先週聴きに行った講演のタイトルです。
かごしま市民福祉プラザで行われた、第10回ボランティアフェスタの最終プログラムに、
東京ボランティア・市民活動センターアドバイザーの安藤雄太氏が招かれました。
東京ボラセンは1981年発足。98年に上記のように改称されています。
81年が国際障害者年―ノーマライゼーションの提唱、
90年福祉関係八法改正―在宅福祉の推進、
95年の阪神淡路大震災―現地での復興支援活動への市民参加、
といったボランティアとかかわる出来事、関心の高まりがあったことに、まず触れていました。
印象に残った点を2点挙げると、
ひとつは、「社会性(連帯性)がある」というところが趣味の集まりと違う点であること。
活動のポイントは、「主体性(自主性)、無償性(無給性)、創造性(先駆性)」において趣味活動と共通するが、支え合いや学び合い、誰かの役に立ちたいという要素が加わるとボランティアとして成り立つ。
もうひとつは、「組織の中の人は皆同じではない」こと。
イノベーター 3%、多数の人 34%、当てにならない人 15%、のりやすい人 14%、無関心の人 34%
(エバレット・ロジャースからの引用とのこと)
というように、どんな組織にも色々な考え方、思いの人がいて、本当に頑張れるのは僅かだという。
ただ、活動に共感すればお金も出せる。また、つながりや工夫があることで楽しいと継続できる。
どんな分野に向いているか、ではなく、現在のような経済状況が悪い時ほど、
人の関係を大事にする活動が重視されるのではないか、と話しています。
会場の参加者に、講話のはじめに、自分が「ボランティア」を二文字で表すと何ですか?と問われました。
そしておわりに、自分は「こんな活動をしたい(している)」を思い浮かべてください、と投げかけました。
そのふたつのイメージをつなげる方法を考えてください、というのが話の結びでした。
私は自分の経験を振り返って、「笑顔」かなと思い浮かべ、「園芸でつながる人と人」が、テーマかな、と思っていた…
とここで打ち明けておきます
写真は、駐車場への行き帰りの風景。
鹿児島市の文化ゾーン、鶴丸城跡の石垣と、お堀沿いの花壇。
その間に立つイチョウはまだ青いですね。右側は赤い実が秋の色どりを添えるクロガネモチです。
かごしま市民福祉プラザで行われた、第10回ボランティアフェスタの最終プログラムに、
東京ボランティア・市民活動センターアドバイザーの安藤雄太氏が招かれました。
東京ボラセンは1981年発足。98年に上記のように改称されています。
81年が国際障害者年―ノーマライゼーションの提唱、
90年福祉関係八法改正―在宅福祉の推進、
95年の阪神淡路大震災―現地での復興支援活動への市民参加、
といったボランティアとかかわる出来事、関心の高まりがあったことに、まず触れていました。
印象に残った点を2点挙げると、
ひとつは、「社会性(連帯性)がある」というところが趣味の集まりと違う点であること。
活動のポイントは、「主体性(自主性)、無償性(無給性)、創造性(先駆性)」において趣味活動と共通するが、支え合いや学び合い、誰かの役に立ちたいという要素が加わるとボランティアとして成り立つ。
もうひとつは、「組織の中の人は皆同じではない」こと。
イノベーター 3%、多数の人 34%、当てにならない人 15%、のりやすい人 14%、無関心の人 34%
(エバレット・ロジャースからの引用とのこと)
というように、どんな組織にも色々な考え方、思いの人がいて、本当に頑張れるのは僅かだという。
ただ、活動に共感すればお金も出せる。また、つながりや工夫があることで楽しいと継続できる。
どんな分野に向いているか、ではなく、現在のような経済状況が悪い時ほど、
人の関係を大事にする活動が重視されるのではないか、と話しています。
会場の参加者に、講話のはじめに、自分が「ボランティア」を二文字で表すと何ですか?と問われました。
そしておわりに、自分は「こんな活動をしたい(している)」を思い浮かべてください、と投げかけました。
そのふたつのイメージをつなげる方法を考えてください、というのが話の結びでした。
私は自分の経験を振り返って、「笑顔」かなと思い浮かべ、「園芸でつながる人と人」が、テーマかな、と思っていた…
とここで打ち明けておきます
写真は、駐車場への行き帰りの風景。
鹿児島市の文化ゾーン、鶴丸城跡の石垣と、お堀沿いの花壇。
その間に立つイチョウはまだ青いですね。右側は赤い実が秋の色どりを添えるクロガネモチです。
昔お話を聞いた記憶が・・
ごく少数の人だけが本気でやっている
という点が印象的です。
仮に私が答えるなら
「私塾」
「介護政策を学ぶ」(硬いかな)
PS
1 昨夜「中間報告会」1年前とは思えず昔のような。
2 論集、再校は編集委員の私が済ませました。
3 「シナプスの笑い」9号の園芸の人は
四国(愛媛だったか)の人だそうです。
お知らせいただきながら、PS-3、まだ探し出さずにいます。その代わり、「月刊福祉10月号」に埼玉のNPOで園芸福祉の実践者が再掲されているのを見つけました。(県図書にて)
現在Uターンして鹿児島市内の特養で働き始めました。
機会があったらお会いしたいですね。
「ボランティア拒否宣言」という詩に衝撃を受けました。ボランティアをする側・される側それぞれの感情の決定的な隔たりにボランティアってなんだろう?って考えてみるも答えは出ず・・です。未だに。
できることならお会いしたいです、私も。
「ボランティアをする側・される側それぞれの感情の決定的な隔たり」
ということは考えたことがありませんでした。
される側の精神的な状態(機能)によって変わってくると考えてもよいのでしょうか?
この講演に行った目的は、ボランティアを活用したいという意図があってでした。
自分がボランティアするより、活用する方の難しさを感じていたので。
ともかくも、コメントありがとうございます。
「ボランティア」について考えると、ついあの詩を思い出してしまって。
する側の一方的な行為になってしまわないよう、お互いにとって何か得ることが出来る活動として取り組めたらいいですよね。
園芸福祉・園芸療法が盛んな県は、園芸ボランティアの育成事業など行政が活発に動いてます。鹿児島は残念ながら何も始まっていないようですね。園芸ケアを実施するにはまずはマンパワー、それも人手さえあれば済むものでもないし。
Qさん、このような現状の中でほんとに頑張っておられますね。すごいなぁ。
する側・される側・活用する側の三つ巴でしょうか・・・
いずれの立場も自然に求め合う中で助け合えればいいのでしょうが、むつかしい事もあるかもしれませんね。
ちなみに私が考える二文字「喜び」
そして「園芸と笑顔のお手伝い活動」かなぁ~。
って理想です。何よりも自分の為にボランティアしてると思います!