神戸・北野にあります、島田ギャラリーへ、木下晋展 「祈りの心」を、観に行きました。
22種類の鉛筆で描かれた作品です。
本当に作品は素晴らしく、私は胃のあたりにアッパーをくらったように衝撃を受けました。
東北の震災後の1年ほどはこの時代に芸術の必要性を自分なりに見失い、自分が生きてる事、ダンサーとして生きてることが
不明確で、震災前は疑いもなく「自分は踊りたいんだ!!」と、進んできたことがすべて何処かに流されてしまったような、
身体の1部に穴があき、何かがスポスポと落ちていくような感覚がありました。
それでも、昨年は、私はこの道を選び、この道で生き、先を急がず、今の自分が思うこと、出来ること、
それがなんの役に立たなくても、人々が私を忘れてしまっても私は気にしない。自分の心を信じ、自分のペースでで進むしかない!
と、思うようになりました。
「I don't mind if you forget me.」
その言葉が昨年の私が私を支える言葉でした。
「私は自分を信じて、芸術の道で生きていく。」そう、感じた時でした。
最近は漠然とではありますが、芸術が世に必要なのではないか!!と、思うことが増えてきました。
個人的に心揺さぶられる曲を聴いたり、モノを観たりしたときは自然に涙が溢れたり、胸が熱くなったりします。
私自身もそんな素晴らしい出会いに助けられ、前を向く力をもらいます。
今回、観ました木下晋さんの作品も素晴らしく、作品が語ってくるといううよりは、作品の中に自分が吸い込まれていく。
という感覚でした。
平面に描かれた腕や手の指先。その描かれた腕や指先の奥の奥の細胞や流れるどろっとした血、うごめく筋肉、
かすかに聞こえるその人のしている少しの呼吸。
そして、その人が生きてきたであろう人生や、想いを想像して、一方的ではあるけれども描かれてるその人と共鳴する。
その人と共に時間を過ごすことができる。そして感じることができる。
思いがよぎり自分の人生について考える。
そして、一人になり外の空気を吸い、空をなんとなく見上げる。
そして一歩を踏み出してみたいと思う。
そんな作品でした。
世の中には観ようと思えば毎日でも見れるぐらい芸術作品はあふれるように存在し、
そんな中からいったい何が素晴らしいモノなのかわからなくなり、
わからないから芸術作品だとか、あやふやでぼやけたまま観た者の心が中途半端に放り出されたりすることもあると思います。
それでも心揺さぶられるモノはごく近くに存在し、私の心を強くかきむしり、動かしていく。
そして自分も心を動かしていくモノ、物体のない、存在が何処にあるのかわからない感動というもに近づき、目指したい。
と、思う。
それが何なのか分からないから、今を毎日を精一杯生きるしかない。とも思う。
信じる力を見失わずに、強く、さらに強く毎日を生きたいと思う。
先を不安がらずに、一歩一歩をなるべく大切に感じたい。と、今日は思いました。
http://www.gallery-shimada.com/schedule/exhibition/kinoshita_1304.html
22種類の鉛筆で描かれた作品です。
本当に作品は素晴らしく、私は胃のあたりにアッパーをくらったように衝撃を受けました。
東北の震災後の1年ほどはこの時代に芸術の必要性を自分なりに見失い、自分が生きてる事、ダンサーとして生きてることが
不明確で、震災前は疑いもなく「自分は踊りたいんだ!!」と、進んできたことがすべて何処かに流されてしまったような、
身体の1部に穴があき、何かがスポスポと落ちていくような感覚がありました。
それでも、昨年は、私はこの道を選び、この道で生き、先を急がず、今の自分が思うこと、出来ること、
それがなんの役に立たなくても、人々が私を忘れてしまっても私は気にしない。自分の心を信じ、自分のペースでで進むしかない!
と、思うようになりました。
「I don't mind if you forget me.」
その言葉が昨年の私が私を支える言葉でした。
「私は自分を信じて、芸術の道で生きていく。」そう、感じた時でした。
最近は漠然とではありますが、芸術が世に必要なのではないか!!と、思うことが増えてきました。
個人的に心揺さぶられる曲を聴いたり、モノを観たりしたときは自然に涙が溢れたり、胸が熱くなったりします。
私自身もそんな素晴らしい出会いに助けられ、前を向く力をもらいます。
今回、観ました木下晋さんの作品も素晴らしく、作品が語ってくるといううよりは、作品の中に自分が吸い込まれていく。
という感覚でした。
平面に描かれた腕や手の指先。その描かれた腕や指先の奥の奥の細胞や流れるどろっとした血、うごめく筋肉、
かすかに聞こえるその人のしている少しの呼吸。
そして、その人が生きてきたであろう人生や、想いを想像して、一方的ではあるけれども描かれてるその人と共鳴する。
その人と共に時間を過ごすことができる。そして感じることができる。
思いがよぎり自分の人生について考える。
そして、一人になり外の空気を吸い、空をなんとなく見上げる。
そして一歩を踏み出してみたいと思う。
そんな作品でした。
世の中には観ようと思えば毎日でも見れるぐらい芸術作品はあふれるように存在し、
そんな中からいったい何が素晴らしいモノなのかわからなくなり、
わからないから芸術作品だとか、あやふやでぼやけたまま観た者の心が中途半端に放り出されたりすることもあると思います。
それでも心揺さぶられるモノはごく近くに存在し、私の心を強くかきむしり、動かしていく。
そして自分も心を動かしていくモノ、物体のない、存在が何処にあるのかわからない感動というもに近づき、目指したい。
と、思う。
それが何なのか分からないから、今を毎日を精一杯生きるしかない。とも思う。
信じる力を見失わずに、強く、さらに強く毎日を生きたいと思う。
先を不安がらずに、一歩一歩をなるべく大切に感じたい。と、今日は思いました。
http://www.gallery-shimada.com/schedule/exhibition/kinoshita_1304.html