あれまあ80歳

これからどうしよう

病気で警察を呼ぶ病気はきびしい。

2018年08月20日 | 病を斜めから見る
うちの病人には病識(自覚症状)がない。困ったことだ。

いや、それが精神病の特徴であると昔からいわれるが、そうではないと思う。

あるレベルなら、きちんと病識はある。

不安になると、助けをもとめたりするところがある。

が、それを超えると病識はなくなる。

こうなると手におえない。

夏の長期休暇に入り、世間のあらゆる機関は閉まる。

となぜか症状がわるくなる。

ふつう、病気で家族や本人が不安になった時には、救急車というのがある。

電話をすると数分以内に駆け付けてくることになっている。

だが、精神病の症状悪化に対して対応されていないらしい。

困り果てている家族はおおい。

んで、事件などになると、途端に騒ぎになるが。

どうして専門の対応窓口がないのだろうか。あるのかなあ。ないと思う。

主治医に聞いても「ケーサツに」という。

それは病気ではなく事件扱いということか。

ひどい。

心に降り積もるもの

2018年02月09日 | 病を斜めから見る

妹はここしばらく、1日絵を描いている。

ノートにサインペンで花を描く。

力の入った絵になっている。

どこにこんな力が溜まっているのだろう。

もともと絵を描くひとではない。

だが、描いた絵には妙な勢いがある。

絵には人の心のうちが表れるというのだがソウだとしたらこの絵は今しか描けない絵ではないだろう。

家にこもったまま行動しない妹の心中に何かが積もっているのか。


年末年始はジゴク

2017年12月26日 | 病を斜めから見る
妹の今年最後の受診。医師の前で、妹は元気に笑う。

一人前のあいさつをし、どこに問題があるんや、といった風情を保つ。

こんな状態はもって20分なのに。

ダカラといって横合いから、イイえこれは妹の20分だけの化け姿です、というわけにはいくまい。

1日中r乱暴に物を扱い、言葉の端々に喰い付いて来て、ごねまくる姿はみせない。

クソー、食器をいくつ壊した。家の戸障子をどんだけダメにした。

毎日どんだけむちゃくちゃやっている。

そのあとを片付けてまわるこっちはくたくただ。

が、暮れから正月にかけて、サポートはみな休みである。

よほどのことがないかぎり、助けはこない。

もう、知らん顔をするしかない。

なにがあろうが、無視しよう。どうしようもない時には放り出して逃げよう。

今度こそ、負けないで逃げる。無視する。知らんもんね。

年末年始は地獄だわい。



負けたなあ。

2017年12月04日 | 病を斜めから見る
妹の逆襲のあと、私は胃が痛い毎日をすごす。

妹への憎悪、自分への後悔、これからのこと、なによりも整理できない感情に嘔吐をくりかえす。

が、妹はどうだろう。すべてをぶっ壊して晴れ晴れとしている。

集まったメンタルサポーターを前に「何か問題が?」といった風情だ。

何も覚えていないのか、思い出したくないのか全くそ知らぬ顔でいる。

困惑顔の私にはサポーターからの励まし。

ああ、励ましはもうイラン。励まされたくない。

ちょっと見は私のほうが病人である。

訴えるあいてもないまま友人に妹のブチギレシーンを語ると、ひとこと「情景が眼に見える」といった。

そうか、この人もブチキレられた経験者だった。

暴力夫から子供を守り、夜逃げを繰り返し十数年という兵だ。

人生の中でいつ、どんな苦労に遭遇するか、みな違うものである。

彼女いわく、ハラたつやろケド、かんにんしてやり。

大阪弁とはやさしいことばである。

介護と憎悪

2017年11月27日 | 病を斜めから見る
妹が私への憎悪を丸出しにする。

妹のためにと進めたあらゆるものを切り裂き、咲きかけのサザンカや、他のものも無残なすがたにしてしまう。

それでもまだ気が済まず、買ったばかりのセーターもずたずた。

ベランダに黒い袋が山積、不気味な景観となる。死骸を見るようなすがたであった。

この、私への憎悪はどこからきたのだろう。

日ごろ一緒に暮らす中で徐々にふくらんだものなのか。

妹のためにと思って計画し、そろえたものが、憎悪の対象となって切り裂かれてゆく。

介護されるということは、辛いことなんだろう。

なさけなく、屈辱を絶えなければ日々すごせないのだろう。

同時に介護するほうも、日々よかれと思うことがかみ合わず、いらだち、耐えるあいだに、いつか憎悪となって妹にむかっているのだ。

これまでは妹とのたたかいであり、憎悪とのたたかいでもあった。

かといって妹を100パーセント憎んでいるのではない。

妹へのいとおしさ、病気と闘うものへのいたわりもたしかにある。

それがなければ今までつづきはしなかっただろう。

でも、この先どうなるのだろう。

私はこんなはげしい憎悪をうけながら、妹を今までのようにうけとめていけるのだろうか。


ガキンチョめと睨まれて

2017年11月24日 | 病を斜めから見る
妹はしばらく平穏な日があった。

おだやかで、きげんよく、なにかと自分をセーブして周りに歩調をあわせる努力をしていた。

で、私は安心したのだろう。さらなる努力、改良をのぞんだ。

そういうことが妹の病状にいいわけがない。と、医師はいう。

多くを望まず、相手を全面的にみとめ、不足をいうなという。

が、毎日一緒にくらす人間には無理。ちょっとでもよくなってほしいのである。

で、私は尻をたたいてしまった。妹の努力を更にうながした。

これが虎の尻尾だった。いままでの苦労はすべてパア。

あらゆる積み重ねをガラガラポンとなげすてられてしまった。

この際の反省として、私がすすめることに反対できず、妹もむりをしていたんだ。

そういう生活に限界がきていたのだろう。

が、私も妹のする事をみとめ、ほめ、陰に回って補習し、自分をおさえながらの生活だった。

それが間違っていたとなれば介護もクソもない。勝手にせえといいたくなる。

主治医のうんざりした顔は「ガキめ」といっていた。

そうです私はええ年したガキンチョです。なにか?

どっちにしろ台風の後始末は私の役目なんだから。


保護、よりそうい、見守りって難しい。 

2017年11月18日 | 病を斜めから見る
水着、スポーツパンツなど、するだけの用意をしておいて、妹はスポーツクラブにいこうとしない。

感情的には「どついたろか」というところだ。

私がやっきになるほど、妹は抵抗する。

そのくせ何もすることがないと苦しんでいる、らしい。

こちらから差し出したものはいや。が、自分では考え付かないというのも腹が立つ。

なんなんだろう。

それにいちいち腹を立てる私に主治医は「かまいすぎ」という。かまいすぎかあーー。

悪い時は保護で、こういうあいまいな時期にはかまいすぎと保護のさかいめが不明となる。

かまいすぎると今度はもたれかかり、依存となるとか。

だったら、もうほったらかしにしてもいいのだろうか。

保護、よりそうい、依存。どこまでもやっかいである。

と、いうようなことをいってはいけないのだろうか。後見人というのは。

記憶力の低下した妹に出来ることってあるのか

2017年08月11日 | 病を斜めから見る
妹はある時点でよくなり始めた。

きっかけはティッシュケースを作って、周りにくばったことからかもしれない。

お礼をいわれ、ほめられることで、自分を自分でみとめたようだ。

その後、パクパク人形や剣玉つくりで、たくさんのひとたちによろこんでもらえたことがはげみになっている。

その勢いからだろうか、駅前のそうじをしているグループにまぜてもらうといいだした。

まったく知らない人たちである。

ところが翌日からそのグループは来なくなってしまい、妹の勢いは削がれてしまった。

が、じぶんからなにかをしよう、だれかと繋がろうとすることに気がついたのはよかったとおもう。

毎日、何もすることのない時間をいらだち、あせり、苦しんでいる。

が、私から進めることにはのってこない。

記憶力の低下した、生活能力もない妹にできることって、なんだろう。

はじめてのお使いではないけれど

2017年08月03日 | 病を斜めから見る
白内障の手術後は家族が迎えに来るよう指示があった。

迎え役を妹にたのんだら、ひきうけてくれた。

が、緊張のあまり、じっとしていない。自分でひっしにおちつこうとしている。

なんどもなんどもためいきをつき、おなじことをくりかえし、みていられない。

良くなっているとはいえ、こうなんだとつくずく重い。

一人で外に出て、病院の外来でたくさんの人にまじって長時間待つ。

心配で不安でしかたないらしい。妹には数年ぶりの試練となる。

もともとは外売りの仕事をこなしていた人とはおもえない。

どこまで回復するのかしないのか。

帰りは疲れ果て、役目などそっちのけで、ひたすら家にむかってあるくだけ。

今回をチャンスにしっかりしてほしかったが、これじゃ、どうにもならんわい。

効果大だったリハビリ

2017年07月09日 | 病を斜めから見る
妹に介護保健の訪問リハビリを開始して1か月すぎた。

2週間に1回、1時間、家のキッチンで妹は料理をつくる。

結果、妹は明るくなった。物事にも興味をもちだした。

ここに至るまでの4年間、なにをしても反応はなかった。

今やっとリハビリをうけいれ、結果を出せるところにきた。

それまでの長い準備期間がたいせつであったこと。

1年位前から徐々に変化はあったが、あわてなかったこと。

いろいろ大切なことはあるが、これで前方が開け始めたと思う。

テレビをみたり、番組の料理をまねて夕食の一品をつくったり、いままでとはちがう積極性がある。

一生このままかと思ったこともあったが、4年間の努力が無駄になっていないことがうれしい。

 今は外から人に入ってもらうが、いそがないで、本人が外に出て行ける日を待つ。