今日、私の勤めるホームの入所者Nさんのお葬式に行って来ました。これまでは、どなたか亡くなった時は、お通夜を選んでお別れしてきました。でも今回、私にとっては六年のお付き合いとなったNさんだったので、告別式に参列させてもらうことにしたのです。
法話の中で、すべての人に「生老病死」はつきものだと言われました。Nさんは大陸での青春を含めて、戦争の体験、子育てと、必死に生き、ホームでの老後をいくつもの病にもがきながら暮らし、そして死を迎えたと思います。
喪主の息子さんが挨拶の中で、繰り返しホームへの感謝を述べられました。もったいないほどのお言葉でした。そのとき私は、どれだけのことをNさんにしてあげられただろうかと思いました。それと同時に、高齢者の生の最終幕に関わるこの仕事の有り難さ、その方の人生を振り返ったり、長い人生で培われた人間性や言葉に触れ、ご家族の一助となれることはとても貴重であり、今後も必要とされることは必至だろうと思いました。
特別な思いがあって高齢者ケアに進んだわけではないけれど、もっと深く関わり方を考えていくのも、やり甲斐がありそうだと感じたのでした。
そんなことを考える時間を与えてくれたことに感謝しながら、Nさんが天国で笑っていることを願うことでした。
法話の中で、すべての人に「生老病死」はつきものだと言われました。Nさんは大陸での青春を含めて、戦争の体験、子育てと、必死に生き、ホームでの老後をいくつもの病にもがきながら暮らし、そして死を迎えたと思います。
喪主の息子さんが挨拶の中で、繰り返しホームへの感謝を述べられました。もったいないほどのお言葉でした。そのとき私は、どれだけのことをNさんにしてあげられただろうかと思いました。それと同時に、高齢者の生の最終幕に関わるこの仕事の有り難さ、その方の人生を振り返ったり、長い人生で培われた人間性や言葉に触れ、ご家族の一助となれることはとても貴重であり、今後も必要とされることは必至だろうと思いました。
特別な思いがあって高齢者ケアに進んだわけではないけれど、もっと深く関わり方を考えていくのも、やり甲斐がありそうだと感じたのでした。
そんなことを考える時間を与えてくれたことに感謝しながら、Nさんが天国で笑っていることを願うことでした。