http://www.senrei-nishikawa.com/topics_katarujugyuzu_j.html
先日、私のものすごく尊敬しております、日本舞踊家の西川千麗先生の、
「千麗舞わない夕べ」
という講演会に行ってまいりました。
この11月に千麗先生の「十牛図」の公演をされる前に、十牛図についてのお話をご自分の人生を通してのお話で、デザインディレクターの川崎和男さんと、京都大学名誉教授の上田閑照さんを招いての語りでした。
「十牛図」とは、12世紀末、中国北宋において成立した禅宗の小テキストで、日本では京都相国寺に周文筆とされる10枚の画と各画ごとの簡単な序、頌(詩)が伝わる。
私は全く十牛図について何も知りませんでしたが、この十牛図のお話を聞き、自分の生き方、自分の踊りについて何かを考えるきっかけになったような感じがしました。
十牛図、10枚の絵があり、それぞれに意味の深い教えがあります。
千麗先生は1997年に出会われ、今回11月に舞われます。
その11月の公演のチラシにこんな言葉が書いてありました。
「身について了っているものを剥ぎ取り 自分の内側から沸起こるものを舞いにしていくプロセスの葛藤」
私はバレエを専門にやっていた時代に、いつも、どこかで、「本当の自分がどこかにいるに違いない・・・。」と、思うことがよくありました。
何か、私がいつも私でなく、何かが欠けてるような・・・。いつも、いつも不安で不安で仕方ありませんでした。
だから、いつも不安を消すために、稽古場から出ることなく、練習をし、先生に1つでも褒めてもらえるように、お客さんに褒めてもらえるようにと、何かにすがりつくように、どこか息苦しくレッスンしてきました。
それが、私の人生だと信じて生きてきました。
ある大きな舞台で私はバレエ作品「ジゼル」のミルタという役を躍らせてもらったのですが、この時の本番の舞台の上で私の心に何かが起こるのです。
とても暗くて明かりが見えなく、「ここにいることが間違いだよ!」と、誰かに言われてるように感じ、そんな中で踊った出来事。
恐怖なのか、嫌だったのかもあの時の自分の本当の気持ちはわかりませんが、でも、あの舞台の後に私の心は何かグワ~ンと井戸の底へ落ちたような暗闇になりました。
それが私にとっての第一図「尋牛」だったのかもしれません。
私は何か自分でもわからないまま、何かを求め始めていました。
その後コンテンポラリーダンスのワークショップを受けたり、ダンスの公演を見たりする機会がちょうど重なり、何かを吸い取るように過ごしていました。
そしてその時期に千麗先生ともお会いすることになるのです。(以前のブログ「心の中を見る」に書いています。)
そのころの時期は私にとっての第二図「見跡」だったのかもしれません。
そして2年ほどたち私はバレエを辞めて、今の踊りをめざし始めます。第三図「見牛」
千麗先生の書いてらっしゃる、「身について了ってるものを剥ぎ取り 自分の内側から沸起こるもの・・・」
に、出会いたく、私は進み始めるのです。
「振り」・・なり、姿、格好、それらしくよそおうこと。(実用辞典より)
振りではなく私の内側から湧出るものを踊ってみたい。本当の自分に出会いたい。
ということを切に思い始めました。
ayami yasuyhoのダンサーにることを選びました。
舞う。踊る。
私が踊りを選択した人生を、私に出来ることは何かを改めて考え、バレエを辞めた理由、この踊りを選んだ理由が今もまがっていなく、進んでいることを感じ、自分が自分であることを確信し、自分を背負い、もっと、もっと自分を追求し、その先へ、その先へと進んで行きたいと改めて思いました。
11月の舞台までにもう少し「十牛図」について自分なりに勉強しようとおもいました。
先日、私のものすごく尊敬しております、日本舞踊家の西川千麗先生の、
「千麗舞わない夕べ」
という講演会に行ってまいりました。
この11月に千麗先生の「十牛図」の公演をされる前に、十牛図についてのお話をご自分の人生を通してのお話で、デザインディレクターの川崎和男さんと、京都大学名誉教授の上田閑照さんを招いての語りでした。
「十牛図」とは、12世紀末、中国北宋において成立した禅宗の小テキストで、日本では京都相国寺に周文筆とされる10枚の画と各画ごとの簡単な序、頌(詩)が伝わる。
私は全く十牛図について何も知りませんでしたが、この十牛図のお話を聞き、自分の生き方、自分の踊りについて何かを考えるきっかけになったような感じがしました。
十牛図、10枚の絵があり、それぞれに意味の深い教えがあります。
千麗先生は1997年に出会われ、今回11月に舞われます。
その11月の公演のチラシにこんな言葉が書いてありました。
「身について了っているものを剥ぎ取り 自分の内側から沸起こるものを舞いにしていくプロセスの葛藤」
私はバレエを専門にやっていた時代に、いつも、どこかで、「本当の自分がどこかにいるに違いない・・・。」と、思うことがよくありました。
何か、私がいつも私でなく、何かが欠けてるような・・・。いつも、いつも不安で不安で仕方ありませんでした。
だから、いつも不安を消すために、稽古場から出ることなく、練習をし、先生に1つでも褒めてもらえるように、お客さんに褒めてもらえるようにと、何かにすがりつくように、どこか息苦しくレッスンしてきました。
それが、私の人生だと信じて生きてきました。
ある大きな舞台で私はバレエ作品「ジゼル」のミルタという役を躍らせてもらったのですが、この時の本番の舞台の上で私の心に何かが起こるのです。
とても暗くて明かりが見えなく、「ここにいることが間違いだよ!」と、誰かに言われてるように感じ、そんな中で踊った出来事。
恐怖なのか、嫌だったのかもあの時の自分の本当の気持ちはわかりませんが、でも、あの舞台の後に私の心は何かグワ~ンと井戸の底へ落ちたような暗闇になりました。
それが私にとっての第一図「尋牛」だったのかもしれません。
私は何か自分でもわからないまま、何かを求め始めていました。
その後コンテンポラリーダンスのワークショップを受けたり、ダンスの公演を見たりする機会がちょうど重なり、何かを吸い取るように過ごしていました。
そしてその時期に千麗先生ともお会いすることになるのです。(以前のブログ「心の中を見る」に書いています。)
そのころの時期は私にとっての第二図「見跡」だったのかもしれません。
そして2年ほどたち私はバレエを辞めて、今の踊りをめざし始めます。第三図「見牛」
千麗先生の書いてらっしゃる、「身について了ってるものを剥ぎ取り 自分の内側から沸起こるもの・・・」
に、出会いたく、私は進み始めるのです。
「振り」・・なり、姿、格好、それらしくよそおうこと。(実用辞典より)
振りではなく私の内側から湧出るものを踊ってみたい。本当の自分に出会いたい。
ということを切に思い始めました。
ayami yasuyhoのダンサーにることを選びました。
舞う。踊る。
私が踊りを選択した人生を、私に出来ることは何かを改めて考え、バレエを辞めた理由、この踊りを選んだ理由が今もまがっていなく、進んでいることを感じ、自分が自分であることを確信し、自分を背負い、もっと、もっと自分を追求し、その先へ、その先へと進んで行きたいと改めて思いました。
11月の舞台までにもう少し「十牛図」について自分なりに勉強しようとおもいました。
自信がなかったり、不安であったり、いろいろありますが、一つ一つ、向きあって行きたいです。ありがとうございます。