森進一は歌いました・・・。
花が女か 男が蝶か 花が散る時 蝶も死ぬ・・・と。
いろんな花があってそれぞれに好きですが、自分はやっぱしほんわかした雰囲気の花が好きであります。
例えば・・・↓
情熱的で好きですけど・・・
自分は男なので・・・もとい、男だったので、かも?
いや、花を見る時にどーしても女性に見立ててしまうんであります。
例えば、真っ赤なハイビスカスを見れば南方の女性の陽気でムフフな性格を思い浮かべるんですが、それは自分の日常にはそぐわないな、と思ってしまうのであります。
へっ・・・❓ 花を見て一々そんなこと思う方が変態ですか❓
小さなバラですが 燃えてます
いや、森進一が歌った「花と蝶」の歌詞の意味を飲み込めたのはつい最近のことであります。
この歌を聞いた若い頃は派手な花と綺麗な蝶を連想し、熱い恋を想ったものでありました。
しかし、今は歳を食ったせいか清楚な花、質素な花に紋白蝶や小灰蝶の「花と蝶」を素直に思い浮かべることができるのであります。
たぶん歌の詩の花は怪しく綺麗な花であり、蝶も大きな羽を広げてひらひらと飛ぶ揚羽蝶なのでしょう。
しかし、野に出てみれば艶やかな花は多くもなく、路端には目立たない花が普通に咲いているのであります。
こんな花が好きです・・・↓
紫苑
ハルジョオン
野に咲くキク科の花は質素で派手さは無いのですが、だからこそ目にすると気持ち安らぎます
ずいぶん昔、背伸びして派手な花の周囲を舞ってはみても留まることは叶わず、羽を休めたのは野菊の花であったことを思い出します。
自分の中から若い頃のような熱いものが失せてしまったから情熱的な花から野菊に気持ちが移ったのでは無いと思うのであります。
きっとそれが私の素性だったのでありましょう。
思い出の中のハイビスカスと現実の野菊が上手いこと折り合いがついたのは歳のおかげでありましょう。
花は良い。
花に対して、この歳になってもどーにも捨てきれないものがあるのは内緒です。
花が女か 男が蝶か 花が散る時 蝶も死ぬ・・・と。
いろんな花があってそれぞれに好きですが、自分はやっぱしほんわかした雰囲気の花が好きであります。
例えば・・・↓
情熱的で好きですけど・・・
自分は男なので・・・もとい、男だったので、かも?
いや、花を見る時にどーしても女性に見立ててしまうんであります。
例えば、真っ赤なハイビスカスを見れば南方の女性の陽気でムフフな性格を思い浮かべるんですが、それは自分の日常にはそぐわないな、と思ってしまうのであります。
へっ・・・❓ 花を見て一々そんなこと思う方が変態ですか❓
小さなバラですが 燃えてます
いや、森進一が歌った「花と蝶」の歌詞の意味を飲み込めたのはつい最近のことであります。
この歌を聞いた若い頃は派手な花と綺麗な蝶を連想し、熱い恋を想ったものでありました。
しかし、今は歳を食ったせいか清楚な花、質素な花に紋白蝶や小灰蝶の「花と蝶」を素直に思い浮かべることができるのであります。
たぶん歌の詩の花は怪しく綺麗な花であり、蝶も大きな羽を広げてひらひらと飛ぶ揚羽蝶なのでしょう。
しかし、野に出てみれば艶やかな花は多くもなく、路端には目立たない花が普通に咲いているのであります。
こんな花が好きです・・・↓
紫苑
ハルジョオン
野に咲くキク科の花は質素で派手さは無いのですが、だからこそ目にすると気持ち安らぎます
ずいぶん昔、背伸びして派手な花の周囲を舞ってはみても留まることは叶わず、羽を休めたのは野菊の花であったことを思い出します。
自分の中から若い頃のような熱いものが失せてしまったから情熱的な花から野菊に気持ちが移ったのでは無いと思うのであります。
きっとそれが私の素性だったのでありましょう。
思い出の中のハイビスカスと現実の野菊が上手いこと折り合いがついたのは歳のおかげでありましょう。
花は良い。
花に対して、この歳になってもどーにも捨てきれないものがあるのは内緒です。
ブログ記事には書きませんでしたが、花の「花芯」(これが書けなかった)に群がる🦋が女でしょうな。
自分も今朝のkusakabe-dcさんのブログ見て驚きました。
こんなこともあるんですね。
kusakabe-dcさんは沖縄のハイビスカスから、で、自分は家のハイビスカスから・・・赤い花に惹かれるのは男の性でありましょう、きっと。