目前の80

まだかもうか

いよいよ今年の正念場

2016年12月30日 | 楽しい後期高齢生活のために
 この1週間ばかり、妹の状態はよそから見て安定しているように見えている。

 医師、隣の奥さん、電話で話しをする兄弟、サポーターなどがそういう。

 私だってそう思うときがある。明るい。積極性がある。行動もする。

が、その状態が刃わたりのように危うい。

 日常のちょっとした言葉や行き違いで、簡単に切れてしまう。

 妹はたしかによくなってきたが、同時に元の妹ではないことにだれも気が付いていない。

 私だけがその危うさに神経をすり減らさなければならない。

 この危うい安定は今後どう変ってゆくのだろう。

 友人の義妹は施設にはいり、やっと家族が安定を得たらしい。病人を持つと家族は消耗する。

が、精神の病では、家族の思いと、医師やサポートしてくれるヒトとの間に開きができる。

 妹だって、10分や20分の面接のあいだくらいなら、もたせることはできるからだ。

 それが出来ないほど悪い時は、家族とサポーターとの間はかなり密である。

 年末、あわただしい世間の空気がひりひりと妹の神経を逆立てているのが見える。

そこをどうかいくぐって、年末年始をすごせるか。この期間は、すべてのサポートはなくなるのだから。

 病人を抱える家族の人たちの思いはみな同じと思う。

やっぱりテレビが必要だった

2016年12月29日 | ほう、へーな話
テレビがないと生活できないヒトはかなり多いと思う。

入院しても真っ先にテレビのことを問題にするではないか。

が、私はなくてもへいきと思っていた。事実見るのは天気予報とニュースくらいだった。

 妹がどこにも行かなくなり、家にこもりだして、ケーブルテレビとつないだ。

 そして、個室を用意した際、テレビはリビングから妹の部屋へ移動した。

 私にはなんの問題もないはずであった。

 ところが、ちがった。なにやらいらいらする。どうしてかわからない。

 ニュースは新聞で見ていたし、天気予報だって出かけない限りはどうでもいいとおもっていた。

 1ヶ月すぎたころ、テレビがないとやっていけないということに気が付いた。

 この世界が大回転している最中に、テレビも見ないで一日を送っている自分がゆるせなかった。

 やっぱり速報はテレビだった。で、2台目のテレビとして無線でどこにでも移動できるのをかんがえた。

 いろいろ考えた結果、タブレットを買う。こういうものに慣れない私の脳は今パニックである。

 パソコンとおんなじといわれても、ウインドウズとアンドロイドではもう処しようがない。

 3日すぎ、つかれはて、今は目覚ましにつかうのみというなんかあほらしい結果になってしまった。

 それでもテレビがあり、いつでも見られるというだけで、いらいらはなくなる。

 そういうこrとに知らない間に鳴っていたわたし。信じていたがだめだった。

宅急便配達員切れるという記事

2016年12月28日 | ほう、へーな話
 宅急便は、常は出せば次の日に届く。利用側はそれをあたりまえとしてお金を払う。

 ところが暮れになると利用者のことわりなしに届ける時間を延ばす。

 品物によっては一日過ぎると、問題がある物も多い。だから宅急にお金を出したのだろう。

 今回ウチもそういう想定で生ものを送られ、結果まてども届かず、送り主は品物が無事か心配し、受け取る側も家をあけられないまま、日をおうごとにイライラがたまる。

 今どこのサービスもみな似たような攻防をくりかえしているのだろう。

 別のサービスで、家に来た男性が、来るなりトイレを貸してくれという。

聞けば朝から食事もトイレも当然休憩もなしだそうな。体重も3キロ減ったという。眼はうつろで、こっちの言っていることも聞こえているのかどうか。

 おそらく、遅れに遅れ、やっとついた品物を前に、受け取る側は、いらいらを配達員にぶつけるだろう。

 行く先行く先で毎日毎日。これでは切れてもおかしくないと私は思う。かなりヨワイヒトなんだろうが。

 やっと品物がついたとき、私もいったもんだ。

 お宅、本当はこれ、いつ受け取れたはずだったの。中身はもう変身しちゃってるよ。

 はー、いつもは翌日にとどくんですが。

 今日は3日めだよね

 はー、そうですか

 顔は仮面じょうたい。ほぼ、動きはロボット仕様だ。

 かわいそうとは思うが、こっちもここしか文句のいい場所がないのでつい言ってしまったのだが。

 本社はそんな利用者のいらいらや、現場職員のイライラは無視なんだろうなあ。なにせ掻きいれどきだし。

 きれちゃったヒトは怒られるんだろか。それともそんなこと、どうってことナイ瑣末な出来事なのか。

 配達や訪問サービスはそういうの常識なのか。

ひとり芸の厳しさを見る

2016年12月27日 | ほう、へーな話
 県民会館で年寄りがオレオレ詐欺にだまされないためのフォーラムというのがあった。

 出演は落語家のみ。ひとりだけのフォーラムと言うのがどういうものなのかわからないけど、行く。

 会場がバカ広い。開始時間がきてもヒトがほとんど来ていない。がらんとしている。

 しかも客層といえば平均年齢が75歳?前の席に3歳くらいの子供が二、三人。

保護者はついているが、雰囲気として、ここで芸をやるのは厳しいなあとおもう。

 私は芸人の経験はないけど、やっぱりそのあたりは気になる。

 演者はこの状態で2時間持たせるのか。きびしいなあと私は我が事のように気をもむ。

 開始時間になってひょいひょいと演者が登場。

 ばらばらの拍手。そこから始まるわけだが、なかなか聞き手はその気になってない。

 子供は走るし、おばあさんたちは大声で私語をする。あとからきたおっさんがだれかに挨拶。

 すると演者はいきなり敷いてある座布団を片手にさしあげていった。

 座布団って、四角だと思うヒト。

 きょとんとみんながそっちを見た。反応ナシ。

 では、長方形と思うヒト。

 二人ほど手をあげると、いや四角だと声がとぶ。

 △形と思うヒト。(笑い)ここで会場が演者にむかいあう。

1枚の座布団を右へ左へさしあげ、あれこれと笑いへ笑いへといざなっていく。

3歳の子供もふくめ、みながいっせいに笑いだす。すごい。

 今、笑いの大切さが医学会から提唱され、お笑いが花ひらいている。

 落語家といえば大学卒と言うのが当たりまえの世の中だ。

 この日の、乗ってこないがらんどうの会場を、大拍手させるまで、このヒトはどのくらい持ち駒を使いまわし、現状を勘案し、知恵を、頭を、頭脳をこきつかっただろう。

 いやープロだ、おみごとでしたーー。拍手。

お坊さんからの提案

2016年12月26日 | 楽しい後期高齢生活のために
 フオーラムでお坊さんはいいました。

 朝起きたら、新しい命を頂いたと思い、1日を大切に生きる。寝るときには、これで自分の命は終わ

るとして床につく。

翌朝目覚めたらまた新しい命をいただいたと大切に1日を過ごす。これのくりかえしで生きていきま

しょう。
 
 日本人は昔からそういう考えに従って、生きていたようにおもう。私のDNAにもそう書き込まれて

いるはずだが、私にはピンと来なかった。いくら今日頂いた新しい命と思えといわれても、無理です。

 寝る前に今日は死ぬとも思えません。なにせ何度も目が覚めるし、不眠の時には夜明けまでおきてい

る。 が、それを一年に変えるなら、ちょっといけそうに思う。

 今年一年の命であれば、今日のうちにやりたいことに順番をつけられる。こっちが大事だ、そっちは

ほっとこう。と。
 
 毎年なくなってゆく友人が増え、足元が危ない。そういいつつ人事で日々は過ぎる。

 せめて、大事なことを先にという考えだけでも定着させよう。 

しつこく自分の棺おけ心配

2016年12月25日 | 楽しい後期高齢生活のために
 しかし我が死については深くかんがえてみよう。

 私はひょっとして、自分で考えているほど長生きはできないかもしれない。

 どこにそんな根拠があるのか。

 20代のころ山スキーに行った。スキーはメンバー中一番へただった。

で、どうなったかというと、前日になだれたコースに突っこんでしまった。

そのまま谷へ一直線。落ちながら思った。

 あ、私ってこんなに若くして山で死ぬのか。妙にはっきりとそう思った。

 が、落下先は大石と1センチの差。雪の中へ埋まったが首から上が出ていたので、発見が早く助かっ

た。

 2度目、これは大震災。経験を持つ人は多いとおもうが、私もああ、こうやって私は死ぬことになっ

ていたのかと覚悟をした。

 が、1秒くらいの違いで助かっている。

 さて、3度目の正直ということばが今でも通用するとしたら、私は次に突然の出来事で一瞬の死が

待っていることになる。

 うーん。こんどばかりはさけられまい。とすれば、ごちゃごちゃ言ってもはじまらない。

 よく考えたら死ぬなんて、浅くも深くも考えるだけむだだったか。

 が、死んだあとのことについてなら考えておける。

 いやまて、これだってどうなんだ。友人は遺言や、葬式や、死装束を指定したらしい。

 母もそういうように準備をしていたが、棺おけにはいっている母は用意した死装束ではなかった。

 介護施設で着ていた寝巻きのまま。やっぱりそういう用意はムダか。

 自分で棺おけに入ることも出来ない限り、死後に付いての準備は、むなしいことになると心得へよ

う。

 と思うけれど性格として、そのまま放っておけない。

棺おけの準備までやりかねないヒトだからなあ、私は。

墓と葬式

2016年12月24日 | 楽しい後期高齢生活のために
 寝たきりの設定ついでに死後のことも考えてみた。

 私が死ぬのはおそらく、多ぶん、いや絶対、誰よりもあとになるだろう。

 根拠はわりと長命家系であること。わりと憎たらしい性格であること。

 肉親も、友人もみな死たえ、私だけがえんえん生き残っている。しかも口だけは達者で。

 そんな人間の葬式はシンプルも糸瓜もない、焼いて、他の人の残り骨と一緒にしかるべきところに捨

ててもらえればいいではないか。

 ソウ来れば墓は要らないし。何も考える必要はないことだったっけ。

 仮にまだ誰か肉親が生きていても、かかわりの薄いものであろう。しかもそっちだって高齢で、私の

ことがわかるまい。
 
いくらなんでもそんなヒトに介護保険施設は葬式の相談はしないだろう。

 すみませんがお役所さん、係りのヒト、どうかよろしくお願いいたします。

これからはお役所の人たちのことをボロクソソにけなしたりはいたしません。
 
どうも死後の設定は大雑把になってしまう。



老いを忌避する社会

2016年12月23日 | 楽しい後期高齢生活のために
 どちらむいても若返りだの、若々しくなるには、と姦しい。

 おそらく死ぬまで元気に、自分のことは自分でという思いが変換され、老いは醜い、若さは宝とな

り、若さをキープしようという方向に混線したのではないだろうか。

 それに社会が戦略として追い風を送った。その風に乗っておどっているのだからまあ自己責任だし。

 先端科学で若々しさをキープし続けるひとが10年すればわんさか増えるだろう。

 90歳で20代の体を、などというばら色の永久保存社会はどんな社会だろうか。

 見たいきもする。だが、思いどうりに生きるのはますます厳しい社会になるだろう。

 そういうとき、若々しい体で精神も若々しいエネルギーを燃やし続けれれるだろうか。

 最新医療の力で生を伸ばすヒトの顔はやすらかではないという。

 整形手術を繰り返すヒトの顔も不自然でこわい。

 終末医療の医師は、ヒトは枯れることで安楽を得るといった。

 枯れ木は美しいではないか。枯れることを見直してもいいのかも。

医者が教える終末

2016年12月22日 | 楽しい後期高齢生活のために
 医師と僧侶と落語家で語る老いと病気と死というフォーラムがあった。

なかなかにぎやかでよくばりなフォーラムだ。

 参加者は想像がつくと思う。みな真剣。

 介護にしろ、されるにしろ、やがては死ぬ。

今は死そのものより死ぬまでの過程が不安なのだろう。

 意識をなくしたあと、病院にはこばれ、全身に最新鋭の装置がつくともう逃れられない。死は悲惨な形でとおざかる。

 そして全身水ぶくれになり、ベッドの上で溺死状態のまま、健康保健をつかいはたしつつ生き続ける。本人はわかっているのかいないのか。

 だが、周りは困るだろう。いや、家族だけではないらしい。医者も困るらしい。

体はもう死んでいるが、機械が動いている間は生きていることになるというのが医学とか。

 なんだそれは、と思わずつぶやく。

 そういうことにならないためには、遺言を書くことですと講師の医師がいった。

 また、意識はあり物事を決定できるばあい、終末の意思決定は自分でしないと、廻りはこまるらしい。

 例として、年老いて手遅れのガンが見つかる。手遅れでも高齢でもやることはある。

一か八か手をつけるのか、きっぱり戦いを放棄するか。

それを決めるのを他人にまかせるとやはり結末はひさんなことになるらしい。

 もうひとつ、救急車を呼ぶ前にかかりつけの医者に電話できる用意である。

 つまり警察に連絡しなくてもスムーズにお墓へいけるということだそうな。

 誤解があるとおかしなほうに行きそうな話題だが、この会場の参加者全員、ふかく納得したらしい。

 みな、覚悟はよろしいかな。


年末の医者と患者の関係

2016年12月21日 | 楽しい後期高齢生活のために
 年寄りの年末と、医者との関係はかなりである。

医者は年末年始、年寄りから切り離されてのびのびしたい。

年よりはなんとかして安心した年越しをしたい。

両者互いににらみ合って、年末2週間を過ごす。

医者は、土壇場で世話をかけさせるなと思うだろう。

年寄りだって医者の世話にはなりたくないが、コレばかりはどうしようもない。

 病院職員の顔も微妙だ。正月に家族といろいろ計画を持っているだろう。

いつもよりうかれている。そして、患者の顔をやや不安げにみている。

私のネックは今のところ歯である。右でかめば右上の歯がいたむ。左に逃げれば左下の歯がいやがる。

 医者は毎年土壇場で駆け込む私を早くからチェックしている。ななか名医だと思う。

 年末の駆け込みは双方ともつらい。診察は予約で満員。せせりこむのがむつかしい。

 それでもなんとか入れてもらえれば医者と患者の信頼はつながる。

 かつて、こういう緊急の際に長年つきあっておきながら、冷たくした医者に私、近寄らないの。

 絶対に。