いよいよ今週末の日曜日、「EMPTY」のダンスパフォーマンスが迫ってまいりました。
先週よりかなりひどい風邪を引いてしまい、最初の3日間は寝込んでしまいました。
熱が出て、骨や筋肉が痛み、現実が遠くになり青白い世界の中で過ごしていました。
そんな身体で作品をつくるのはやはり無理なことで、寝込んでうなされる身体を引きずって過ごしていました。
焦りと身体のだるさ、微熱に侵された身体で何とか今週は稽古をしました。
そんな身体から出てくるものはむなしいほどの絞り出すような踊りしか出てきません。
それでも少しでも踊りと向き合いながら作品をつくりました。
EMPTYのフライヤーの言葉、
わたしがからっぽになってしまうとなにがそこにうまれるのか。
この言葉通り、風邪を引いたおかげで、物欲や食欲から離れ、ただただ身体と向き合う時間を持ちました。
欲のないからだは、ただただ生きることを求めました。
骨や皮膚、筋肉が過剰に敏感になり、少しの振れた感覚がいつもの10倍ほど痛かったり、
熱に侵された身体は考えることを辞めてしまい、生きる不安が薄れ、生きたいと願う力があることを知る。
そして普段の欲望から離れた身体は心の奥の欲望を出してくる。
あらかじめ予想されたものごとから離れて、わたしを真っ白な平面に置く。(フライヤーの言葉)
そんな稽古を積み重ねました。
EMPTYという作品がどんなものになるのか、私は考えるよりも、今のこの身体を使って必死に踊る公演になるでしょう。
今の身体が真実を出す。そんな作品になるでしょう。
そうなると私は信じて、後公演までの2日間を過ごしていきます。
先週よりかなりひどい風邪を引いてしまい、最初の3日間は寝込んでしまいました。
熱が出て、骨や筋肉が痛み、現実が遠くになり青白い世界の中で過ごしていました。
そんな身体で作品をつくるのはやはり無理なことで、寝込んでうなされる身体を引きずって過ごしていました。
焦りと身体のだるさ、微熱に侵された身体で何とか今週は稽古をしました。
そんな身体から出てくるものはむなしいほどの絞り出すような踊りしか出てきません。
それでも少しでも踊りと向き合いながら作品をつくりました。
EMPTYのフライヤーの言葉、
わたしがからっぽになってしまうとなにがそこにうまれるのか。
この言葉通り、風邪を引いたおかげで、物欲や食欲から離れ、ただただ身体と向き合う時間を持ちました。
欲のないからだは、ただただ生きることを求めました。
骨や皮膚、筋肉が過剰に敏感になり、少しの振れた感覚がいつもの10倍ほど痛かったり、
熱に侵された身体は考えることを辞めてしまい、生きる不安が薄れ、生きたいと願う力があることを知る。
そして普段の欲望から離れた身体は心の奥の欲望を出してくる。
あらかじめ予想されたものごとから離れて、わたしを真っ白な平面に置く。(フライヤーの言葉)
そんな稽古を積み重ねました。
EMPTYという作品がどんなものになるのか、私は考えるよりも、今のこの身体を使って必死に踊る公演になるでしょう。
今の身体が真実を出す。そんな作品になるでしょう。
そうなると私は信じて、後公演までの2日間を過ごしていきます。