どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

デンキ屋でめまい

2017年03月31日 | 楽しい後期高齢生活のために
ウインドウズ7が最近ご機嫌ななめである。

なかなか言うことをきかないし、トロクサイ。すかたんをする。

それは使い手が老いたからだが、それにしても怪しい。

そろそろ寿命かもと不安になり、大型デンキ屋のパソコンコーナーを覗く。そこでめまいがした。

何だコレ。私の知らない世界ではないか。画面を動かせて見るがどこも知らない画面ばかり。浦島である。

こんなもの買って帰って、はたして使えるだろうか。

今まではなんとかお持ち帰りで、前の機械からデータを新しいのへ引越しして使えたが、こりゃだめだわ。

かといっていまさらパソコンナシの生活が成り立つか。

とんだ世の中に迷い込んだものだ。いつのまにこうなったんだろう。

玄関口のご案内がなんで言葉ではなく、絵だ。それで通じるのか。私には通じない。

文字を書いてくれ。どうして文字ではいけないのだ。

え、万国共通語?って、わたし万国なぞイランのですけど。

そういえば私、スマホもダメ。

年寄りになって安心しているところもある

2017年03月30日 | 楽しい後期高齢生活のために
年をとると増えるのは不安ばかりだ。

自信がつくことなどない。

老人になって始めて治療費が突然安くなったときも、妙におちつかなかった。

3割が1割でいいのか。ほんとに大丈夫なのか。

微妙だった。うん。うれしいのか、寂しいのか。

自分が国民からちょっと横にはずされたような気がしたもんだ。

最近電車でほっとしていることがある。

ある年齢までは自分より年上のヒトが乗ってくると尻がもぞもぞした。

この人に席を譲っていいのか。譲ってはいけないのか。

もしかして私より若かったらえらいことじゃ。落ち着かなかった。

今おおくの人たちに私は気持ちよく席を代わっていただいている。えらいなあと思う。

まあ、私は今、どこから見ても席を譲らないとマズイ年齢のヒトなので、譲るほうもあまり考える必要はナイとおもうが。

年をとって安心しているのはそんな所か。 

年寄りの雲気

2017年03月29日 | 楽しい後期高齢生活のために
街角で老人が5、六人かたまって立ち話をしている。

こっちから見るとそのあたりに灰色のもやが漂っているようにみえる。

なぜだ。まず、着ているものが灰色っぽい。ピンクでも黄色でも灰色のかかった色である。

頭が灰色である。顔につやがない。

これだけでもう、充分に灰色の雲気まんまんなのに、みんないちようにやや前かがみな姿勢だ。

輪になって話しをするとそういう体勢になるらしい。

こまるなあ、ひとりでいてもなかなか勢いがあがらない老人が大勢集まるとこれなんだ。

ところが不思議なことに能楽堂や文楽劇場でであう和服の老人集団は違う。

偏見かもしれないが、みんなステキに見える。

年を取るといいなあ、という雰囲気をはなっているように見える。

つやのある、華やかな柄の和服の力かもしれないし、背筋がしゃんとのび、ほどよい緊張感のせいかもしれない。

威厳と華やぎがあり、いい。なぜ洋服ではいけないのか。

そういうことをいろいろ言う知識はないが、和服姿の老人は「えらい」と思ってしまう。

そういう私には一枚の和服もないし、きた事もない。

あこがれなんだろうか。

でも、老人になれば和服を着ているほうがいいように思う。絶対に。

春がうっとうしい

2017年03月28日 | 楽しい後期高齢生活のために
今年はなかなか暖かくならない。

年のせいもあるのだろう。

暖かくならなくても回りでは木や草に芽がつきはじめている。

山の色が微妙にかわりはじめ、世間は春を歓迎し待ちわびているというのに。

が、いつの頃からか私は春が鬱陶しくて、気が重くなっている。

なんで?私だって一人前に春をわくわくしながら待った時期があるのに。

じぶんのなかに活力がなくなり、異性に興味がなくなり、未来が限定されてきたからだろう。

春がうっとうしく、さっさと桜が咲いて散って、あのどうしようもない暑くて処置ナシの夏になってしまってほしい。

そうしたらおおっぴらに死んだフリができるじゃないか。

春だというのに死んだフリをすると、年寄りが拗ねているようで、それもしゃくにさわるし。

老年とは思春期なみの取り扱い注意。

三下り半行のゆいごん

2017年03月19日 | ほう、へーな話
長年遺言書を作ろうといろいろ考えていた。

お願いしていたヒトは忙しいのか、それとも私には必要ないと思っていたのか、ここ数年催促はしても生返事だけであった。

そこへ突然、やりましょうかねと声がかかった。どういう風のふきまわしだ。

そういえば彼は風邪をひいていた。

で、事務所まで出むく。

あちらでは私が用意する書類、あちらで用意してもらえるもの、そうして一般的な遺言書の中身の例、費用について見立て書を出す。

 先ず、遺言の書式だが、ご意見ではあまりごちゃごちゃかかないほうがいいという。

わたしの出した案は細かすぎたらしい。

不動産と金融財産を誰が誰にいくらゆずると書くだけでいい。

代襲、つまり譲る相手が先になくなったばあい次に譲りたい人も指定できる。

そうすれば書き直さなくてもいい。

 書き直しは出来るが、お金がかかるんだ。

自分のだらだらした案はひっこめ、三下り半の長さに切る。

私が用意するのは不動産の評価証明と金融資産の明細。身分証明。印鑑証明、印鑑。

あとはそちらでそろえてもらえるらしい。

費用。弁護士代 基本10万円 公証役場 3万円 公証人5万円 

取り扱う資産額により+3万から4万円が加算。+税金。書類他の実費。
 
遺産額により金額がかわるのだが、今の金額は生活費で純粋資産ではない。

10年たてばないかもしれない。

そんなしょぼい金を遺産相続だ遺言だとカッコつけるなと思う。

が、妹に残してやりたいし、そのときにスムーズに終わるようにしておきたい。

ために、とんだ出費になりますなあ。 


籤ウンの悪さに腹をたてるのは愚かなのか

2017年03月18日 | ほう、へーな話
籤うんワルイ、という人はおおい。

会場のほぼすべての人になんらかの物があたるという、めちゃくちゃなイベントに参加した。

周りはどんどん物があたり、中には2回目の当たりの人もいた。

そのうち私にも…と期待していたが、ついに私と友人には何も当たりは来なかった。

友人いわく(事故にもあわないという幸運の持ち主だ)といったが、私はくやしかった。

これだけの当たり籤の中で、はずされるということは、侮辱ではないか。

犬でさえ棒にあたるのに、私と友人はかすりもしない。むしろ不吉である。

しかもそれは一度ではない、二度、三度と同じ参加籤にもハズレ。

交通事故のほうがもっと確率は高い。

私は電車の転覆や火災事故などに数回あっている。大震災だって二回経験したぞ。

え、論理が狂っている?

なるほど、自分のいいたいことがどっかにいってしまった。

単にたびたび籤にはずれ、頭にきているんだ。

こんなことで腹をたてる私はオトナゲナイ。ガキ。人間ができていない。

籤に当たらない人は伝染するそうだ。強運者は避けて通るらしい。

誰かに染したいわたしの当たらないクセ。



70代は不要なのか

2017年03月16日 | 楽しい後期高齢生活のために
さる化粧品のキャッチコピー。

30代 子育て中でもお肌が元気で明るい。(なるほど)

40代 化粧のノリで気持ちは変る。    (わかるなあ)

50代 ハードワークもなんのその   (化粧で乗り切れか)

60台 同年との差はお手入れの差    (げげげ・まんま)

70代 ああれ?ここまで?年齢ごとの心つよい励ましの言葉がないではありませんか。

 ここですねてみる。

70代 やってもせんない。(そうなんだけど、それじゃ身も蓋もありませんが)

とこうなります。

たしかに、お手入れやってますが、お金のかかり具合、今までのお手入れ歴史の差もある。

70台の付け焼き刀はほとんど役にはたたないことはたしか。

この会社、正直なんだ。でもここの商品を使っている私としてはどうなんよ。  

車内のおしゃべり公害

2017年03月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
1ヶ月に1度、友人と電車で遠出をする。

楽しみはその車中のおしゃべり。

向かいあわせの座席に横並びにすわり、互いの1ヶ月のできごとについてしゃべる。

孫の卒業式、北朝鮮のはなし、安部がとうした、韓国の大統領がどうだ、貯金の内容から、健康の症状報告と多彩だ。

しかも二人ともハシが転んでも、状態ですべて笑いで結論を出してしまう。

結果、しゃべるは笑うは、やかましい、うるさい。公害である。

前の席にいるひとが席をかわること二度3度。1時間ほどのあいだに申し訳ない人を数人つくりつつ、おしゃべりをやめる気はさらさらない。

これが別の立場だったら、私もさっさと他の席に移るだろう。

中年以上の女はおしゃべりというが、男だってうるさいし、若い人もうるさいのはおなじだが。

ただ若い人のほうが声が小さい気がする。

年寄りがうるさいのは耳が聞こえないので声がでかい。

しかもまわりの目線にあつかましくなれるからと判明。

年寄りの美人とブスの差はあるか。

2017年03月14日 | 楽しい後期高齢生活のために
若いころは美人の横でもてまくる美人をみてるだけであったなあ。

今考えるといじらしい。

今の若い子にブスはいるのだろうか。どのこもみな美人じゃな。

友人はいう。

いやいや、若い頃は誰でもみな美人だったんや。

そうかいな。そうでもなかったがなあ。

友人は美人だからわからなかったのかもしれんが、私は辛い思いをしたぞ。

好きな子に自分からは目も合わせられなかった。

美人のほうは、知らん顔していても男の子がよってきていたよなあ。

まあいい、月日は過ぎ去り、美人もブスもみな一様にばあさんになった。

ところで、ばあさんになっても美人とブスは差別されているのだろうか。

男性に聞くと、じいさんになった男性は如才もなくなり、みんなきれいでどっち向いていいのかわかりませんと申される。

なるほど、男だってモテと非モテはいたからな。

私がみたところ、じいさんたちはかなり平等にばあさんの美人にもブスにもサービスを配っているように思う。

やっとブスばあさんも安心して何方にも気軽に声をかけられるということになっている。

年をとるのも悪いことではないというのはここか?

え?いまさらそれがどうしたって? まあそうですけど、楽しいほうがいいじゃないですか。


知人が俳優デビュー

2017年03月13日 | 楽しい後期高齢生活のために
彼女の年齢はしらないが、お孫もあるひとである。

いきなり舞台に立つというので飛んでいく。

小さなビルの地下空間を利用して、1時半ほどの舞台にずっと出て動く。

この言葉、動きの自然なこと。いつもの彼女のまんま。すごい。ふつう緊張するだろ。

他の若い俳優さんはみな、(私いま、演じてますっ)という体勢である。

見ているほうにその意気込みが伝染してずっと緊張してしまった。が、友人はもろ地のまま。

それは演技ではないというなら、演技って見ていてしんどいものだなと思った。

見るものにプレッシャーを与えてこそ演技なのか。

別の友人も見にいったとか。で、意見を交わしたところ、同じだった。

だからどうなんだいと言われても、こっちはタダの素人鑑賞者で、難しいことはわからん。

当然身びいきも丸出しだからフェアーではない。だからアンケートには当たらず触らずのところで勘弁。

でもでも、演劇って結構見る側にプレッシャーを与えるね。何故?

その点狂言も落語もヨシモトも心からリラックスできるなあ。