目前の80

まだかもうか

怒れる老納税者

2018年02月06日 | ほう、へーな話
確定申告の時期、税務署にいくと、さまざまな怒声がとびかっている。

お前らなあ…と居丈高なじいさん。

ちょっとー、それどういうことなの!とばあさん。

税金を納めてほしいんなら、もっとわかりやすうにせんかい。

などいろいろだ。

だいたい若者でどなっている人はいない。

みなスムーズに順番をこなして帰っていく。

私も特にややこしいことではない、年金だけのことなのに、年々苦労している。

昨年の間違いは医療費の合計計算がちがっていて、呼び出しをうけた。

書き直すと還付金が数百円減った。

言えば憎くげだが、たったこんでけのマチガイ、重箱の隅ていどであろう。

目くじらを立てるために、有能な税務署員はどのくらい給料とっているんだろう。

せっかくならもっと大きな、計画的な脱税を見つけたほうが税効率はいいんじゃないのかな。

ゼロが6,7個も繋がるような脱税を見つけて、賞金獲得などという制度になれば、税務署も人気あが

ると思う。

いえ、数百円で呼び出されて恨み言をいっているのではありません。

マチガイはいけないです。はい。


救急車も怒るんだ

2018年02月03日 | ほう、へーな話
今年にはいってわずかな知り合いの関係者が二人急死した。

どちらも超高齢者であるが、寒さがかんけいしているのじゃないかと思うほど寒い。

町にも常に救急車の雄たけびが鳴りひびいている。

前方から迫ってくるピーポーは、弱った鼓膜を打撃する。

間じかまでは要注意なおとである。

行過ぎればドップラー効果で急に響きも弱まる。

それが、行過ぎたとたん、ピーポーから、うーうーうーうーのサイレン音にかわった。

ふり返ると、前方の車の列が救急車にも全く反応せず、あつかましく居直っている。

その不動の列にむかって、救急車はピーポーからう――に切り替えたらしい。

そして右翼なみの音声で注意した。

思わず笑ってしまう。救急車は怒っている。

前方の車がしぶしぶ横にどくや、また機嫌をなおして、ピーポーと走り去った。

頑張ってね、救急車さん。

介護と家族愛

2017年12月01日 | ほう、へーな話
知人の家族である。

奥さんが若くしてアルツハイマーとなる。

長い経過をたどり、一家はつかれはて、親類まで巻き込んで夜も眠れない日々が続いたようである。

人ごとはとても思えず、経過をひそかにみまもらせてもらっている。

なぜなら外からみるかぎり、介護者たちは病人への愛にみちているからである。

しかも一族が総がかりで助け合い、介護のリーダーであるご主人をたすけ、どんな症状がでて、

なにがおころうとも、忍耐と愛をわすれないという、私から見たら神様の軍団か?

とおもえるような一家である。

長い人生で、患者である奥さんがいかに一家につくしてきたか。

一家がどんなに奥さんに感謝しているか、というところがポイントになっているのだろう。

こういう家族もウソではなく私の身近にそんざいする。

介護と憎悪などという身も蓋もないことを叫ぶ私はなさけないというか、

人間として出来損ないなのだろうが、これもまたホントの姿なんですけど。

だまされちゃーって。

2017年11月15日 | ほう、へーな話
昼間家をあけていた。夜になって男が尋ねてきた。

いわく、上の階で昼間に風呂場の工事をしたものである。

工事に当たり下の階のオタクにチェックさせてほしいところがあり、昼間にお願いをしたのだが、オタクは留守だったので今の時間になった。

お隣にはみせていただいているが、オタクだけが残った。

風呂場をみせてもらえば自分の仕事はおわる。という。

ここでいい訳をすると、うちは一度水漏れ事故を起した。

私はそういう話には極端に弱い。あわててその男を家にいれた。

結論をいえばこれはウソであった。

なぜ私はこういう単純なウソをやすやすと信じたのか。

オトコは家に入り風呂、台所まで入り込みかえっていった。

なにも被害はなかったのは、うちはそういうところを全部新しくし、文句のつけようがなかっただけのことであった。

 最近そういう事件が数軒あり、管理人に夜、人を家にいれたとあきれられた。

しっかりものと自認する手前、わたしはいいわけをしたが、みっともないだけであった。

反省しよう。

まず、近所の情報をもっていなかったこと。

うちのために夜遅くまで待っていたことを信じ、申し訳ないとおもってしまったこと。

昼間いなかったことなど、テキは事前調査をし、考える時間がないほどしっかり話しを作りこんでいた。

そして何をチェックするためなのか、何と言う会社なのかという事に考えが及ばなかった。

年寄りの弱いところはスピード。小さく早く話をまとめていたとおもう。

まわりにあきれられ、バカにされてしまったわたし。

クソー、次は…。って、おそいんだよね。

喪服を新調する老人

2017年11月08日 | ほう、へーな話
新聞の投稿記事である。

投稿者の意図とは無関係な私のおもいであるが。

最近あたらしく物を買うときに一瞬考える。

もう、新しくしてもしかたないかも…と。

明日どうなるかわからんのだ、というおもいである。

死ねばいらんこと。新しいものはいらんだろう。

そういう考えがいつから私にくっついたのだろう。

特に家具やデンキ製品を買うときによぎる思いである。

まして喪服なんか知るかいと。

人の葬式のために新しい服を買ってどうする。

だが、この投稿文中の人は私より年長なのに、新しいブランドの喪服をかうらしい。

人目に立つ場所といえば葬式くらい。そこに出るのだからいいものを、とのことだとか。

うーーーん。えらいなあ。人は最後まで、そうあらまほしきものであるわい。

わたしなんか、葬式のたびに嫌がって、出まいとする。

親しい人のおわかれに行くまいとする。

しかもその理由が喪服がないからである。

持っていない。喪服がきらいなのである。

そういう理不尽が通るわけもないことはわかっていても買うきがしない。

いい服はかっこいいのだろうが、普通の値段の喪服はほんとにかっこ悪い。

そういう理由で喪服を嫌がる私はこのままで最後まで突っ張りたいのだが。

憎まれ者は長生きするとか。はたしてこのまま喪服なしで通せるか。勝負。

それってサービスですか

2017年11月04日 | ほう、へーな話
銀行はほぼ機械操作のセルフサービスになった。

お金を入れるのも、出すのも送金も。

ドアを外から来た人には「いらっしゃいませ」、中から外にでて行く人には「ありがとうございました」

銀行内を通り抜けただけでも、機械はきちんとあいさつをする。

高齢の男性が、この声に振り返り、あわててお辞儀をした。

どこから、誰が?とあわてていたようである。

見ていて、おかしいような、気の毒なような、哀しいような、いまいましいような。

この人は通りぬけただけなのにあいさつをされてうろたえ、申し訳なくおもったのではないだろうか。

恐縮したもようだったからである。

それをみて、なんなんだ機械のくせに、人をたばかるなと、ハラがたつ。

いや、そういう小細工をする銀行にはらがたった。

私たち老人は突然降って沸いたこのゼン自動社会で、慌て、驚き、戸惑い、どうしてよいかわからないことがいっぱいある。

ほっといてくれといいたいようなところまで、機械がとやかくいう。

車までが機械で勝手に運転だって?

いいのかわるいのかなんてグダグダいっても始まらないけど。

銀行の出入り口の自動ご挨拶は、まさかサービスではないでしょうね。

ろうらん、と打ち込むと楼蘭が出たが

2017年11月01日 | ほう、へーな話
久坂部羊氏作「老乱」である。

長編作、しかも全編おいゆく人間の悲しさにみちているではないの。

そしてそして、みなどれもあてはまることばかり。

こわい小説だ。小説と言うよりドキュメンタリなみのリアティにみちている。

そして、死へ。

うーーん。

同じ医師である矢作直樹氏のエッセイ「おかげさまで生きる」と同時に読む。

それは実に正しいが、現実の老乱には対抗すべくもないという感じがした。

若い頃から精神をみがきすまし、欲を払い自分をつつしんでいればともかく、今ここに至ると、身辺にめい

わくをかけまくり、お金がかかりしかも自分の意思とは関係のないところで事はしんこうする。

ボケを直すくすりはない。ボケを止めることはできない。ボケは…。

医者やマスコミが流す呆けに関する肯定的な情報はすべて気休めである。

医師である作者は容赦なく現実を読み手に直視させてくる。

逃げても逸らしても老いは現実として目前にあると。

怖いなあ、夜夢をみてしまったわい。


妻が怖くて家に帰れない夫。

2017年10月28日 | ほう、へーな話
反対に女性からは死後離婚とか。

つまりなくなったら、もう関係ないですよ。私、次いきます。

うーー思いもよらない方向に男と女、社会の様相はむかっているみたい。

勇敢な女。ナサケナイ男。

機械が人間のやることを全部やる。

で、人間はすることがなくなって、人間同士で問題を作る。ようにおもうんだけど。

え?違うでしょ、問題解決のために行動起してますって。

ああ、そうでしたね。でも、男、まけてないでしょうか。

おうちに帰るのがこわいだなんて。おかあさんが息子を大切にしすぎた結果ですわなあ。

女は大切にされようが粗末にされようがもともと強い。

頑張れオトコ。

「SF時代」は今のこと?

2017年10月24日 | ほう、へーな話
知人がひとりで外国に行くことになった。

初めての外国である。

が、不安などはなさそうだ。

スマホを1つ持つだけで言葉もまあ、大事なことは通用するゲナ。

それは、かつて物語りとして楽しんでいたSFの世界ではないか。

どこへでも通信可能、わからないことは即座に小さな通信機が答えてくれる。

言葉は万国共通語に翻訳される。情報は無制限。

そんな世界は私が死んでからの世の中だと思っていた。

それが追いついてきて、おばあさんが小さな機械をひとつ持つだけでひとりで外国に行けてしまう。

SF物語など、とてつもないホラ話と思っていたが。

回りを見ればとんでもないことになりつつあるわい。

こんな世界をもうちょっと見たいと思えば未練になるし、もういいと思えば、切りの良いところでであるが。

どうだろう、間もなく80というここにいたって、未練とは。

だって、ほんとに夢のようなことが、普通あたりまえになっているんだから、欲もでるわな。


ビックバンをみた

2017年10月15日 | ほう、へーな話
市民講座科学に出席。

まず、宇宙の成り立ちから。

ここで科学実験でした。なつかしいなあ。

で、すごい。私はビックバンをみた。

試験管に紙をいれ、ゴム蓋を勢いつけて押し込むと、試験管のなかでビッグバンがおこった。

科学講座にはわりと参加したが、実験をやってくれた先生は始めて。

なんてことのない実験だが、妙に感動した。

世界はほんの単純な原理からはじまっている、ということを目で見るのは感動できる。

この先生、宇宙学者をやりながら、お坊さんだという。そういう人はいがいにおおいとのこと。

うーん、そうなるのかいと、これもまた妙にうなる。

宗教と先端科学がこんなにすらりとけあうのか。今は…。