どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

〇元旦の電話。

2021年01月08日 | いつまでもウダウダと

正月には、年賀状に返事の電話がかかる。日ごろあまり電話をしない人がおおい。

元日に、姉を介護している友人から電話があった。

長い間、互いに介護の愚痴を言い合ってきた仲間である。

妹の訃報を知り、友人は静かに泣いた。何とも形容のしがたい涙であろうと、推察する。

妹を失った私の気持ちへの涙。

姉よりも早くに亡くなった妹への涙。友人は妹と同い年でもある。

そして、今もなお姉の介護に、昼も夜もない自分の現状への涙もあるだろう。

二人とも電話の距離を置いて、沈黙したままであった。

友人はこの先にも、姉の入所問題や、経済的な問題。自分の老いの問題を抱えていく。

つい3か月前まで私が丸抱えで、苦闘していた現実である。

それがなんの前触れもなく消えてしまった私の空疎を、友人は想像しているのだろう。

私はふいに自分からそういう苦しみが離れたと感じた。

介護の苦労はないけれど、わけのない虚しさが身にくいこんでくる。

その空疎を友人は察しているようであった。介護とはそういうことであるらしい。

どんなに頑張っても亡くなられると、悔いが、むなしさが後を引く。その報われなさが哀しい。

苦労から解放されて良かったね、とよく言われるが、そういうことではない。

取り残されたように友人は泣いている。

お姉さんを大切にしてあげてほしいと私は控えめにいった。

そんなきれいごとではないことを、私はよくしっているのに。

今となっては友人がお姉さんを大切にしてあげてほしいと思う。

お姉さんをささえるのは、あなたしかない。

友人の複雑な思いを私は強く感じる。

私に出来ることなどないけれど、知らん顔はできまい。