膝が、まだ完全に治っていないのに、両膝にサポーターをつけて、日・月と二日間のバスツアーで万博に行ってきた。万博会場内は、みだしの写真のとおりであり、バスの駐車場から西ゲートまで、ゲートを通過してからパビリオンまでと、兎に角、移動距離が長く、かといって以前行った万博の時に見られた動く歩道などもなく、歩くのに自信の無い者にとっては、かなり疲れた。大屋根リングにも上ってみたが、確かに大した木造建築物であることは確かであるが、一周二キロの距離は、かなり長く感じられた。
また、パビリオンの予約は、二か所、添乗員が予め取ってくれていて、一日目のオーストラリア館には速やかに入館出来たが、二日目に予約してくれていた館については、予約時間までの間に西側にあるパソナ館の予約なしの行列に並んでみようと思ったのが間違っていて、結局パソナ館に入れるまでに一時間近くかかってしまい、予約してくれていた時間には間に合わなくなってしまった。しかし、パソナ館については、IPS細胞で作ったという心臓と心筋が見れたので入って良かった。
むむむ
一日目については、午前中、小雨があった為か、人出も多かったものの、それほどでもなかったが、二日目は、周りは人・人・人で、特に東ゲート近くまで行くと身動きが取れないくらいの多くの人であった。土産物を買うにしても、ショップに入るのに折り返しの行列に長時間並ばされた。
当日予約も、スマホで何度挑戦しても取れず、会場内の当日予約端末にも行列が出来ていて、並ぼうかと思って行ってみたものの、早々と「当日予約の枠は埋まってしまいました」とされてしまった。結局は、コモンズ館二か所と、飯田グループの館の行列に並んで行っただけであった。
大屋根リング上には、一日目、二日目と上がってみたが、二日目などは、リング上も人の波で、エスカレーターにも行列が出来ていた。幸いリングの上は心地よい風も吹いていて爽快であったが、これが、今後予想される、雨の日とか、気温の高い日であれば、大変なことだろうと想像した。
妻は、未だに、ポケモンのウォーキングゲームをしているが、会場内にポケモンの像が何か所か置かれていたので、それを発見して喜んで写真を撮っていた。私は、それよりも、マンホールの蓋に注目してみた。
1970年の大阪万博、1990年の花博、2005年の愛・地球博にも行った経験があるが、最初の大阪万博については、私が少年の時でもあり、修学旅行の途中に行ったので時間的な余裕もなく、ベトナムなどの小さな国の展示を見ただけで終わってしまい、花博と愛・地球博については、ある程度余裕を持って見て回れたと記憶している。今回の万博については、ネット上で流れている様々な批判意見も見ていたが、実際に行ってみて、とにかく、予約を取るのに難しく、結局、長時間並んでしか入れないことから、デジタル弱者に配慮が足りなくて、しかも、脚の弱いような高齢者に対しても配慮されていないと感じた。会場内は、外国人の観光客の姿も多く、その面では、今までの国内の各博覧会よりも国際的であったと思った。
今回、通天閣のある新世界の近くのホテルに泊ったが、新世界の近くでは、歩いている人は、外国人の数が日本人よりも多く、その中を、外国人が運転しているカートが街路を走り抜けたりしていて、まるで、エスニックな街に入り込んだかのようであった。
今回、万博に行き、新世界の近くで泊って感じたのは、橋下元知事など維新が狙っているのは、大阪をこの万博やIR事業をきっかけに、エスニック的な国際都市に位置づけようとしているのではないかとの感想を持った。現在の我が国は、地方からの都会への人口流失が止まらず、大阪などの都市中心部は益々巨大化していっているが、その中で地方は確実に消滅の危機を迎えているが、このままそういった傾向が続くと、高齢化、人口減少の波は、例外なく大都市にも波及するだろうが、その中で、都市として生き残っていく為には、国際化して外国人材を呼び込む以外には無く、その目的もあり、今回の万博は、東京一極集中になりつつある関西圏の復活の起爆剤となるかもわからないと思った。しかし、故郷を滅ぼして、そんな未来の日本に誰が好んで住みたいと考えるだろうか。この万博は、明らかに、昭和世代の大人達が過去の栄光よ再びということで発想したものと思われるが、結局、俯瞰的に見てみると、我が国の将来的な危機的な状況を一時的に忘れようと、意図せずに企図したものかもしれないと感じた。
その一方では、歩け歩けとか、行列に辛抱強く並ぶとか、我々、昭和世代が過去に経験してきたことを否応なしに思い出させてくれた。引率された学生集団も多く見られたが、その集団を見ていると、幼い頃に教師に引率されて遠足とかに行ったことを思い出した。日本に未だに残っている集団行動の伝統の一つなんだろう。昭和から続く、我が国独特の古い行動習慣が、この未来に向けたと言われている万博で見られることは皮肉なものだと考えた。新世界に見られるように、無秩序に多国籍化している都市文化の反面、我が国独特の集団行動の伝統が万博で見られたことは、なんとも感慨深いものだった。