園芸ケアの模索~based on Horticultural Therapy~2nd season

ひとと緑のコラボレーション 園芸療法。ひととコミュニケートするツールとしての園芸のかたちを模索中です。

☆MERRY CHRISTMAS☆

2009-12-25 09:32:11 | 死と向かい合う
鹿児島は穏やかな朝です。

この数日も、馴れない業務を片付けつつ気になるのは、末期を迎えているBさんのことです。

高熱と薬での解熱を繰り返していて、合併症での重篤化が懸念されています。
熱が無い時は苦痛の表情が見られないので、あまり切迫感がないのですが、
スタッフも気が抜けません。

GHでのターミナル緩和ケアの必要度が高まっている今、既に数例を経験してきたものの、統一した手順書はまだありません。

医療との連携が重要になる一方、介護の視点がぶれないようにケアを実践するところに専門性が問われます。

動揺しやすい状況のとき、いつも的確なアドバイスを下さるのは訪問看護ステーションの長の方です。

管理者として、方向性を見失わないこと、本人のために家族・GH・病院がそれぞれに果たすべき役割を全うできるように気配りしながらリードする、それらをスーパーバイズしてくださり、心強く感じています。

自分の構え方というか、度胸というか、経験を積むことで人の大きさはできてくるのだろうなと思いますが、私は入り口に立ったところで、起こり得る様々な事に向かっていく決意を固めたばかりです。

こんな環境の変化はありますが、おそらく、「園芸療法の視点でのケア」はベースとして変わらないでしょう。
これまでよりもうひとまわり大きな視野で考えられるようになるチャンスかもしれません。


〈リユース・ガーデニング〉さんを参考に、朝顔のつるからリースができました。
Yさんが手探りでまとめたつるを、すべて再利用の材料で飾りましたが、他棟からも好評の出来栄えです。

これを読んでいただいているみなさま、どうぞ良いお年を!

すこし感傷的な、お月見。

2009-10-04 14:27:02 | 死と向かい合う
桜島は3000メートルの噴煙を上げたけれども、幸い風向きが鹿児島市方向でなく、
澄み切った夜空に満月をめでることができました。

この日の朝、元同僚(40代女性)の他界を伝え聞きました。

私にとっては年齢的にも先輩ですが、
主任をしていた頃同じ棟に異動してきたのをきっかけに知り合いました。

主婦でパートながら、ヘルパー2級からの実務経験で介護福祉士をとり、
当時は誰も言いださなかった、パートの有給休暇取得の先陣をきったことでも
印象に残っています。
教員免許か何かを目指して大学の通信制を受講したり、宗教関係の活動(選挙前などは特に)にも熱心で、
何ごとにも前向きで積極的、利用者さんを楽しませる技に長けた明るい方でした。

別の職場へ移ってからケアマネも取得して障害者関係で仕事をされ、
ほんのたまに携帯のメールで互いの近況を交換してきました。

そういえばここ1年くらいはそれも途切れていたような…
意欲的に福祉に携わる姿に、何かしら刺激を受けていたと思います。

突然の訃報で気持ちが沈んだ一日のおわりに、
十五夜の月を見上げて冥福を祈るばかりでした。

認知症とのかかわり

2008-08-21 19:33:42 | 死と向かい合う
今、グループホームでの実践活動で記録した評価のまとめに四苦八苦しています。論文を書く上での決まりごとなどにとらわれてしまうと前へ進めないので、とにかく書くことが大事!(と先生にはいつも言われてます…)
手探りでデータの整理をしながら気づいたことは、認知症の進行は本人の生きる意欲も奪っている、といえる点です。とにかく軽度のうちに現状維持する取り組みをして、止めることはできない進行~脳の萎縮と言えるでしょうか~を緩やかにすることが必要です。
そのための取り組みのひとつが園芸療法。本来なら、日常生活活動一つひとつが認知症の方にはリハビリになるということで、グループホームも生活リハビリの場として期待され、広がりました。しかし実際どれくらいのグループホームが当初の理念通りのケアが出来ているのか疑問です。運営上、職員の数は限られ、一様でない症状の方々の個別ケアを日々実践するとなると、時間的に難しい部分があります。忠実に入居者の方々のペースに合わせた動きしかしなければ、共同生活の流れが滞って回らなくなってしまう恐れがあるのです。そんな訳で、健常な自分たちがテキパキと家事を取って代わってしまうようになるのでしょう。
じゃあ家事を取り上げられた施設暮らしの認知症の方はどうやって症状の進行を食い止めればいいのか?人として何か役に立っている実感や食べていくためにできること、そこに楽しみもあって、年を取ってしまっても参加出来る活動があるといいー私としては園芸作業がオススメですね、やはり。お年寄りの歩んできた人生は様々ですから決して押し付けではありませんが。アニマルセラピーなどにはない懐の深さがあるように思います。(無論否定するつもりではありません。複合的に用いることが有効な場合もあると思いますし。)
とにもかくにも、認知症になってしまった人が少しでも出来る能力を保ち、楽しめる取り組みを、支える方が一体となって始めることが必要で、それに気付いた人が増えなければ効果的な取り組みに結びつかないな、という論が交わされながら、私の作業は進みつつあるという経過報告とさせていただきます。

最後に私事ながら、認知症だった親戚の伯父の訃報が届きました。内科的な問題は無いようだったので、そのうち会いに行こうと呑気に構えていました。身近で付き添っていた伯母と伯父本人の両方に、役に立てなかった…という後悔に似た気持ちも、これからの自分にとっては前進する力にしなければと感じながら書いていることも、ここに記しておきたいと思います。

花がもたらすひととき

2008-07-13 19:09:46 | 死と向かい合う
先日、ホームでSさんが他界されました。私が入職した時からのお付き合いですから、七年間お世話させていただきました。この方が末期がんであると分かってから二ヵ月あまりの間、私は他の利用者さん達との園芸療法活動で慌ただしい時期でしたが、ふと考えたのは、ターミナルケアの方への園芸療法とはどうあればよいのだろう?ということでした。
終末期ケアは緩和ケアとも言われます。身体的・精神的な苦痛の緩和を目的としたケアの実践、とのことです。この考え方は認知症ケアにも応用できると、どこかで聞きました。
さて園芸療法に関して言えば、穏やかな生命体である植物は、おそらくターミナル期にある方に寄り添ってくれるだろうと想像します。好きな色、好きな花がいいかもしれません。最期まで希望の象徴になるかもしれません。
Sさんとまだ言葉が交わせたとき、お孫さんからの鉢植えを見ていただこうと視線の先に掲げたら、咲き誇るピンクの小花を捉らえて「わぁきれいじゃ、好っじゃ。」と声を弾ませてお顔をほころばせたのが印象に残ります。そんなひと時が少しでも有ってよかったと、思い出されました。
Sさん、空の上で笑っているといいな。

忘れないように…

2008-01-12 16:26:29 | 死と向かい合う
今日、私の勤めるホームの入所者Nさんのお葬式に行って来ました。これまでは、どなたか亡くなった時は、お通夜を選んでお別れしてきました。でも今回、私にとっては六年のお付き合いとなったNさんだったので、告別式に参列させてもらうことにしたのです。
法話の中で、すべての人に「生老病死」はつきものだと言われました。Nさんは大陸での青春を含めて、戦争の体験、子育てと、必死に生き、ホームでの老後をいくつもの病にもがきながら暮らし、そして死を迎えたと思います。
喪主の息子さんが挨拶の中で、繰り返しホームへの感謝を述べられました。もったいないほどのお言葉でした。そのとき私は、どれだけのことをNさんにしてあげられただろうかと思いました。それと同時に、高齢者の生の最終幕に関わるこの仕事の有り難さ、その方の人生を振り返ったり、長い人生で培われた人間性や言葉に触れ、ご家族の一助となれることはとても貴重であり、今後も必要とされることは必至だろうと思いました。
特別な思いがあって高齢者ケアに進んだわけではないけれど、もっと深く関わり方を考えていくのも、やり甲斐がありそうだと感じたのでした。
そんなことを考える時間を与えてくれたことに感謝しながら、Nさんが天国で笑っていることを願うことでした。