳を添えたとしても、この事実を発表したことは良かったと思う。かねてから、皇族には人権が無いのかと疑問に思っていたが、例え皇族でなくなったとしても、天皇陛下の姪であることには変わりは無い。おめでたいことに何の変わりがあるものか。一部週刊誌なども、変な方向に詮索するような記事は止めてもらいたい。小室さんも、彼女も、人としての幸福を求める権利があるのだから。
 
 大阪府の岸和田市が、来年度から赤ちゃんポストを設ける方針だとのこと。2007年に最初の赤ちゃんポストが、ある私立病院に設けられて以降、二百人近くの赤ちゃんが預けられたとのこと。批判する人もいるだろうが、止む負えない事情で妊娠・出産してしまった女性がいて、赤ちゃんの殺害や遺棄という事件も連日のように発生しているのだから、今まで、行政が何もしていない方が異常だったのではなかろうか。正しい性教育の徹底を促進するとともに、やむを得ない事情で妊娠・出産した女性と赤ちゃんを助けられるような世の中であって欲しい。
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まだ、コロナには感染していない。

2025年05月29日 | 日記
 日・月にかけての万博ツアー旅行の疲れはようやく取れて来たように思う。懸念していた膝の故障も治りつつあるようだ。これは、自然な経過か、それともプロテオグリカン入りのサプリを毎日飲んでいるせいなのかは分からない。
 昨日は、自転車で市の図書館まで往復したが大丈夫だった。膝が悪くなってから、杖を突いている人や、歩くのに足を引きずっている人などが、やたらと気になる。脚が不自由になるのは、高齢者なら誰でもそうなのか、それとも、他に原因があるのだろうか。ともかく、杖に頼らなければ歩けなかったり、布団の角が足に引っかかったりとする経験をしたので、階段を降りる時には、両足の先を開いて足を降ろすなど気を付けている。まだ、駆け足が十分に出来ないが、徐々に出来るようになりそうな予感がする。
 中国やタイなどでは、再び、コロナ感染が広まりそうな兆候があるとの記事があった。私が行った日の万博会場は人で溢れていて、食事も会場内の食堂で取ったりしたので、コロナなどに感染しはしないかと不安な気持もあったが、
今の所は、その兆候はない。

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万博に行って来た

2025年05月27日 | 日記
 膝が、まだ完全に治っていないのに、両膝にサポーターをつけて、日・月と二日間のバスツアーで万博に行ってきた。万博会場内は、みだしの写真のとおりであり、バスの駐車場から西ゲートまで、ゲートを通過してからパビリオンまでと、兎に角、移動距離が長く、かといって以前行った万博の時に見られた動く歩道などもなく、歩くのに自信の無い者にとっては、かなり疲れた。大屋根リングにも上ってみたが、確かに大した木造建築物であることは確かであるが、一周二キロの距離は、かなり長く感じられた。


 また、パビリオンの予約は、二か所、添乗員が予め取ってくれていて、一日目のオーストラリア館には速やかに入館出来たが、二日目に予約してくれていた館については、予約時間までの間に西側にあるパソナ館の予約なしの行列に並んでみようと思ったのが間違っていて、結局パソナ館に入れるまでに一時間近くかかってしまい、予約してくれていた時間には間に合わなくなってしまった。しかし、パソナ館については、IPS細胞で作ったという心臓と心筋が見れたので入って良かった。
むむむ


 一日目については、午前中、小雨があった為か、人出も多かったものの、それほどでもなかったが、二日目は、周りは人・人・人で、特に東ゲート近くまで行くと身動きが取れないくらいの多くの人であった。土産物を買うにしても、ショップに入るのに折り返しの行列に長時間並ばされた。
 当日予約も、スマホで何度挑戦しても取れず、会場内の当日予約端末にも行列が出来ていて、並ぼうかと思って行ってみたものの、早々と「当日予約の枠は埋まってしまいました」とされてしまった。結局は、コモンズ館二か所と、飯田グループの館の行列に並んで行っただけであった。
 大屋根リング上には、一日目、二日目と上がってみたが、二日目などは、リング上も人の波で、エスカレーターにも行列が出来ていた。幸いリングの上は心地よい風も吹いていて爽快であったが、これが、今後予想される、雨の日とか、気温の高い日であれば、大変なことだろうと想像した。
 妻は、未だに、ポケモンのウォーキングゲームをしているが、会場内にポケモンの像が何か所か置かれていたので、それを発見して喜んで写真を撮っていた。私は、それよりも、マンホールの蓋に注目してみた。


 1970年の大阪万博、1990年の花博、2005年の愛・地球博にも行った経験があるが、最初の大阪万博については、私が少年の時でもあり、修学旅行の途中に行ったので時間的な余裕もなく、ベトナムなどの小さな国の展示を見ただけで終わってしまい、花博と愛・地球博については、ある程度余裕を持って見て回れたと記憶している。今回の万博については、ネット上で流れている様々な批判意見も見ていたが、実際に行ってみて、とにかく、予約を取るのに難しく、結局、長時間並んでしか入れないことから、デジタル弱者に配慮が足りなくて、しかも、脚の弱いような高齢者に対しても配慮されていないと感じた。会場内は、外国人の観光客の姿も多く、その面では、今までの国内の各博覧会よりも国際的であったと思った。
 今回、通天閣のある新世界の近くのホテルに泊ったが、新世界の近くでは、歩いている人は、外国人の数が日本人よりも多く、その中を、外国人が運転しているカートが街路を走り抜けたりしていて、まるで、エスニックな街に入り込んだかのようであった。

 

 今回、万博に行き、新世界の近くで泊って感じたのは、橋下元知事など維新が狙っているのは、大阪をこの万博やIR事業をきっかけに、エスニック的な国際都市に位置づけようとしているのではないかとの感想を持った。現在の我が国は、地方からの都会への人口流失が止まらず、大阪などの都市中心部は益々巨大化していっているが、その中で地方は確実に消滅の危機を迎えているが、このままそういった傾向が続くと、高齢化、人口減少の波は、例外なく大都市にも波及するだろうが、その中で、都市として生き残っていく為には、国際化して外国人材を呼び込む以外には無く、その目的もあり、今回の万博は、東京一極集中になりつつある関西圏の復活の起爆剤となるかもわからないと思った。しかし、故郷を滅ぼして、そんな未来の日本に誰が好んで住みたいと考えるだろうか。この万博は、明らかに、昭和世代の大人達が過去の栄光よ再びということで発想したものと思われるが、結局、俯瞰的に見てみると、我が国の将来的な危機的な状況を一時的に忘れようと、意図せずに企図したものかもしれないと感じた。
 その一方では、歩け歩けとか、行列に辛抱強く並ぶとか、我々、昭和世代が過去に経験してきたことを否応なしに思い出させてくれた。引率された学生集団も多く見られたが、その集団を見ていると、幼い頃に教師に引率されて遠足とかに行ったことを思い出した。日本に未だに残っている集団行動の伝統の一つなんだろう。昭和から続く、我が国独特の古い行動習慣が、この未来に向けたと言われている万博で見られることは皮肉なものだと考えた。新世界に見られるように、無秩序に多国籍化している都市文化の反面、我が国独特の集団行動の伝統が万博で見られたことは、なんとも感慨深いものだった。
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スーパーの棚に米が無かった

2025年05月21日 | 日記
 「支援者から頂いているので、米は売るほどある。」と述べた江藤農相が辞めて、小泉氏が新たな農相になった。都会生まれで、選挙区も都会の新農水大臣が果たして、利権まみれの農水族に切り込んで農業改革が出来るのだろうか。小泉氏にしても、自民党にしても正念場のような気がする。また、JA農協組織にしても、自己の組織を守る為だけではなく、生産業としての農業の効率化、合理化を図らなければ、米国産米などに押されて、日本の農業は壊滅し、農協組織も無くなってしまうぐらいの覚悟で農業改革をして欲しい。
 今日、スーパーに買い物に行くと、売り場の米の棚に米の袋が無く、パックご飯が並んでいた。このままでは、本当にヤバいことになる。
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愚かを知る

2025年05月20日 | 日記
 【愚(おろ)かの者とて愚かを知るは、まだ賢(かしこ)し。賢しとおもふ愚かの者こそまことの愚かの者とは云ふ。】という諺があるが、この言葉から連想するのは、「米を買ったことが無い。」と言い放った現農水大臣や、この発言を聞いて、賢しげに、「これは、公職選挙法の寄附に当るかも知れない。」と言った橋下弁護士などである。
 現在の日本では、貧富の格差が大きくなっていて、シングルマザーや高齢貧困者などでは、米を買おうにも買えないという人が現実にいる。それを、農業政策を担当する農水大臣ともあろう人が、言うことにこと欠いて、「自分は支援者から米を頂いているので米を買ったことがない。売るほどある。」とは、気かが狂っているとしか思えない。米価を下げるようにと、再三石破首相から言われているのにも関わらず、実効的な対策を打つ能力も無いくせに、この発言には腹立たしいのを通り過ぎて、情けなくて仕方がない。何故、米価が下がらないのか、卸売業者が利益を取りすぎていることも原因の一つだと思うが、それよりも、耕作者が高齢化してきて、機械代や肥料代などが高くて、過酷な労働の割には売渡し価格が低く抑えられてきたため、離農者が増えている現状がある。このままでは、近い将来、米作農家はいなくなってしまうという瀬戸際にある。そんな危機感が、この大臣にはあるのだろうか。
 橋下弁護士のワイドショーでの発言も、この人は、フジテレビと中居氏の擁護派だとは以前から思っていたが、農林水産大臣の発言を聞いて、言わなくても良い知識をひけらかしたつもりなのか、「寄付行為に当たるのではないか、政治資金の収支報告書を点検してみるべきだ。」とは、弁護士とも思われない見当違いの発言であった。例え、支援者から貰ったとしても、自宅で消費する分には、公職選挙法は関係無かろう。そんなことも判らないで弁護士を続ているのには恐れ入る。中居氏が、「暴力行為を伴う性加害をしていない。」と言う主張をしていて、それに対して、橋下氏がいらぬ知恵を付けたことによって、中居氏は、弁護士軍団を引き連れて第三者委員会の結論に反論するという挙に出て来たが、確かに、以前の刑法上での性加害の解釈では、殴ったり、脅したりして性行為をしたことによることであったが、現在では、立場上の格差を利用して性行為をするということも性加害と捉えられる可能性がある。また、行為後の期間の経過により直接的な証拠は残っていないだろうが、それなら、中居氏が、何故、9千万円もの多額の和解金を支払ったのだろううか、単に、男女間の交際上のトラブルというのなら、そんな高額な和解金を支払うはずがないだろう。中居氏は、何を意図して、今になって反論しようとしているのかも分からないが、それこそ、今以上に、男として、人として、どうなんだろうか。情けなくて仕方がない。また、幾ら、弁護士でも、そんな男の味方をするなんて、何を考えているのだろうか。私にはわからない。
 永野芽衣さんが、主として女性達からバッシングを受けて、CMや次期ドラマから降ろされているという。彼女は、一応は反省しているようだし、何が悪かったのかは身に染みて分かったことだろう。考えてみれば、子役から人気俳優となり、清純派というレッテル張りがされたばかりに、こんな酷い目に遭っている。自己責任と言えば言えるかもしれないが、これ以上、彼女を非難する必要は無い。これが、例えば、歌舞伎役者であれば、同じような不倫を報道されても、何もなかったように仕事をしている。清純派というレッテルが剥がされたばかりに、ベッキーの場合もそうであったが、執拗にアンチによる非難を受けている。ここでも、男女格差がある。清純派と言われていたばかりに、若手女優であったからとして、世間から許してもらえないのは、度を越しているのではなかろうか。俳優なんだから、役を演じる場合だけではなく、私生活でも外に向けては、永野芽衣というパーソナリティを演じていただけだろう。折角、長年積み重ねて来た俳優としてのスキルが、ここで断たれるというのは悲しい。今後は、清純派という殻を脱ぎ捨てて、演技の上で世間を驚かしてもらいたいものだ。かといって、裸になったり、AV的な映画などには出なくても良い。そんなことは期待していない。
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