園芸ケアの模索~based on Horticultural Therapy~2nd season

ひとと緑のコラボレーション 園芸療法。ひととコミュニケートするツールとしての園芸のかたちを模索中です。

ボランティアのちから

2009-10-24 09:57:55 | 想いはめぐる
先週聴きに行った講演のタイトルです。

 かごしま市民福祉プラザで行われた、第10回ボランティアフェスタの最終プログラムに、
東京ボランティア・市民活動センターアドバイザーの安藤雄太氏が招かれました。

 東京ボラセンは1981年発足。98年に上記のように改称されています。

 81年が国際障害者年―ノーマライゼーションの提唱、
 90年福祉関係八法改正―在宅福祉の推進、
 95年の阪神淡路大震災―現地での復興支援活動への市民参加、
といったボランティアとかかわる出来事、関心の高まりがあったことに、まず触れていました。

 印象に残った点を2点挙げると、
ひとつは、「社会性(連帯性)がある」というところが趣味の集まりと違う点であること。
 活動のポイントは、「主体性(自主性)、無償性(無給性)、創造性(先駆性)」において趣味活動と共通するが、支え合いや学び合い、誰かの役に立ちたいという要素が加わるとボランティアとして成り立つ。

もうひとつは、「組織の中の人は皆同じではない」こと。
 イノベーター 3%、多数の人 34%、当てにならない人 15%、のりやすい人 14%、無関心の人 34%
(エバレット・ロジャースからの引用とのこと)
というように、どんな組織にも色々な考え方、思いの人がいて、本当に頑張れるのは僅かだという。
 ただ、活動に共感すればお金も出せる。また、つながりや工夫があることで楽しいと継続できる。

 どんな分野に向いているか、ではなく、現在のような経済状況が悪い時ほど、
人の関係を大事にする活動が重視されるのではないか、と話しています。

 会場の参加者に、講話のはじめに、自分が「ボランティア」を二文字で表すと何ですか?と問われました。
 そしておわりに、自分は「こんな活動をしたい(している)」を思い浮かべてください、と投げかけました。
 そのふたつのイメージをつなげる方法を考えてください、というのが話の結びでした。

 私は自分の経験を振り返って、「笑顔」かなと思い浮かべ、「園芸でつながる人と人」が、テーマかな、と思っていた…
とここで打ち明けておきます


写真は、駐車場への行き帰りの風景。
鹿児島市の文化ゾーン、鶴丸城跡の石垣と、お堀沿いの花壇。
その間に立つイチョウはまだ青いですね。右側は赤い実が秋の色どりを添えるクロガネモチです。





 

“ばかもの” で行こう

2009-05-21 18:50:17 | 想いはめぐる
 写真は、ベランダに茂るイエローラズベリーが初めて実をつけたところです。
 かすかなべりー系の甘味がありました。


 ところで、私のお気に入りのTV番組に、NHKの『プロフェッショナル~仕事の流儀』があります。(毎週火曜日22時から)
 先日取り上げられたのは、元小樽市役所職員でさまざまな町おこしの手腕を買われて、現在は内閣府に籍を置く‘スーパー公務員’、木村俊昭氏でした。
 番組の中で、かつての‘ばかもの’ぶりが紹介されていました。
 それはつまるところ、突飛とも取られる(役所の上司や市民から)アイデアを実現させるなかで、自分を信じ、その情熱を相手に伝え続けることが、成功の鍵でもあったということでした。
 そして、全国の地域再生の相談に飛び回る今、大事にしていることは「地元の人たちをその気にさせること」だといいます。

 実は10日ほど前、地元紙の論点という、客員論説委員による記事に、次のような内容がありました。
「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ、地域活性化には三モノが必要と言われる。ヨソモノは地域のしがらみがない者、ワカモノは地域に暮らす若者、そしてバカモノは新しいアイデアや発想を持つ者を指す。」

 筆者は自社事業として(総務省のサポートがある)、航空会社社員を各地の依頼先に派遣し、産業あるいは観光振興で地域の活性化を図るという事例を紹介しています。
「ヨソモノから見ればどの地域にも必ず宝がある。」
「地域が誇るもの「オンリー・ワン」を共有し、地域が一体となってチャレンジする。」ことが必要だ、と締めくくってありました。


 番組を見ながら、ふたつに共通していた‘ばかもの’というキーワードを、思わず自分にオーバーラップさせました。
 素晴らしいアイデアとまではいきませんが、おぼろげに、園芸療法、あるいは園芸ケアを核とした地域(福祉)活動のかたちを作れないだろうか?という考えが、頭の隅に漂っているせいでしょう。

 ここ鹿児島では、Horticultural Therapy はまだまだ異文化的に受け取られます。
 しかし、その良さ、必要性を信じている私が、地道にすそ野を拡げていけばいいのだ!と、‘ばかもの’をあらためて自覚したのでした。

 もうひとつ、励みになる記事を紹介します。

 南日本新聞5/15(金)付「♪音楽で地域と交流」
 鹿児島市南部地区の特養で、利用者のお年寄り70人と民生委員20人とが、音楽療法を楽しんだ、というものです。
 地域と施設の結びつきを強めるための交流に携わった、園芸療法士Sさんが紹介されています。Sさんは同じ大学院で1年後輩ですが、療法士としての活動は数多くの実績をお持ちです。

 
 いま自分なりに考えつくありったけのものを、構想してみることにします。

小さな稲穂

2008-09-01 00:00:03 | 想いはめぐる
いつも外回りの作業で頼りにしているHさんが、余った早苗を発泡の箱に植えておいてくださった稲に、穂が出ました。写真ではわかりにくいけれど。
入所されてる方は、なかなか自らは気付かないのですが、ほらっと注意を促すと「まぁ~」と意外そうな、懐かしそうな反応を見せます。

さて、ホームでは毎年恒例の納涼祭が催されました。小雨混じりの中近所の方、普段お世話になっている方を無料のジュースやかき氷でもてなし、子ども達にはちょっとしたゲームで玩具や駄菓子をゲットして楽しんでもらっています。区画整理の年は少し減りましたが、平均300人程が集まり、ひととき賑やかな空気に包まれます。
子どものヒップホップから大人の日本舞踊まで、入所者の皆さんにとっては舞台で披露される踊りを見ながら、ご家族と過ごしてもらえる数少ない機会でもあります。
一方裏方の職員はこの日まで準備に追われます。通常業務以外に時間を取られるので、もう止めようという声も挙がります。同じ法人の他の事業所からもボランティアに来て貰えてますが、それはそれで対応に苦慮するものです。

その時間、いつもの単調な生活を抜け出した入所者の方々は様々に反応を示します。笑ったりはしゃいだり、いつもならとっくに寝てしまう時間になっても目を見開いてショーを見たり、。
そんな様子を見ると、準備の面倒も当日の長時間勤務も、頑張った甲斐があったと、報われた気持ちになるのは、私だけじゃないはずです。

これは高齢者施設での日常の余暇に、どれだけ多様な活動を組み込めるかという課題にも同じことが言えます。
ある程度前もって準備をしたうえで、計画的に進める必要があります。職員がそれぞれの得意分野を介護現場に生かしながら、お世話を受けている人びとと一体になって達成感を得られる時間・空間を共有することが、介護の場には大事だと思います。
それが単に個人の奉仕に頼る形にならないためには、きちんとした計画・実行・評価・見直しをする活動に、それなりの時間的配慮や人員の確保を保証していくことも必要かと考えています。
音楽,芸術,園芸,動物,学習等々の各種療法はそういった活動にもっと取り入れられるようになっていくと、施設高齢者は活性化されて重度化を遅らせることができるのでは?
最近注目されはじめたのものでは、ドールセラピーなるものも見られます。

こんな理想を描いている自分も、業務と家事をこなすのと論文を書く時間を確保するのに四苦八苦なので、園芸療法活動を展開する余裕が無く、机上論になってしまうのですが…

小さな田んぼの稲穂は、出来れば正月飾りのために収穫してもらいたいと思っています。
(あぁーその時期には論文が順調に進んでいますように!)

働くことの理想と現実

2008-08-08 10:36:33 | 想いはめぐる
ここだけの話ですが、就職ガイダンスというものを覗いて来ました。福祉・保健医療分野のものです。簡単な自己アピールを書いて、面談会場に入ってはみたものの、果たして自分の求めている職場を見つけだすにはどうしたものか…足が前へ進まずにいました。
介護福祉士は福祉施設や病院の介護職員として需要はありますが、ヘルパー資格者と同等の待遇の所もあり、経験を積んでいる身には物足りなさがあります。低賃金に関しても制度や施設の経営など考慮すれば、現状の中で少しでもやりがいを持って仕事に臨むしか、今はありません。
「やりがい」はひとによって様々でしょうが、私にとっては関わってきたグループホームの利用者さんの生活を支えること、利用者さんのご家族の役に立っているのだという自負が6年余りの支えになって来ました。その間温めてきた、園芸療法を用いることで、認知症の方々の生活を少しでも前向きなものにしたいとの思いを、実行に移すことが今の希望です。それは福祉の仕事についた目的でもあるし、今後のモチベーションにも関わります。しかし現実はキビシイようです。
園芸療法よりも認知されている音楽療法の導入においても、福祉施設ではボランティア扱いが多く、療法士として食べていくだけの報酬はないようです。また、報酬があれば今度は、療法の時間、利用者を預けて職員は休憩してしまうような場合もあり、疑問を感じることがあるそうです。そういった各種療法の目的が理解されないまま、健常者に手軽にもてはやされ、流行りものとして終わってしまうのは残念ではないでしょうか? 何か公的なバックアップや関心を寄せて取り組みを後押しする力のある理解者が、ここ鹿児島にも存在して欲しい!全国的に見れば自治体でそれらに取り組んでいる所はいくつもあります。(兵庫県立淡路景観園芸学校はその代表的なものです。岐阜県では園芸福祉サポーターの養成事業の実績があります。)
内容が膨らみすぎるといけませんね。要するに、福祉の現場で園芸療法のように心・身・脳の機能に障害のある方に有効な非薬物的手法が、日常的に用いられるようになるまでには、長い道のりを歩むことになりそうだと実感する、夏の1日でした。

ホームでの活動に一役買ったこのハイビスカスは、濃い桃色の花で、朝ゆっくりと開き、私に1日のエネルギーを与えてくれています。
この途切れがちなブログを読んでくださっている皆さまも、まだまだ続きそうな暑さを乗り切られますように願っています。

うずうずする季節

2008-04-01 17:11:35 | 想いはめぐる
最近私の頭の中は、園芸療法のプログラムをイメージして、あれこれ考える毎日です。
季節は桜もほころぶ春爛漫を迎えようとしています。巷のガーデナー達はワクワク・ソワソワにちがいありません。そんな人々が甲突川沿いで開かれている木市にも見られます。
木市では市価よりも若干手頃な苗物や、珍しい山野草の類、豊富な種類の果樹・花木がならび、そぞろ歩くだけでも楽しいですね。ホームの利用者さん達も連れて来れたらなぁ…と思うのですが、車椅子使用の方が増えてなかなか皆で外出出来ないのが悩みでもあります。だから、せめて木市で買ったんですよ、という導入で‘花の寄せ植え’でもしたいなと、苗の下見に余念がない私なのでした。
ちなみに、県外からこられたゼミの先生に聞いて初めて、入口の看板に木市の由来が書かれていたことを知ったのでした!