どこまで行けるか80歳

崖から突き落とし。這い上がれるのか

針になじんでしまった私

2017年02月27日 | 楽しい後期高齢生活のために
去年のくれ、しつこい腰痛に負け、ぜんぜん信じてなかった鍼灸院にかけこんだ。

針である。痛い。緊張する。そのうえ効き目に関して信じていなかった。

にもかかわらず、12月に三回。1月は1回。そして2月も後少なくなってまた腰をいため、まっすぐ針へ、

お値段は1時間で5000円。高いと思ったが、今はそうは思わなくなっている私。

マッサージや整骨、整形外科の電気よりも私には確実に有効と認めざるを得ない。

お金が高いか安いかというのは、自分がどのくらい納得するかによって決まるとよくわかった。

時代劇なんかで大店のだれかが病に倒れ、お金ならいくらでも出します、直してください

というシーンをテレビで見て、「そんなことで直るカイ」などこ突っ込んでいた私。
が、近代科学だって、あやしいじゃないか。

今の医学のいいところは、病気がわかる。見える。触れるということか。

移植などというすごい進歩いがい、原因のよくっわからない病気には直すという意味ではあまり変可がないように思う。

この場合しこたま薬を体につぎ込む。病気によるのだが、科学物質は人体にとって、どうなんだろう。

針でいいのは、自分の体に異物としての薬品を入れないで楽になるというところだと思う。


私、ほんとうは生真面目なゆずうの効かない人かも

2017年02月26日 | 病を斜めから見る
妹の症状は毎日かわる。

私はそれにたいおうして、まいにち右往左往している。

体も心も疲れる。

他のひと達もみなこういうふうにひっしの対応しているのだろうか。

もしそうなら、きっと疲れるだろう。切れたりもするだろう。

具合によっては絞め殺したいとおもうことだってあろう。

だが、たぶん平均してみななんとかうまくやっているようすである。

慣れたのか、あきらめたのか、すごくいい方法をみつけたのか。

それとも、なあなあで、いいかげんで、適当に自分も逃げ場所をつくっていてほったらかすこともある

が、総じて事件にまではならない範囲でやっているというところかもしれないではないか。

だとしたら、私はまじめ過ぎはしないか。

あまりにもかまいすぎてはいないか、

自分を忘れて妹のことにかかりきりになり、自分の逃げ道をなくしてはいないか。

自分はそういうまじめな人間ではないと思って安心していたが、実はそうではなく、やたらにまじめな人だったということはないかい?

姉だし、妹はまあ、幸せになってほしいと願っているし。

自分で自分をそういう条件をならべて縛っていると言うことはないだろうか。

もういちど絡んだ糸をきれいにほぐしてみよう。

春までにやってみよう。


電気毛布がこわれて

2017年02月25日 | 楽しい後期高齢生活のために
数年使ってた電気毛布が壊れた。

気がつくと足元がいやに冷えるので気がついた。こわれていると。

突然ダメになった。寸前まで問題はなかった。

これは、老人の体ににている。昨日までどうもなかった。さっきまでいたくなかったのに、突然壊れる。

その瞬間まで普通に使えていた品物である。体も。

ぎりぎりまで使えたのはただしいのかもしれないが、人の体はこわれても使用しなければならぬ。

メンテナンスをしてももとにはもどらない。不具合をかかえたまま、とりあえず使用という事になる。

壊れた毛布は即座にゴミにだし、電気屋にお金を握って走る。

1月に同じタイプの毛布が壊れて買い替えたときと今回では千円値上がりしていた。

一年中大特売、バーゲン、特別割引を実施しているみせだから、値上げは以外だった。

シーズンオフになればもっと安いとおもっていたが、違っていた。

あっちで上げてはこっちでさげるという調節をしていたのだろう。

割引ケンも捨てちゃって、イザと言う時には役に立たないんだ。

年寄りへのコマーシャル

2017年02月24日 | 楽しい後期高齢生活のために
あらゆる空間にコマーシャルがあふれているのに年寄りむけのコマーシャルは墓と養老院。

それは的を射てはいるが、当事者たちにとっては寂しい話だ。

雑誌にもつり広告にも、オシャレや最新機器を年寄りに勧める会社はあまりない。

年寄りがお金を持っていないからと思うのだろうか。

年寄りがもう、好奇心も意欲もうしなっていて、蹴ろうが叩こうが、目覚めないとあきらめているみたい。

ソウかもしれないが、そうでもないのではないのか。

年寄りだってオシャレをしたいし、新しいものをすすめられたい。

どこかに旅もしたいし、持ち物をあたらしくしたいと思っている。

年よりはどこに行っても山のようにあふれ、群れている。

もっと年寄りに擦り寄ってきて、にっこりする会社はないのかなあ。


訪問販売と契約書のサイン

2017年02月23日 | ほう、へーな話
訪問販売で、電気料金を関電から一般会社へうつした。

1年間一定の割引サービスがあるというから気軽にかえたのである。

手続きに2ヶ月かかった。2か月たって請求書がとどいたが割り引きはなかった。

契約書を調べると、割引という箇所はない。しかも私はサインをしている。

詳しい説明のあと目の前で作成した書類だった。

契約時に本文を読まないでサインをしたことを思い出す。

本社へ問いわせると、そういうサービスはあるが、アナタは該当していないという。

で、セールス者は休暇をとっていて、連絡は後日になるとのことだった。

そういえば、訪問販売でなにか問題がおきても、最初の売り手は出てきたことがなかったと思い当たる。

ここで、自分の不備に思い至り遅まきの反省をする。

本文を読みもせずにサインをしちゃったこと。

だれでも一律にあるサービスではなく、あれを買った人だけとか、ここに住んでいるからとか、そういうややこしい買い物をしたこと。

欲にからんで買ってしまったこと。

とりあえずセールス者からのデンワをまった。

結果、セールス者が一件を記憶していて、上司と相談し、割引を受けられるようにはからうという。

ただし上司が今休暇中であるためしばらくまてという。

ちょっと笑った。ほんとにお手本みたいに関係者はお休みをとっていて話はなかなかすすまないもんだ。

このさきうまくことがはこぶかどうか、お楽しみ。

たぶん私はこれにも懲りないでサインをするときに、本文を確かめず、相手の言葉を鵜呑みのままなのだろう。

そういう人はわりと多いような気がする。

原始人の睡眠サイクルだろうか

2017年02月22日 | ほう、へーな話
子供の頃からの不眠で、老年になって体力的についていけなくなり、眠剤を飲みはじめた。

ところが眠剤に効果がなく、医師はどんどん強い薬にかえてゆく。

だが眠りにはサイクルのようなのがあって、月に1、2度強いくすりを飲んでも眠れない日がめぐってくる。

 そんなとき、だめだ、なんとか眠らないと、という考えにとらわれてしまうと、つい追いかけて薬を足してしまう。

それで眠れるということはこの場合ナイ。

 大量の眠剤をのんだまま、夜があけて、私はいやーな気分で次の日をすごす。

 たまたま公民館講座だったりすると、周りのじいさんたちは気持ちよさそうに眠っている。

それを見ると突然こんな場面でも眠れない自分に腹が立ち、眠っている人たちに強烈な悪意をいだく。

始から寝るつもりなら、クルな!とか。嫉妬である。

昨夜の大量の眠剤でも私の脳はびくともしないらしい。ますます目がさえる。

で、夜になるがしつこく眠りはやってもない。

 最近おもう。私の眠りのサイクルは基準からそれている。

睡眠時間も他の人と同じことを求めてもむりだろう。

そのかわり、少しの睡眠でもやっていけるようだ。

ヒルも夜も続けて長時間眠るというスタイルになっていないのだろう。

 たぶん原始の危険がヒルとなく夜となく身じかにあったころの睡眠スタイルが突然出現したひとなのかもしれん。


孤立スパイラルを回避しないと

2017年02月19日 | 病を斜めから見る
妹にはもう友人はいなくなった。

始めは妹が会うのを拒んでも、勇敢に部屋にあがりこんで、はなしかけていたが、妹の強力な拒絶にあって、傷つき、距離をおいた。

そりゃそうだろう。自分の好意をこれ以上悪くとれないというほど曲がって受止められては、いくら相手が病気でも、たまらない。

そして、気がつくと私の友人もいつの間にか間遠になっていく。

会うごとに妹について聞かないわけにはいかない。

私への励ましや気使いも用意しないと悪いとおもうのだろう。

頻繁に声をかけて励ましてくれたヒトほどはやく退却も早いのは疲れるのだ。

人は他人の不幸に踏み込むのは辛いだろう。

こうして、人は問題をかかえこみ、孤独に陥っていくのではないだろうか。

だからといって、他人をたよったり、あてにしたり、逆恨みになれば、よけい重症スパイラルにまきこまれる。

むつかしいなあ。

どこかに行きたいという葛藤がいつの間にかあきらめにかわり、欲望もなくなっている自分に気がつく。

やばい。妹をほっといてどこかへ行くくらいの危害をもて、自分。

セルフネグレクトという病

2017年02月17日 | 病を斜めから見る
ある女性がひきこもりで、ゴミから顔を出し寝ているところを、警察と保健所と近所の人たちが力を合わせて保護した。足は壊死になっていた、との記事である。

家族もいたが、本人が誰にも会いたくないというのでそのままにしておいたという。

わたしの周りの人間で、女はみな一様に「子供に迷惑をかけたくない」といい、男は「だれの世話にもならん」とうそぶいている。

結構みな本気なところが怖い。どっちも最終的には誰かのせわになるものだろう。

それを本気でやれば、最後はセルフネグレクトという病に行きつくという見本かも。

妹は引きこもってから、声をかけてくれる友人を鬱陶しがり、ついには愛想をつかされてしまった。

近くにいる人、声をかけてくれる人を避けることが重症化の始まりだと思う。

本人がどんなにいやがり、憎まれても、外のヒトとのつながりを作るのが身近にいるものの勤めである。

私は妹に嫌がられ、憎しまれつつ、強引に保健所や、後見人とのつながりをたやしていない。

そして私にも、人の世話にはならないとか、だれの世話にもなりたくないという先祖伝来の刷り込みがある。気をつける。

いつも困った時には助けを求めよう。声をかけてくれるヒトには感謝しよう。

自分はヤバイという自覚をもとう。


よく晴れた一日

2017年02月16日 | 病を斜めから見る
部屋は気温も、そして妹との関係もみな、ここえている。

妹はじっとベットで横になり、ひたすら時が過ぎるのを待っている。

時が過ぎたからといって明日にどうにかなるわけでもないことは本人も私もよくわかっている。

明日になっても又、今日と同じ明日しかまっていないだけなのに。

こんな状態で何のために生きるのかという問いがある。

それを問いかけてどうなるという。

こんな姿でも、生きる以外の道がない人間は多いだろう。

問いかけてはいけない。

生きるだけ生きればいいだけだ。

妹は何も考えていないのだろうか。

そんなはずはない、きっと必死で考えているはずだ。

が、私にはわからない。

妹が何に苦しんでいるのか、聞いても何もかえってこない。

私だって、答えられない。

こうやって二人で時間が過ぎるのをやり過ごすだけだろう。

下手に考えたり、問いかけてはいけない。

そんなことをしたら、ぱんぱんに膨らんだものが予告もなくパチンと破裂だ。

ソウいう事になって、どこかで、命が消えているではないか。

私はそういうことはイヤだ。

なんで今日はこんなにいい天気なんだろう

死に際まで妹のことを考えたくない。

2017年02月15日 | 楽しい後期高齢生活のために
私は今、欝になった妹と暮らしている。もう病歴はながくなってしまった。

そう簡単に元にはもどらないと思い始めている。

そこに、老齢も加わり、話はますますややこしくなっている。

たぶん私は、おまえのめんどうを見ているのだ、私の言うことを聞け、といった態度を丸見えにしているのだろう。

妹はそれに対して抵抗していると思う。好きで病気になったんじゃないぞ、と。

ひどく神経質になってわずかな言葉のはしっこを拾っては、倍返しどころか大津波的な反応をみせる。

最初の発病当時とはどんどん反応が変っていく。

二人のやり取りは、壁をぬけて隣にもきこえるらしい。隣の犬が間発をいれず吠える。

こうしてこの先同じことを3日にあげず繰り返すのも疲れる。いや、つかれるだけではない、消耗していく。

去年の暮れから私の体力は下がっていく。

対策として、妹に生活支援手続きや、後見人依頼など先の暮らしえの対策を打ってきた。

が、それがなんぼのやくにたつ。

不機嫌にいらだつ妹を横目に、私は知らん顔で自分の1日を過ごせないひとである。

いちいち妹の言葉や動きに反応する。

まてよ、いつの間にか私のほうが病にとりつかれているぞ。

このいらいらは普通じゃない。…どうする。イヤだ。