目前の80

まだかもうか

介護保険の掛け金を負けてエな。

2016年10月30日 | 楽しい後期高齢生活のために

 80歳を目の前にして、この先まだ生きるなら、ちょっと考えを変

えないと辛いのではないか。

 国家はいま、年寄りにかまっていられない。

 1票に目鼻と思って口先はいいこというけど、実態はこれから成長

する若者に目を向けないと、あやうかろ。

 で、年寄りを待っているのが、昔ながらの姥捨て山か。

 近頃の新聞に載る老人ホームの記事をみて思う。姥捨て山はすでに

用意されたと。

 一部屋に4人。老人はベットにへばりつき、院内は糞尿と食べ物のにおいにみち、従業員は疲れ果てている。

 人は弱い。追い込まれるとより弱いものに刃をむける。

 暗いなあ。80年生きて、地獄極楽の分かれ道はお金で泣き別れと

気がつくなんて。

 しかもこの姥捨て山に行列ができているとか。順番がこないままア

ウトになるひともあろう。人は昔ほど簡単には死ねない。

 では、姥捨て山をスルーするにはどうすればいい。

 まず、遅まきながら体身を大切にし、自分のことは自分でする。
 
「孤独死」の覚悟。できれば自分で棺おけに入れるシステムなんか

あればうれしいなあ。無理か。

 そういう人に政府は気前良く介護保険の掛け金を負けてエな。




老人は未来のどこに焦点をあてて生きるべきか。

2016年10月29日 | 楽しい後期高齢生活のために
 すぐそこに、人工頭脳が巾をきかし、人間は不要という世界がせまっているそうな。

 へえ?もっと、ずっとさきのことと思っていたんですが。な、なんとまあ、すぐそこでっせ。

 わたしも危ないことに、そのなかに巻き込まれている危険がおおあり。

 すでに身の回りは人工頭脳たちにがっちりかためられているらしい。

 そういえば、足元ではルンバがえらそうに、そこどけとばかりにはしりまわるし、使っているパソコ

ンもその仲間らしい。

 うちにはないけど、ものいう冷蔵庫やお風呂、炊飯器やら家庭の中はもう近未来といわれていた世界

にはいっている。知らなかった。

 家のそとではつぎつぎにロボットたちは活躍の場を、つまりヒトの場に進入中だそうな。

 いいのか、わるいのか。

 しかし、まてよ、私は車の運転ができない。
 
 今はJRのお世話になっているが、やが人工頭脳自動車で好きにでかけられるのか。

 ひとりになって話しあい手がいなくなればお話相手ロボットにお願いしようか。

 それって、ええのかも。

 寝たきりにならず、孤独死もなく、ロボットと仲良く生活をする。
 
 なにせ年老いて年寄り同士が同居するくらい不便で、めんどくさい生活はない。

 妹にも最適の相棒ロボットがみつかれば、すべてOK.か。

 ちょっと待て、そのロポット代はどこにある?

 なるほど、未来とは一部のお金持ちがAI生活界を謳歌し、大多数のびんぼー人は人間界で喰うや食

わずの飢餓生活!

 赤信号、みんなでわたればなんて言ってられない。

過激な二人とアドベンチャー堀江

2016年10月28日 | 楽しい後期高齢生活のために
篠田×堀江に重ねて、見城氏と林真理子氏の共著「過剰なふたり」をを読む。

4人共通で好きなことに熱中せよという。

だが、過剰組はひたすらヒトとの関わりをとき、努力をとき、情熱と、辛抱、困難を越えてこそヒト

はヒトとして育つと、圧倒的な過激さで説く。

 堀江氏は合理的、嫌なことを無理してしなくても世の中はやっていける。自分が楽しいと思うことに

専念すれば、なんとかなる。我慢や苦労を重ねるのは意味がない。時間の無駄だと。

うーむ。はっきり言うなあ。うらやましい。

私だって、嫌なことはしたくないし、苦労もしたくなかったが、食べるためにやむを得ず我慢、苦労

をつみあげた。

そうして今思うんだけど、人工頭脳がすべての生産をひきうけ、サービスやその他、人がやりたくな

いことも、やりたいこともみんな引き受けてしまって、人間のする事がなくなってしまったとしても、

人はやっぱり何かをやりたがる生き物だ。

 そして、人間がひとところに集まって何かをするかぎり、がまん、辛抱、努力はついてくる。

人生の過程でそういう訓練の出来ていない人は、年老いて我慢、辛抱、努力がひつようになったと

き、たえられないだろう。

 老いるとは、がまん、辛抱、努力をうけて立たねばならぬと今更実感しているのだよ。





103歳芸術家×最先端ランナー

2016年10月27日 | ほう、へーな話

 篠田桃紅氏と堀江貴文氏の著書を同時に読んだ。

偶然だったが面白い読み方ができた。

二人に共通する点は

桃紅氏は著書発行時点で103歳。100年前に時代の空気を無視し、新しい生き方を求めて日本を

出て行った美術家。

100年後に堀江氏は日本の古い体質に反抗し、ビジネス上でそれまでの習慣を打ち破ってきた。
 
もうひとつの共通点として、二人とも自分の好きなこと、自分が楽しめることにうちこんだ。

100年の時をこえて二人が成功をつかんだ原因はこのあたりなのだろう。

桃紅氏はお金のことは考えたことはないという。結果があとからついてきたと。

同じことを堀江氏もいう、好きなことをしていたら結果があとからついてくると。
 
もうひとつ共通点は、どちらも幼い頃からお金に困るような境遇ではなく、めぐまれた環境にそだっている。
 
 好きなことが思うように出来るには誰でもかれでもというわけいはいかないと私はおもう。

普通はだれでもとりあえず食べられるかどうかを考える。食べ物を持たないで冒険に出るのは、御伽

噺の主人公ぐらいだ。

 食べ物のことを考えなくてもいい人とは、しあわせ。

とはいえ、多くにヒトは思うだけで実行できなかったことが言える。

彼らは行動を起して、成功したのだから。

 
私ナゾ。この年齢になって、何かを打ち破るもないが、若い頃よりはかなり自由であることはみとめ

る。ちょこっとやりたいことをやるくらいのことでしかないが。

聞こえにくい孤独

2016年10月25日 | 楽しい後期高齢生活のために
高齢者が週二回あつまってお茶をするところに、イベント参加をした。

 4人ででかけ、小話、漫談、落語、私は急ごしらえの南京たますだれを披露。

 なれぬため掛け声においつかず、見物から頑張れと声がとぶ。

 お茶タイムにもさんかさせてもらった。そのやかましいこと、元気なこと。負けそう。

 ひとりせっせとみんなにお茶を継ぎ足してまわるヒトがいた。

 見ると耳に補聴器がはいっている。聞いてみると、雑音のほうが大きく、ヒトの声が聞き取りにくい

とのこと。

 話にさんかしたいけど、何度も同じことを聞くと嫌がられるから、お茶の係りをしているという。

 人の集まるところで補聴器をしている人をみかけたら、同時通訳を買ってでるのもいいことかもしれない。
 
 そういう私も、テレビや電話の音が聞き取りにくくなっている。

 話はじめに先ず聞こえにくいヒトであることを強調することにしている。

 補聴器など見ればわかる場合は、通訳をしたり、話へ参加をうながしてあげればみんなで楽しめるの

じゃないかいなあ。

しつこくアンナカレニナ

2016年10月24日 | 楽しい後期高齢生活のために
恋愛映画に感動できなくて、ショックといいながら、私、いつからそういう人になっていたのか考え
る。

たしか、あのヨン様ブームには参加しなかった。全く。

なんであの顔にと不思議で。ということはすでにあの頃にはもう、恋愛映画はだめだったか。

最近は生涯恋愛体質とかいって、女に永遠の恋愛を強制しているむきがいるが、いくらなんでも物に

は限度があるだろう。

少なくともわたしはさかのぼってヨンさま時代には卒業していたことになる。
 
 恋愛ってそんなに簡単にははまれないと思いう。

 まして食欲さえなくなってしまうと、モウネ。無理です。
 
 では、そのかわりに何にはまれば元気になれるかというと、断然お笑いです。
 
 お笑いなら少々無理でも笑えますし、結構効能もありそう。

 なぜかというと、近々、老人施設にちょくちょくおじゃましてわかった。

 よく笑う人は元気。何を言ってもびくともしない不笑いさんは、老けて見える。
 
 年をとったら無理して恋愛などに参加せず、笑いに参加したほうがらくでっせ。

77歳でアンナカレニナをみると

2016年10月23日 | ほう、へーな話

朝から妹がいらだっている。傍にいたくない。

公民館でヴィヴィアンリーのアンナカレニナをやっている。よし、そっちにしようと、でかけた。

 私はこの有名な物語にえんがなかった。一度も目をとおしていない。

77歳でアンナカレニナを見るとは思っていなかった。

でも、17歳でも27歳でもない恋愛物語というのは、思っていた以上に感動をよばないということが

わかり、ショック。

 注目は主人公の二人ではない。

へー、ロシアの貴族ってすごい生活していたんだ。

えー、社交ダンスってすごい、あんなドレスをあんなに振り回したら、さぞ埃がたつだろうに、あ、駆

け落ちしたんだ、へー、すごい家に住んでる。

どうやってこんな生活できる大金をもちだしたんだろう。

近松の駆け落ちとはえらいちがいじゃ。あれま、そんなことしてたらどっちかがまもなくイヤになる

よ、あ、やっぱりだ。そのうちにけんかになるのよね。で、片っ方が嫌気がさしたら片っ方が余計に燃

えちゃって、あああ、やっぱりなあ。

だからって死なんでもよかろうに。人間しんだらおわりやて。

かつて、恋愛映画を愛したわたしであるのに。どうだろうこの殺伐とした心のうごかしようは。

これが現実と言うものであっても、もうちょっとなんとかとおもっていた。

あまありといえばあまりな。薄ら寒くなった道を急ぎ足で帰ってきた。

老化とともに幼児化はじまるか。

2016年10月21日 | ほう、へーな話
最近、しゃがむと腰の筋肉がいたい、と友人に愚痴った。

友人はあちこちいっぱい痛いところがある人で、ほぼ毎日いしゃがよいをしている。

結構たのしそうだし、出先でいろいろな知識を身につけてきて、なにかと聞けば、ソク回答をくだしお

かれる人である。

今回も腰の筋肉痛になにかいい解決法をと期待してのうったえであった。

友人いわく。

それはアナタ、老化よ、老化。わたしの腰痛は老化じゃないの。椎間板ヘルニアっていうの。若い人に

多い病気なの、老化とはちがうのよ。

って。それもうれしそうに、胸張って断固としていう。

老化より病気のほうがえらいというのだろうか。そかも楽しそうだな。

それにしてもこういう会話をへいきでするとは、

私たち、ついに幼児化がはじまったのかも。

わははとわらいちつつ、こころでは ヤバと 警戒。

季節の変わり目多発時期

2016年10月18日 | 病を斜めから見る
やっといい季節になったのに、妹の症状はいまいちである。

やたらと気分が荒れやすい。わずかなことで大荒れとなる。

あっちは絶対自分が正しいという自信にみちていて、引かない。

あの引っ込みじあんだった頃の妹はどこにいったのやら。いまでは私のほうが引いて引いて。

ところが町に出て気がついたことがある。どうも落ち着きのないひとをちょくちょく見かける。

精神的な病気を持っているためだろう。この前であったときには落ち着いていた人が、妙にそわそわし

て、周りがみえていないらしい。

そうか、今は季節のかわりめ、それもかつてないようなややこしい夏と秋と初冬がくるくるといれかわ

る変わり目多発時期だった。

妹については、自発性が出てきたので、家だけでなく、社会へ参加するようにとのアドバイス。

行きたがるが、行くとすぐ帰りたがるのだが、ここはもう、忍耐しかない。

連れ出すことにしよう。ただしお金のかからないところにする。

入場料を払って、入ったとたん帰るというパターンにはまいる。

成年後見人はクライアントのお金をごまかせるだろうか

2016年10月16日 | 成年後見人的立場
 後見人の一番チェックされるところは、本人が使った、本人のお金を記録し合計計算を合わせること。

 うちは自分の財布に最高1000円をいれて、一人で買い物にいく。

 自分の物以外の買い物も同時に頼むこともある。

 ごく簡単なわかりやすいものにかぎるが、両方で計算が合わなくなることがある。

 レジが間違ったとは思えない。別のものを買った様子もない。2,3百円単位はあきらめているが、

 5,6千円はなぜ?落とすにもチャンスはない。不思議だ。たりないぶんは私のお金で補足している。

 度重なれば処置にこまる。最近は会計簿へ「不明」と記入する。

 細かいレシートも、はぶいている。 来年の裁判所の反応を見よう。

 一緒に住んでいてできることと、別に住んでいるケースでは出来ることはちがうだろう。

 人の家計簿もつけるのは、結構めんどくさい。手抜きをしてみようと思う。

 健康管理についての報告もあるが、健康診断や、薬の手帳などでいいことにする。

 また、医療費は支払いのさいに出される明細書を提出しようと思う。

 問題は当人の利益にならないお金の支出だが、それが10万円以内と言うのは不思議。

 当人の利益にならない支出って何のことだろう。

  だいいち10万円という数字を危うく思う。10万いないなら特に注目されないということだ。

  そういう大金がフリーというのがいいかげんだと重う。

 たとえわずかでも、不審な支出は問題ではないのか。収入源はみなわずかなのだから。

 私が悪徳成年後見人なら、ちょこちょことごまかすことは結構鵜可能じゃないかとおもう。

 うちの場合はごまかしてみても意味はないが。もともと私のお金なので。


 新聞によると成年後見人が使い込んだ記事がある。このためか成年後見から腰を引いている人もいる。

 かといって、あまりにもややこしいチェックをすればなり手はないだろうし。

 だいいち家裁だってそこまで綿密にはやってられないわな。