目前の80

まだかもうか

遺言執行人の怒り

2017年04月30日 | 楽しい後期高齢生活のために

遺言書作成にあたり、夫を亡くした友人に遺言状について聞いてみた。

遺言書が開封され、すべての財産を妻にと書いてあた。

が、銀行が口出しをしたそうだ。

 つまり夫の兄弟またはその子供たちから「遺言の中身に異存なし」というハンコをもらってこいという。

そうでないと名義はかきかえない。

遺言状が正しいことは認めた上で、なおかつ銀行がガンとゆずらなかったという。

反論しても頑としてゆずらない銀行に怒り、疲れ、根負けした結果、

イヤになるほどいる夫の兄弟のその子どもたちから同意の印鑑をあつめてまわったという。

公証役場とはなんなんだ。遺言書はなんのためのものじゃと憤懣をぶちあげる。

特に指定しなければ遺産を受けるものが遺言執行人となるそうだ。

遺言執行人、つまり遺産を受け継ぐひとに銀行がこうした指示をだすという。

亡くなった兄弟の子供が、なんで私の財産に口出しする権利があるのかわからん

と友人は怒り心頭であった。わかる。

今は元気でも遺産を受ける頃にはよぼよぼで、元気なく、きっと銀行に負けますね。


弁護士のアドバイス。銀行は間違。単に自分とこの都合だけ。

公証役場の遺言状は絶対です。どうしてもというなら、法務局か公証役場へ。

ですって。

障害介護と一般介護

2017年04月26日 | 楽しい後期高齢生活のために
障害者が高齢になった場合、一般介護保険にきりかわることになっている。

妹に生活指導をうけさせるため、介護保険を申し込む。

このさい介護者の姉も同時に検査を受けることになった。(なんでや)

市役所からケアマネさんがやってきた。

二人並んで所定の質問にこたえ、体の動きのテストをする。

妹は張り切って日時を答えたり、ひっくり返ってみせている。

おとといの夕ご飯も思い出してこたえる。

おーそうかい、そういう記憶は頑張ればでてくるわけか。

いろいろ意外な妹の面が見られた。

私にしても、めまいとか、指の動きの問題など、ひごろはあまり気にならなかった部分に問題があることに気がつく。

同時に生活の中でよく怪我をする場面の指導もうける。

こうして介護保険不要という結果がでたあと、障害介護のもうしこみをし生活支援を受けることとなる。

ややこしいなあ。

文楽のナナメ鑑賞

2017年04月23日 | ほう、へーな話
年二回の文楽、今年は4月公演をみる。

午後、楠昔噺 曽根崎心中であった。

席がヤヤ前よりなため、浄瑠璃の歌詞字幕は舞台の上部、首がいたい。

太夫三味線席は舞台右横、左肩にくる。これに舞台も会わせ、三点を一度には見られない。

4時間半という長時間である。明日は腰や肩にドンと負担が来る。

そこで、どこを中心に見るかをきめてみた。

楠昔噺では太夫と三味線に注目。うーー、すごい。長時間よくもこんなに大声でとうなる。

泣くにしろ笑うにしろ全開である。

が、舞台上の字幕を横目で見ているうちに詩の美しさにふと、習ってみたいという心が動いた。

 曽根崎は人形に注目する予定であった。

まくがあき、小窓から外をみるお初に眼はくぎ付け。色っぽい。

そこから思いもよらぬ死へと向かうお初の奔放さ、迷いと恍惚の美しさをみせる。

ふと、それまで全く姿を見せなかった人形遣いに目がゆく。

いったいこれはドンナ人が…。こういうところが私のナナメなところかも。ちがうか。

みるとこのお初の使い手は全くの無表情。この世との別れに惑うお初とは真逆である。

太夫と三味線は暴風雨じょうたい。人形遣いは水のごとく鏡のごとくに。

普通、オペラなどは舞台全体でもりあがるものだがなあ…。

文楽のストーリーは考えられないほど荒唐無稽。昔の人って過激だったんだ。

 帰ってからも舞台が頭から離れない。やはりあのくらいやらないとダメなんだろうか。

1日28秒は多いのか少ないのか

2017年04月18日 | 楽しい後期高齢生活のために
今、現代を生きるための脳科学という講座を受講中です。

脳の構造とその役割から説き起こし、なぜ現代にストレスがおおいか。そのストレスによって何がおこっているか。

また、その問題を脳科学的にどのようにすれば解決できるかとい趣旨の講座です。

人間には原始時代から備わっている自分を守る機能として、笑う、笑って自分を改善するという流れを持っているとか。知らなかった。

人とサルがちがうところは、自分の痛みだけではなく、他人の痛みも知る機能もそなえたことだとか。

そのため、痛みに寄り添い、人の役に立つことで幸福を感じるようにもできているらしい。そうなのか。

うまいこと出来てますが、人の事などにかまっていられない、人をいじめ、傷つけて満足する人も増えている。となればサルにもどっちゃうんでしょうかね。

 せっかく備わっている笑い、笑って痛みを和らげ、人の役に立ちたいという脳の機能をもっと使うか。

日本人が声を出して笑う時間が平均1日28秒。多いでしょうかすくないでしょうか。

なぜ老人はいそがしいんだろう

2017年04月16日 | 楽しい後期高齢生活のために

人と約束をするため年寄り同士スケジュール手帳をひらく。

そんなに書き込んでおかないと覚えられないほど予定がつまっているのだ。

一体何がつまっているかというと。

最近は医者がよいがふえた。

内科、整形外科、歯科、眼科、性別により泌尿科や婦人科、プラス針灸整骨どなど。

あまりの多さにそれでいいのか、と自分に問う。

「老人よ医者になどかかるな。潔く死ね」

などという人もいるが、まあ、かっこはいいが、実行できるヒトはすくなかろう。

私だって、歯ががたがたになり、物が噛めなくなれば1も2もなく医者に駆け込む。

元気なのに物が食べられないのはたまらんからだ。

腰が痛い。肩が痛い。足が痛い。痛い、いたい。これでは何もできない。医者だ医者だ。

治療というか痛みへの応急処置である。

せんせい、これで死ぬまでもたせてくださいね。

ああわかったよ。あんたしだいや。

わははと笑っているがそれがいつかわからないから笑えもし、不安でもある。

わかったらどうなんだろう。あと、半年ね。あ、そうですか、よかったです。

という具合にはいかなかろう。


現代を生きるための脳科学って

2017年04月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
多くの関心があったのか、教室はいっぱい。

妹の病気をさぐり、家族としてなにか出来はしないかと参加する。

といって、1時間半でそんな大それたことが判明するともおもえない。

ただ、ストレスによる人へのダメージの恐ろしさは毎日実例が絶えないのでよくわかる。

講座開始まえにアンケートをとった。

問い アナタは今幸せと思っているか

という問いがあった。私は自分は幸せだと思っていると回答した。

自分は幸せと思える人のほうが、自分は不幸だと思う人より長生きするデータが出ているとのことであった。

悪いほうに、暗いほうにしか物を見ない人は、それ自体がストレスなんだろう。

話をききつつ。妹がこういう思考に取り付かれ、病んでいるその先にもやはりどこかでストレスをうけ、前頭葉が萎縮したのかもしれないと感じる。

対策 明るい生活環境。人から認められる行動。自信をもつ。

といった流れが有効であるという。

質問あり。
いったん落ち込んだ者をどうすれば明るい方向転換をさせられるのでしょうか。と。

ああ、この人の身近にもだれか妹のような人がいる。



無視でもなく見守るとは

2017年04月14日 | 楽しい後期高齢生活のために
ここ2日ばかり妹はいいぐあいだった。

計画的に生活をし、人にも社交的であった。

が、今朝でおわったらしい。

一人でもくもくと一方的な行動をし、それがさえぎられると飛んでもないことをへいきでする。

トイレの掃除中と知るとベランダで用をたす。

が、わたし、全く反応せず。前回でこりた。もう具合が悪い時に一切かかわらない。

すると注意を喚起するかのように、寝る前にのむ薬を飲んでみせた。

が、今回は動じない。つぎは外出すると言い出す。

考える。どうするか。危ないが、遠くには行くまい。

ここで止めたらよけい無茶をするだろう。

私が熱くならない事でいままでとは違う方向にむいてほしい。

昨日まで2日ほどは信じられないくらいおだやかであったのだから。

何をしても命にかかわらなければかまわないからいい日をふやしてほしい。。

元気といわれる老人は時に醜い

2017年04月13日 | 楽しい後期高齢生活のために
ずっと受講している講座がある。

4月は新学期として講座前に世話役さんたちの挨拶がある。

創設者である方は今年85歳。お元気ではつらつである。

が、こういう人って迷惑なこともある。

集まった人は当日の講義が目的だから、主催者も気を遣って挨拶は短めにとなっている。

が、このじいさんには聞こえないらしい。一人で20分占拠した。中身は自慢話。

自信満々、はつらつと自分の座右の銘を謳いあげる。自己陶酔の世界は醜い。

最後の拍手はイミちがうんだけど、ご本人はうれしそうなの。

そのうえあとの代表に「挨拶はみじかく」と言ったのは笑った。

老人、特に元気で、過去の実績に大いなる自信を持つひとほど迷惑な存在ってないなあ。

おかげで後輩である当日の講師はどんだけ迷惑だったろう。気の毒である。


80までの遠い道

2017年04月12日 | 楽しい後期高齢生活のために
最近急に心体ともにガタガタしはじめる。

過去70台にも60台にも乗り越え経験を積んできたというのに、ここにいたって、突然心細くなる。

今までの経験がやくにたたないらしいことに気がつきはじめた。

今までなら、故障ができても治療すれば時間はかかってもまあ、よくなってやっていけるというパターンだった。

が、今回はどうも違う。

良くならない。よくなる気配がない。一度怪我をするとそのままずっと持ち込みになってしまう。

医師は、なにを今頃そんなことという。年なんだから当たり前のことだと。

たぶんみなさん今までと80代越えはちがうと感じていると思う。

なぜか。今まではいくら悪くても「死」までは視野に入ってこなかった。

が、今回何かあるごとに視野に死がちらつく。

これを死ぬまでもって行くのかと。

何かを買ってもこれはたぶん死ぬまでつかうな。

死をいろいろな形で意識し始めている自分。

これが今までの山坂と違うことで、死などに気を奪われなければのんきなものなのかもしてない。

でも、自然そうなるというのも自信がないからだろう。

なかなか80代の坂は容易ではないと思うべき。

超えられるか、挫折か。うーーん。

介護者へむける医師のまなざし

2017年04月11日 | 病を斜めから見る
私は妹の主治医に不満をいいすぎている。

何故だろう。家族の苦悩を理解し受止めてほしいからだ。

いい医者とは、家族へのやさしいまなざしではないだろうか。

介護は母や妻や、ある家族のだれかに丸投げされている場合が多い。

 介護者は家族からも周囲からも理解されない。

頑張っても、どこからも評価もなくむしろ、甘やかすからとか、もっと頑張れということにさえなる。

そんな家族の孤独を医師が理解してくれさえすれば、介護者は強い味方と感じる。

どうした。だいじょうぶか。しんどいだろうね。よくやってくれている、

というまなざしだけで、介護者は元気になれる。

だが医師までが、疲れています。これ以上むりですという所へ、周囲と同じことを言うのでは介護者はたまらない。

もういい、どうでもいいという投げやりなきもちが、やがていろいろな事件へとつながっていくのではないか。

 介護者を孤独にさせない。そのためにも周囲、とくに医師の介護者へのいたわりは大きいのだが。