目前の80

まだかもうか

いつまでも自分らしく、と申されましても

2018年12月16日 | 楽しい後期高齢生活のために
いつまでも自分らしくというフレーズを何の気もなく聞き流していた。

が、最近、待て、と思うことが増えた。

いつまでも自分らしくあれとは、無理だろう。

80になるとそうそう自分らしくは生きられない。

体が言うことをきかないと、自分らしさなど保てない。

思うようにいかない日々にいらだつと、どこが自分らしい生き方だとぼやきたくなる。

そう、年と共にいやも応もなく、人は自分らしさなどかなぐり捨てないと生きていけない日がくる。

自分らしさとは何だろう。

自分らしいとは、ねえ?

明日香歴史文学講座であるが

2018年12月12日 | 楽しい後期高齢生活のために
仁徳天皇陵発掘報告会がいつもの講座に付録でくっついていた。

すると日ごろ見ない顔ぶれがいきなり増えていた。

そういう人たちの会話というのがもう、全部発掘の話である。

楽し気に、嬉しそうに次から次から、どんどん話が展開する。

ああ、そういう世界の人たちだなあ。天文の人もそうだった。

趣味の人も本職人もごっちゃんまぜになって何時間、何日でもえんえんとそういう世界の話ができる人たちだ。

年齢関係なく、時には小学生がえらそうな顔でまじっていたりしたもんだが。

明日香は真冬気温だったがみなさんかなり熱気高まっていた。

昔なら残って話を聞くわけだが、今や時間になるとそそくさと席を立つ。

なにしろ5時を過ぎれば暗くなる。それが困るという情けないことになってしまった。

老いたのである。

刷毛をもらってしまったぞ。

2018年12月09日 | 楽しい後期高齢生活のために
ささやかな工事は終わった。終わるまで数回の話し合いがあった。

1回目はこっちからの希望申請。

2回目は希望を具体的に絵にして見せてくれた。それを見ながらさらに計画を具体化してけってい。

3回目最終案を検討。決定案に合わせて請求書も作られ予定日が決まる。

そして工事に入ったら、結構ずれがあった。

こんなちっこい工事でもなあと感心。人の思いは他者に伝わりにくいんだ。

二つのつもりがひとつであったり、お願いしたつもりが言ってなかったり。

それでも予定どおりにかんせいした。完成を見てさらにあれ?という所がでてきたりする。

一番思惑が違ったのは色であった。

柱、ドア、敷居をぬりなおしたが、一部塗れていないと感じる。

で、連絡をとると初めからそういう予定は入っていなかったとのこと。

それならそれでいいのに、つい、できもしないのに自分で塗るといってしまった。

馬鹿だなあ、若いころにできたからって、今さらできはしないのにと後悔していたら。

最近こういう馬鹿なことがおおいと反省。

数日後請求書と共に「これ使ってください」とペンキ塗りの刷毛を差し出された。

えええー、そんな。と絶句。

真新しい刷毛である。工事に使ったペンキと同じ色のペンキもそえ、塗るための小分け容器までついている。

こ、これはまた。参ったなあ。こんなにしてもらったからには私は塗ります。

でもこういう人とは思わなかった。いい人とは思っていたが。

やたらにうれしいではないか。今後も用はないけど仲よくしようッと。。

老いるむつかしさ

2018年11月27日 | 楽しい後期高齢生活のために
ある会場で隣に座った老婦人がいきなり「おいくつですか」と話しかけてきた。

前振りなしのいきなりだったので絶句。

いくら老いていてもここまで唐突に人に年をたずねるものだろうか。

悪気などまったくない顔である。年を隠すつもりはないにしろ、不愉快である。

「こたえなければいけないですか」と問うた。

すると彼女はちょっと得意げに「私は84歳です」という。

はあ、とあっけにとられる。日ごろ「お若い」といわれているのだろう。

それがうれしいのだろう。

そして知らない人に声をかけてお若いと言ってほしいと思うようになったのだろうか。

得意でもあり。誇りかもしれない。が、同年代から見ればちょっと違うんじゃないか。

今頃の老人は腹が立つほど「お若い」お若いというより幼稚かもしれない。

老婦人はさらに反対横に座った若い女性に「私84歳ですの」と話しかけた。

若い女性は一瞬間をおいてにこやかに言った。「まあ、お若いですねえ」

老化って、こんなに無残なのか。反省しよう。

日ごろなにげなく80歳だ、ハチジュウだとあちこちに言い歩いているが、人が見たら

なんでや、とおもうだろう。聞いて、「おわかいですね」と言言わなければと思うかもしれない。

そういえば最近、お若いといわれたかも。

若者から見れば80だろうが90だろうが、どっちでもおなじだ。

やれやれ年を取るのがこんなにヤヤコシイとは思わなかった。



服をすてる厄介さ

2018年11月22日 | 楽しい後期高齢生活のために
服を捨てるのは難物であった。

どう難物であったかというと、一つには老いてもう似合っていない服に執着するという問題であった。

が、さすがにそれはわかる。わかる以外に道がなくなっている。

2番の問題はけち根性。もったいない根性である。

古い服を作り直そうという根性がじゃまをする。

悪いことに私の今の趣味が、ソーイング。

物を作り直し、新しく生まれ変わる物を見るのが楽しくなってきた。

こういう趣味は、昔はなかったのだが、これも老いの印かなあ。

どっちにしろ服はすてるしかない。

今はレンタルを使っていて、新しく服が増えるという悩みは減っている。

これでいいのだ。成功を祈る。



本を捨てる

2018年11月16日 | 楽しい後期高齢生活のために
最後の整理にあたりまず、本をすてることにした。

鉄腕アトム、火の鳥、リボンの騎士、あんみつ姫……。

よくも今まで頑張ってきた。

坂田靖子、玖保キリコ、長谷川町子!いや、サザエさんだけはなんとかしたい。

今しばらく、しばらく。

パワーオブ10、ルネ・マグリット、キャパ、中原純一、……きりがない。

棺桶にでも入れてほしかったが、あきらめよう。

って、これらをそれほど頻繁に見ていたかというと、見てない。

が、押し入れの奥にそれらがこっちを向いているというだけでよかった。

安心していた。では、それらが押し入れにもうないとわかれば私はやっていけないのだろうか。

親や友はどんなに惜しんでも逝ってしまった。どうすることもできなかったではないか。

それらを失っても私はやってきたんだもの、行けるハズである。

本である。たかが本で。しかもみなどおちゅうこともない、本なんだよね。

エイっ!

買い物疲労の原因

2018年11月05日 | 楽しい後期高齢生活のために
冷蔵庫、パソコン、エアコン、洗濯機、ベット、カーペット、布団など今年は家具など買い替えの年になってしまった。

ベットを買うときに耐用年5年という文字をみて、考えた。さーどうする。5年でいいのか。

女は100までとは言われても、しょせんは昭和生まれである。

100歳までと言われているのは昭和も後の生まれの人のことで、戦前生まれが対象ではなかろう。

で、5年から10年という微妙な持ちぐあいの商品に決める。人間も似たようなものだ。

100歳だとかいわれつつ、そこまで行く人はそうあるまいが。

それにしても買い物は疲れる。どこに行ってもポイントというのがついてくる。

入会しても大したお得でもないくせに煩わしい。

かといって、今回のように一挙に買い物をすると、ポイントで結構な買い物ができてしまう。

やだなあ、どうしてまっとうな値段で買い物ができないんだろう。

駆け引きは元気なら楽しいが、元気も時間もないものにはうっとうしい。

商品もピンからキリまであるのが疲れる。選択肢が多すぎるんだ。

この先筋だけでは不足よ。

2018年11月01日 | 楽しい後期高齢生活のために
貯金より貯筋などとしゃれていたつもりだが、そうはいかなくなってきた。

税金関係がどんどこ値上げになるそうな、物価も上がる。

巷の噂だが、単なるうわさでもあるまい。現にお金がどんどこへっていくもん。

筋肉のほうも減っていく。やむを得ず筋トレをはじめて1か月。

目標が自分の体重を自分で支えられる筋肉の量をつくる。ななかなか的を射た目標だ。

具体的にはバーベルを背負って腰膝の曲げ伸ばす、スクワットである。

加重ゼロキロで初めて現在10キロであるが、ここからが難物だろう。

最近では女は100まで生きなければならいそうだ。伸びるなあ。

それにくわえて物価も税金も伸びれば、支出のほうを縮めるしかない。

保険金も自己負担も増えまくるそうだから、介護自己負担金などに費やす金はない。

頼りは自前の筋肉。とりあえずがんばらにゃー。

今度こそ本気の整理

2018年10月23日 | 楽しい後期高齢生活のために
年が明ければ80歳へ突入となる。

余命などという言葉を突き付けられてはもうのんきなこともいえない。

もう一度身の回りを整理しようと思い立った。

今までの整理は甘かったと思う。

思い出の品というのが捨てきれていない。

お気に入りがどうしても残る。

要するに置いといても残しても誰も喜ばない。

そういうものを捨てなければ。

ということになると、要るものなんて、そうはない。

まだ先があるときの「捨てる」は、更なる新な出発をいみしていた。

過去を捨て、新しいものに挑むときの行為でもあった。

けれど、余命などということになれば、捨てるとは、何と向き合うことになるか。

死であろう。

ちょっとビビる。怖がっているなあ。

民間家事サービス10か月

2018年10月10日 | 楽しい後期高齢生活のために
民間家事サービスを利用して10か月。

介護保険のサービスとくらべてみた。

臨時サービスの場合はほぼ契約規定なしで、希望字に来てもらえた。

定期となると正式契約となる。

規定もかわり、公的サービスなみの契約がある。

まず、保証人をたてろという。保証人の自書、印鑑を求める。契約期間がさだめられる。

契約違反には既定の罰則がある。その割には費用のちがいはないなあ。

既定の内容は、ぼけた人を相手にする場合の対応であろう。

サービス中に紛失が出たばあい。救急車を勝手に呼ばないといけないような場合。

契約者当人が契約を中断した場合の契約続行の要否など。

高齢の契約者を相手に、話にならぬ場面を想定して、しかるべき相談者をきめるわあけである。

70歳以上が対象である。

費用は当然公的なサービスよりも高額だが、サービス範囲は広範囲ある。

が、来る人によっての差は民間のほうががおおきい。

民間では気の付き方、時間の使い方に個人差がでる。

当然公的なほうには厳しい規定があって、差が出にくいのだろう。

公的サービスを受けられれば、こっちにこしたことはないが、

やむを得ず民間を使う場合、うまく臨時サービスと定期サービスを使い分けたほうがいい。

定期でいいのは、決まった日時に決まった人にきてもらえる。

臨時は必要に応じて使えるし、堅苦しい契約はいらない。

金額は同じだし、気の合う人が見つかれば指定もできる。

問題はお気に入りの人をみつけることである。