目前の80

まだかもうか

今回のHANAGATA

2017年07月30日 | 楽しい後期高齢生活のために
真夏に忠臣蔵というタイトルである。

HANAGATA大すき人間のわたしは、おおいに期待した。

あの、お涙ドラマを狂言が!って、それだけでうれしい。

が、やっぱり日本人がもつ忠臣蔵のイメージを塗り替えるのってむつかしかったのかも。

とくにラストが暗かった。

見たあと、いやにしんみりしている私。狂言でこれはないでしょう。

やっているのはHANAGATAメンバーなんだから。

最後は笑いすぎて涙、ということにしてほしかった。

舞台をやたらに暗くしないで、つまり灯りをつけて。

エンディングはもっとにぎやかにね。

5人で47士を演じ、脇役もやっちゃうというすごさはよかった。

今回の出色は童司の女優志望のクレージー娘。

どうしてあんなにクレージーさがはまっているんでしょうか。

ハラを切れないおじさんにゴウを煮やし「私が…」と、刀をとりあげむかっていく。

え、そんなのおかしくない?私はすきです。


レンズは単焦か多焦かそれが問題

2017年07月27日 | 楽しい後期高齢生活のために
白内障の手術をすることになった。

全国で年間100万人が白内障の手術をうけるらしい。

私は10年程前に右目黄斑の手術をした際、右だけ白内障の手術をうけた。

10年の間に手術や麻酔、術後の注意などもかわっていた。

一番変わっていたのがレンズだった。

前回では焦点が1メートル先で固定するものしかなかった。私の右眼はそれである。

今回の説明で多焦点レンズを医師がすすめる。

これにすると眼がねは不要、つまり健康体の眼にもどる。

が、年間100万人の白内障手術者のうち、多焦点レンズを選択する人は1パーセント。

まあ、そうだろう。まず、保健は効かない。片眼40万円。両目80万円。

白内障の手術を受けるのは老人だ。この先の使用時間によっては高い買ものである。

私はすでに右が短焦点なので、単のほうにしたが。

単か多か、それがもんだいという年齢は微妙。

両目単焦点レンズでは、今まで使っていたメガネがすべて使えないんだって。

そっちが痛い。

今年は特別暑いと毎年言っている

2017年07月24日 | 楽しい後期高齢生活のために
今年はなにもしたくない。やろうとする前に危機感をもつ。熱中症でたおれそう、とか。

足が重く外にでると、暑さで足が上手くうごかない。つまずく。

こんな状態で外出は無理と、予定をキャンセルする。

が、1日の歩数はかわらない。歩幅が狭くなり同じ距離で歩数だけが増えていく。

危ないなあ。

でも若者は花火大会に昼間からやってきて、太陽の下でさわいでいる。

ぬうーー。すでに彼らはこの地球に順応したのだろうか。

外で仕事をしているひとの事を考えると憂うつ。

やがてアフリカ生まれの暑さに強い人が上陸し、日本はアフリカ状態になりそう。

生き残るのは暑さ順応した人と、冷房の中でパソコンと繋がっているロボットだろう。

暑さに弱い人はナウマン象みたいに水に頭突っ込んで絶滅するのだな。

自分で自分の環境を壊して、絶滅する生き物って、たぶん人類くらいだろう。

じっと出番をまっている次世代って、何者か。


レンタルファッションの便不便

2017年07月21日 | 楽しい後期高齢生活のために
月3枚服をかりる。1枚ほぼ2000円程度の費用である。

今回で3回目、問題点も出てきた。

×なことは、この季節、1日着れば汗になる。場合によっては襟元を汚す。

が、洗濯はできない。

今の素材では簡単な手洗いでアイロンも不要となものはおおい。

1度しか使えないとなればレンタル料は高い。

また、自分の顔色と相容れないカラーの場合は、着ないことになる。

○と思うところは、ショッピングをしなくてもいいことか。

ショッピングはしたいが、体力がない。近所の店だけでは物足りない。

レンタルだと人任せはいやだが、マンネリからは離れられる。

家に捨てにくい服がたまらない。

こう考えると、今のところ、便利のほうが勝っている。

こんな便利なものがあるのは老人にはありがたい。

とはいえ、これは働く20代から50台へのサービスであった。

アイテムを選ぶときに苦心するのも×に入るなあ。



はしゃぐ老人

2017年07月18日 | 楽しい後期高齢生活のために
今の年よりはいつまでも若々しくとか、私が私がと人前にしゃしゃり出る人がおおくなった。

年寄りが3人寄るとやかましい。目、耳、足腰、舌もろくに回らないのにうるさい。

自分はまだまだ若い、元気だと思っているからである。

いつの頃からか今の年よりはそうせよと、乗せられてきた。

100歳でも現役などという稀なひとが、テレビにドンどこ出る。

そういう人を毎日見せ付けられると、じっとしていられないのが人情。

とにかく中年をすぎると急に若返りなどと言い出し、はしゃぐ。

昔の大人は3人寄ろうが10人寄ろうがはしゃいだりはしなかった。

ファッションも、行動も年寄りの基準を持っていた。

年寄りが目立つのはみぐるしいこととされていた。

年寄りが若者の真似ナンカしなかった。

では、みっともないからって、むかしの老人のようになれるかというと、無理だろう。

もう後戻りできない。する気もない。若ぶることは楽しい。

が、いつまでモツカといえば、もうそこに、寝たきり認知症が蓋をあけてまっている。

こんな軽率でぴらぴらしたまま、寝たきりや認知症になるのは悲しい。

いつの間にこんな軽薄な年寄りになっていたのだろう。

やっぱり一億総白痴といわれたあたりか。白痴なあ、ぴったり。

成仏とは生きている間にすることか

2017年07月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
「終わった人」、内館牧子氏著のタイトルである。

私は60代で終わった人という意識をもたなかった。

ミーハーなので、世間でいう「自由」「好きなこと」に飛びついた。

おかげであまり悩まずに60代を比較的たのしい、いや、人生でいちばんたのしい、時期であったと思う。

私の終わった人感は、この本によってもたらされた。鈍い人なのである。

今まで終わったひとという感覚をもったことがなかった。

が、良く考えるとそういう日が来るんだ。

いや、すでに80歳をまえに体力、やる気がぬけていきつつある。

なんだか最近身の回りがウソさむくは感じていた。

誰からも必要とされない、いや邪魔扱いをされる日が生きているとやってくる。

と、やや強引に悟ることとなった。

終わらない人というのもいる。

本人が気づかないだけという悲しい状態ではなく、ほんとに90になっても終わらないで生きていると思える人。

私はそういう人ではないとふいに感じてしまった。

どうするべえ。いやだ、終わった人はいやだと思う私。

牧子さんに言わせると、それは成仏できていない人ということになる。

うーん、成仏とは生きている間にすることだったのか。

私は「終われる人」をめざすべきなのか。

出来なくなったことへの未練

2017年07月12日 | 楽しい後期高齢生活のために
年々できなくなってゆくことがふえる。

が、出来ないことにしつこくこだわる私が居る

今までは何かが出来なくなってもそのときには継ぎの新しいことに手をつけていたから、未練はなかったのだろう。

が、ひとつのことに固執すると、あたらしいことに目がむいていない。

これがいけないのかも。体力のせいで出来ないことはしかたない。

無理をしてもできないことはできない。なら、すばやく今できることにチェンジしたらどうだ。

とはいえ、その新しいことへの興味がどんどんへってゆく。

そんな日が来るとは思ってみなかった。

今出来ている楽しみが、そろそろ無理なことは知っている。

コレの代わりに、何かを…。


効果大だったリハビリ

2017年07月09日 | 病を斜めから見る
妹に介護保健の訪問リハビリを開始して1か月すぎた。

2週間に1回、1時間、家のキッチンで妹は料理をつくる。

結果、妹は明るくなった。物事にも興味をもちだした。

ここに至るまでの4年間、なにをしても反応はなかった。

今やっとリハビリをうけいれ、結果を出せるところにきた。

それまでの長い準備期間がたいせつであったこと。

1年位前から徐々に変化はあったが、あわてなかったこと。

いろいろ大切なことはあるが、これで前方が開け始めたと思う。

テレビをみたり、番組の料理をまねて夕食の一品をつくったり、いままでとはちがう積極性がある。

一生このままかと思ったこともあったが、4年間の努力が無駄になっていないことがうれしい。

 今は外から人に入ってもらうが、いそがないで、本人が外に出て行ける日を待つ。

似合わない服がやってきた

2017年07月06日 | 楽しい後期高齢生活のために
おまかせファッション、2回目の服がきた。

箱をあけて、うぅっとなる。私のニガテな色でまとめている。

やわらかいベージュ系である。

コレを着ると、顔のクスミがよけい強調され、疲れて見える。

これを七月に着るのはつらい。太陽が明るく、まわりの空気も原色なときになあ。

しばらく考えるが、何がくるかはお任せであった。しかたない。

まず、無難に顔から遠いところのパンツに手を出す。この色に手持ちの色はどれも合わない。

で、最後にクロをもってきて、帽子に思い切りの色をつかう。

まあ、これで1点はクリアとしよう。

あとの花柄ブラウスは難物。白いパンツでごまかそうか。

あずき色のブラウス、これが意外とおちついて、よかったのか。

というわけで、無理でもやりでもやってみて、固定された自分色を破るところがいいのかも。

こういうところで、頭使うのもいいべんきょうだし。


自分の家に他人を入れる抵抗

2017年07月03日 | 楽しい後期高齢生活のために
 妹の欝がひどかったとき、だれも家にはいらせまいとした時期がある。

介護保健のリハビリを受けるようになり、家には介護関係の人が出いりするようになった。

 狭い家ではプライバシーはない。家の隅々まで他人の眼に晒される。

が、相手はプロなんだし、仕方がないときっぱり、隅からスミまでみてもらうことにした。

 食器棚から、トイレまでということになる。

 他人を家にいれたくないという理由で、介護や手伝いの人を頼まず、入院もせず頑張る人を

みかけるが、どうだろう。

しんどい目や無理をしたくない私は、プロを信じ、家に入ってもらうほうを選んだ。

長い老いの人生を送る覚悟なら、早い段階でそういう受け入れへの抵抗はなくしておいた

ほうがらくではないのかなあ。

どっちにせよ、必ず人の世話にはならねばならぬ。世話になるとは、家の隅から、体のスミまで

オープンだと心得たほうがいいよね。