母校が開校60周年を迎え、記念式典があるというので行ってみました。
訪れるのは○十年ぶり?
まだ色づいていない銀杏の木々。それらには名前があります。
真理・理想・剛健・友愛・誠実・自立・雄飛。
正直、今日「そうだった」と思い出しました。
記念公演に招かれていたのは、45年前の卒業生でもある、福島県立医科大学副理事長、竹之下誠一氏でした。
3・11後の災害時医療を陣頭指揮され、そして原発事故後の放射能への対応に腐心されている、
同大学附属病院の院長でもあります。
震災に深く関わっている人物の話を直接聞く機会になるとは予期していなかったので、思わぬ収穫でした。
<福島の悲劇を福島の希跡へ>というタイトル。
縁あって仕事をし、暮らしてきた福島という地を、先生は、震災まで棚上げされてきた原発の抱える問題と向き合い、
乗り越えて、福島の人々が安心して暮らせるような場所にしたいと、
医療の立場から真剣に、前向きに考えて行動しておられることを知りました。
そのような先輩がいるのは内心、いえ、大いに誇らしく、ぜひとも、先輩の壮大な構想が実現するよう願うばかりです。
講演の冒頭で、医療者は、特に、専門とするがん治療では、
患者が向き合う‘不条理’を受け止めることも役割としている、ということを言われました。
だから、震災の不条理に立ち向かうのは、職業上他の人より困難でなかったというのです。
私は、「‘認知症’も不条理のひとつだなぁ。」とすぐ思いました。
何の悪いこともせず、規則正しい生活習慣で暮らしていてもかかってしまう病への怒り、苦しみをぶつける矛先は、
周囲の人間へ向かう、ということです。
たぶん、ソーシャルワークにおける受容と共感になるのでしょう。
ケアの場でいえば、傾聴、あるいは喜怒哀楽の共有でしょうか。
先生から後輩(主に在校生である中1から中3生)へのもうひとつのメッセージに、
「(学閥など)しがらみが無いのは自分のやりたいことを自由にできるという点で良いことだが、一方で、
自分の信念をほかの人に分かってもらうためには、相手に分かってもらえるような説明ができる努力を、
他人の何十倍もしなければならない。」
というものがありました。
世のしがらみに疎い私は、
人並み以上に‘園芸療法(の実践)’の良さを多くの人に理解してもらい、仲間を増やしていくための
努力を惜しんではいけない…
このごろ、何からしていけばよいか、と整理のつきかねていた自分に喝を入れてもらったように感じつつ、
昔のように校舎に一礼して校門をあとにした、雨上がりの午後でした。
その反面で
人一倍の努力がいる
そういう風に考えると
それは
まさに私自身にも当てはまりそうです。
母校が
そばにあるのはいいですね。