新聞記事の「歌の旅人」という記事が1月7日は
「およげ!たいやきくん」でした。
冬になると、特にたい焼き屋さんから流れるこの今日くはつい口ずさんでしまいます。
♪毎日毎日~ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になちゃうよ~♪
この歌詞わかるな~っていう気分の時もありますものね~
サラリーマン哀歌とか言われますが、
その誕生は児童向けの番組ポンキッキで歌われて、当時はやりのカギっ子を励ますためとか。
そのおはなしは、ご存知の方も多いでしょう。
では、東京のたい焼き「御三家」はごじ存知ですか?
①港区麻布十番「難波屋総本店」、、1909年明治42年大阪から上京した神戸清次郎兄弟が始めたとか。
泳げたい焼きくんのアニメでは、たい焼き屋さんがコック帽でたい焼きを焼いていますよね、このモデルとされるのが3代目だそうです、
ホテルに園遊会に呼ばれた時コックに負けまいとコック帽と蝶ネクタイをつけ、店に帰ってもそのままだったそうです。
②中央区日本橋人形町『高級鯛焼き本舗 柳屋」、信州出身の創業者が温泉せんべいをヒントにパリッとしたうす皮で香ばしいたい焼きを考えたそうです。
尻尾が跳ね上がり。優しい表情が特長とか
③真珠区若葉「たいやき わかば 」1953年(昭和28年)創業
しっぽまであん子が入っているのを見た作家の安藤鶴雄ガ「人間の誠実を味わった」と新聞に書いて評判になったとか尻尾に若葉と焼き印が押してあるそうです。
東京に行ったら買ってみたくなりませんか?
そしてもう一つ、あんこの原料小豆は東洋原産だそうです。英語でもアズキというんですよ。
縄文時代の琵琶湖の遺跡からも出土してるそうです。
赤い色が邪気を払うとされ、
祭りや祝い事の赤飯や小正月の小豆飯彼岸のおはぎなど行事に欠かせない。
人生の節目にもたびたび登場する。宮参り婚礼、出産、さらに葬式でも赤飯を炊いて配る。、
みっちゃんも先日岐阜県大垣市の葬式で赤飯が配られたのには驚きました。
晴れの日の行事用だけと思っていたからです。
邪気を払う意味があったのですね。
そういえば明日か遺跡から出てきた石棺が赤い朱で内部は覆われていましたよね。
確か吉野ヶ里の甕でもそうでしたよね。。
この曲を作詞した、作詞家の高田ひろおさんは釧路の出身で
、ロカビリーにあこがれ飛行機で東京を往復したほどという音楽好き
思いが募ると、釧路米町公園の啄木の碑のよこで、
東京方面を見つめて「広い海に出たい」と思ったそうです。
自由な海、でもやっぱりたい焼きくんは食べられてしまうんですね~
そんなペーソスすがこの歌が大人にも心に残ったんですね~~
今日はそんなことを思いながらきいててみてくださいね・
子門真人 およげ!たいやきくん
皆さんは、自分の中にどんなあんこのDNAを感じますか?
読んでくださってありがとう。