園芸ケアの模索~based on Horticultural Therapy~2nd season

ひとと緑のコラボレーション 園芸療法。ひととコミュニケートするツールとしての園芸のかたちを模索中です。

アイデアのたね

2008-07-24 17:30:02 | 触発される出来事や出会い
ホームでは茄子やピーマンが実り、さつま芋畑には容赦なく雑草が伸びています。高齢者でもお元気な方は、涼しい朝一番か、夕飯も終わる頃の時間帯で、そういった植物の成長ー勢いのある生命力の実感としてーを見たり、収穫したりしに連れ出したいのですが、なかなか思うようにいきません。やはりつい業務に追われてしまったり、いい時間と勤務時間が噛み合わないと、それ以外の時間までボランティアする気力が残ってなかったり…「暑さが堪える」などと言い訳をして活動は休止中です。ただ、続けてほしいという要望もあるので、例えば、
①そこだけでひとまず再開する
②暑さが治まってきたら再開する
というように考えてみようかなぁと思っています。

話は変わりますが、もうひとつおぼろげな考えが浮かんでいるので、記しておこうと思います。この4月から7月の間、鹿児島大学の公開講座(果樹園芸学)を受講してきました。そこでご一緒したMさんは、造園関係の資格取得の勉強を兼ねて受講された方ですが、エコロジーの観点で園芸に着目されています。
また、市民ボランティアとして学内の花壇整備に関わってらっしゃるHさんは、東京農大の生涯学習で園芸福祉士の初級講座を修了された方です。
このお二人とはおそらく年代的に近いと、勝手ながら親近感を覚えての思いつき。それは、ひとが植物や園芸とかかわる中で享受する様々な良さとかエネルギー{食物としてや気分への影響、さらにエコロジー推進の意味での}を活用する取り組みのできるチームが作れるのでは?というものです。お二人には迷惑な提案かもしれませんが。

自分の住んでいる場所で、誰かの役に立ちたい、そんな思いが実る日が、それぞれに来ることを願う夏です。

花がもたらすひととき

2008-07-13 19:09:46 | 死と向かい合う
先日、ホームでSさんが他界されました。私が入職した時からのお付き合いですから、七年間お世話させていただきました。この方が末期がんであると分かってから二ヵ月あまりの間、私は他の利用者さん達との園芸療法活動で慌ただしい時期でしたが、ふと考えたのは、ターミナルケアの方への園芸療法とはどうあればよいのだろう?ということでした。
終末期ケアは緩和ケアとも言われます。身体的・精神的な苦痛の緩和を目的としたケアの実践、とのことです。この考え方は認知症ケアにも応用できると、どこかで聞きました。
さて園芸療法に関して言えば、穏やかな生命体である植物は、おそらくターミナル期にある方に寄り添ってくれるだろうと想像します。好きな色、好きな花がいいかもしれません。最期まで希望の象徴になるかもしれません。
Sさんとまだ言葉が交わせたとき、お孫さんからの鉢植えを見ていただこうと視線の先に掲げたら、咲き誇るピンクの小花を捉らえて「わぁきれいじゃ、好っじゃ。」と声を弾ませてお顔をほころばせたのが印象に残ります。そんなひと時が少しでも有ってよかったと、思い出されました。
Sさん、空の上で笑っているといいな。

七夕でひと区切り

2008-07-08 08:17:00 | 実践記録2008年
梅雨明けしてすでに半端じゃない暑さの中、12回目の活動はやはり室内となりました。第三回目で作った押し花をラミネートの器械にかけて、A4大のマットに仕立てます。半透明のラミネートフィルムに押し花と名札などを挟んで高温でフィルムを密着させると、透明な薄いマットの中に花が鮮やかにならびます。ガラス窓に飾ればステンドグラス風に楽しむこともできそうです。
皆さんこのような作業は初めてで、自分の作品が魔法のように姿を変えるのを見て、ちょっとした感動を得たようでした。
その後ハーブティーも体験してもらいましたが、色や香りに興味を示しながら飲んでいたようです。
この園芸療法活動を通して、私にはたくさんの発見があり、参加した方々にも普段感じられない驚きや初体験の場面があったと思います。評価データはこれからどう出るか未知ですが、それぞれの方の良い部分の芽生えを見ることができ、想いを垣間見ることがあったことは確かです。止めてしまってはもったいない、と感じる職員もいるようだし、これでおしまい、とならないようにやり方を考えて行きたいと思っています。このブログに書き続けるためにも、ですね。