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HOTなおちゃタイム

保護猫八匹、21歳のリンをはじめとした楽しい日記をお読みくださいね。

音楽楽譜用フォントのインストールしたりして3種のコンサートチラシづくり

2012-07-17 16:15:43 | クロアチアスロベニア、モンテネグロへの旅

 

先日から、pcスクールで、ワードを使って、

コンサートにご招待する案内状

 

背景の華やかなチラシの作成をしました。

そしてイラストフォントを効果的に利用してページ飾りに使ってみました。

色んな事が覚えられ、また楽しからずや!!です。

 

イラストフォントは今回ONGAKUNをインストールして使いました。

 

インストールされてないパソコンを開いた時、別のフォントにおきかえられてしまうので、

今日、帰ってさっきインストールして

見事、案内状につかいましたよ!!

今まで知らなかったことが少しづつわかるのはとっても楽しいです。

皆さんもONGAKUNのイラストフォントご存知でしたか?

いや^パソコンて奥が深いですね。

たのしいでます。

よんでくださってありがとう。

 

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ボストイナ鍾乳洞は黄色トロッコに乗るんです。スロベニア

2012-05-18 15:26:42 | クロアチアスロベニア、モンテネグロへの旅

 

このたびの旅行で一番楽しみにしていたのはジブリの背景の海と街。

 

予想もしなくて、一番楽しかったのは、ボストイナ鍾乳洞!!

鍾乳洞は一年中平均気温が8度位で、寒いですから、防寒具をしっかりおモチ下さいとい事前にアドバイスを受けていた。

たかが鍾乳洞がそんなものか・・・と思っていた。間違っていた。

中国の雲南省桂林にも大きさ世界一というふれこみの鍾乳洞に2回も行ったことがある。

だだっ広くて、夕方の地平線のようにライトがしてあって「すごい広いなー」という以外そんなに・感動もなかった。

 

クロアチアの北にあるスロベニアのボストイナ鍾乳洞は違うのです

そんな半端でない。

ヨーロッパで一番ということだ。1818年に探検隊が入ったとか、

スロベニアの大地の50%近くは石灰岩でできている。

かの国では、現在6000以上の洞窟が発見されているという。

この洞窟は、毎年50万人の観光客を集めていて、約27キロあるという!!。

すなわち昔10万年以上前から少しづつピヴカ川の水を吸収して、石灰岩が削られたもの

1㎜成長するのに10~30年かかるといわれる。

入口から2キロ近くは黄色のトロッコ列車に乗って、

あと1,7キロのハイライトをガイドに案内してもらうのです。

当然光りの届かない世界、薄暗く、時々電気も消され真っ暗にもなる。

神秘的な不思議な世界に入り込んだ気がする、

狭い通路のところもあり、かなりのスピードに頭や肩がぶつかりそうになる。

結構長い。

ハリーポッターの賢者の石に出てくる小人の地下銀行「グリンゴッツ銀行」を思い出した。

ここにきたことのある制作者がこれをヒントにしたのかしたとか・・

 

ファンタジーの世界に酔いしれる洞窟中は撮影禁止。

最後は写真撮影可の場所も・・

類人魚というのも展示されているとか。。

こんな洞窟でひっそりと生きているのに展示するなんて、ちょっとかわいそうな気もした。

この両生類は、1年間食べなくてもよくて100年くらい生きるらしい

 

外ではいろんな宝石もうっていた、

ここスロベニアは、すんなりと独立が認められEUに加盟しています。

ですからユーロで払うことがきます、金銭勘定も簡単。

骨好きみっちゃんは化石マニアです。

宝石よりもアンモナイトの化石に目がきらり!!

このような、石灰岩の地帯には化石がたくさんでるんです、

昔は海で、プランクトンなどの死骸がつもった石灰岩の土地化石の宝庫なのです。

桂林でも、化石をうっている少年などにであいました。

ここスロベニアの、お店ではちゃんと研磨もしてあるのです。

この技術が素人には、なかなか難しいんですよ

北海道でほってきたアンモナイトはけずってるうちに、半分にわれて泣きそうでした

だって何十万年も秘かに大地にねむっていたのに、壊してしまうなんて、

申し訳がないですもの。

日本の100分の1の値段です。こんな大きなものはもっと高いかもしれない。

これをどうするっか?って、?

 

にやにや眺めて古代のロマンの世界に想いを巡らせるんです。

興味のない方にはただの石ころかもしれないところに、考古学マニアはロマンを感じるんですよ。

 

外に出てしばらくすると洞窟城の広告が・・

ツアーなので行くことはできませんが、

先日のシャーロックホームズの最後の滝つぼに落ちた、御城にそっくりで

又また嬉しくなってくるみっちゃんでした、

うちに帰って調べましたが舞台はスイスとか・・

チト残念ですが、こんなファンタジーを感じさせるボストイナ洞窟群でしたよ。

いいところでした。

読んでくださってありがとう。

 

 

グリンゴッツ魔法銀行魔法界唯一の銀行。小鬼が経営している(但しビル・ウィーズリーフラー・デラクールのように、グリンゴッツに勤務する魔法使いや魔女もいる)。地下金庫の管理、マグルの通貨との両替、財宝の発掘などを行っている。建物はダイアゴン横丁と夜の闇横丁の交差点付近にあり、一際高くそびえ立っている。金庫は地下深くにあり、大理石のホールからトロッコを使って金庫へ向かうという仕組みになっている。地下金庫へ向かう道の途中には、「盗人落としの滝」と呼ばれる、侵入者の魔法や呪いを洗い流す防衛装置が存在する。また金庫の中には、小鬼でなければ開けることができない金庫や、ドラゴン(映画版ではウクライナ・アイアンベリー種のドラゴン)によって守られている金庫が存在する。こうした厳重な警備体制を指して、ルビウス・ハグリッドはグリンゴッツを「ホグワーツ以外でもっとも安全な場所」と語っているが、作中で2度金庫が破られている。映画「賢者の石」によると、ハリーの金庫は687番金庫である。ちなみに賢者の石が入っていた金庫は713番金庫、シリウス・ブラックの金庫は711番金庫。

ウキぺディアより!

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日本国のパスポートの御威光が見えないか!!アデリア海の国、モンテネグロの世界遺産、“コトル”

2012-05-16 10:31:40 | クロアチアスロベニア、モンテネグロへの旅

welcome!!

モンテネグロの国バスの車中より!

ドウブロヴニクのホテルから日帰りで、隣の国モンテネグロへ。

オスマントルコも攻めきれなかった天然の要塞の御蔭でここまた中世の町並みの残る世界遺産”コトル”へ、

モンテネグロ”黒い山”の意味

今までの国々では石灰岩の山々で大きな木が茂りません

でも、この界隈は木がおい茂る深緑黒い山の国なんです

この名がついたのですね。

南にはアルバニア、ギリシャへの海岸線がつづきます。

旅程ではドウブロヴニクから、87キロのところ3時間です。

高速道路がないとしても

なんで・・と思いませんか?

そのわけは国境を超える時の

税関とパスポートコントロールに時間が、かかるんです。

自家用車とバスはレーンが違います。

前のバスがハンガリーのバスでしたので、乗ってる全員がパスポートを顔と照らし合わせ、

機械で、パスポート全部照合する約20分はかかってましたね。

日本人の観光客はノォプロブレム!

フリーパス状態なのに・・・!!

その間に、隣のレーンの家用車の検閲を眺めていました。

目星をつけられた車は本と徹底的に袋の中身まで調べられていました。

日本のパスポート!

菊の紋章のパスポートは世界一・

どこの国からもフリーに通れると信頼されているものとか

ですから盗まれないようにしてほしいと・・ガイドさんからもくれぐれも言われました。

モンテネグロには大使館がないので、確かウイーンノ大使館までまでいってもらいますと・・・・・

その費用一切と帰りの飛行機代は自己負担だそううです。(約100万円だとか、)

おったまげた!!

実際最近イタリアで被害にあった方も、これほどではないけれどそれに近い金額だそうです。

飛行機がノーマル料金になりますからね。

モンテネグロはやっとまだここ数年前に独立国として認められた国なんですね、

ですからこいう手続きも規則通り!

通貨もEU加盟国ではないですが、ユーロです、

自国の通貨をもたないんですよ。

旅行者には値段の比較が、わかりやすいです

普通海外でも、観光バスで移動の時はお土産物屋さんにトイレ休憩しますよね。

そこでお土産物なんかを買うのはトルコや中国もそうですが、ここはガソリンスタンドでお借りするんです。

お土産物も結構ありました。

でも最初に入ったガソリンスタンドはトイレにカギがかかっていまいした、

その旨をガイドさんにいいました。

店の人に聞くと停電中で断水だとか・・こんなことはよくあるようでした・・

バスから人が降りてトイレの前に並んでいても、事情を説明にも来ないし、断水中とも、紙も貼ってないてもない。

経済的な発展も遅れ、工業もない豊かな自然で観光を国の生業としようとしてるのに・・と

ガイドさんが嘆く気持ちがすこしわかります。

さらに”コトル”の世界遺産の一軒だけのお土産物屋さんで、値段が2酒類しかついてないのにはびっくりしました・・・・

大きな飾り物もちっさいものも3ユーロしか違わないんです。

持ち運ぶのにどうしようかと考える大きな猫を飼ったのはいうまでもないんですが・・(笑)

そこで世界一くらい古い教会が開いていて、現地ガイドさんも開いてるのを初めて見たそうです。

おまけにそこの黒い衣装の司祭様が私たち日本人観光客に「写真をとっていいよ!」

自分もモデルになって~もうガイドさんもおったまげていました。

「今日は日曜で、みなさん折角きてくださったから」と・・司祭様のたまわく。

ここは大方がセルビア正教でした。

帰り、もいやってほど国境越えに時間がかかりました。

EU間の国ではこれが簡素化されてとっても便利になっているのですが・・

こんな体験もはじめてでした~

西ドイツと東ドイツに分かれている時のベルリンの国境越えは、ものすごく厳しくて、こわかったです。

自家用車は車の下まで調べられていました。

個人旅行でしたので私の乗るバスには、いろんな国の人がのってました、

観光バスには厳しくなくて、

「ガイドが罰せられるから雑誌は持ち込まないでくれ。写真はとらないでくれ!!」といわれましたけれど・・

こんな体験も、今では楽しものですね。

日本のパスポートは世界では、水戸黄門様の御印篭位の後光が射すんですねぇ

読んでくださってありがとう、

また続きますよ~読んでね~

 

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自治と平和の都市・ドブロヴニクの赤い屋根に・・・・

2012-05-10 18:10:50 | クロアチアスロベニア、モンテネグロへの旅

 

今私たちが行った時は、アドレア海の町々はプレシーズンで込み合っていません

でもドブロヴニクはフェリーが一船入港すると

一度に3000人も上陸するとか。

ドブロヴニクの港は深いので大型のフェリーが入港できるんだそうです。

シーズンになると小さな町は押すな押すなの状態だそうです。

 

パンフレットからです。

まわりにはホテルに直に横付けできるプライベイトビーチも多く、

昔から、島々にはプライバシーやマスコミを避ける

多くの有名人がバカンスを過ごしにきます。

パンフレットにのってる、その人々の写真です。

去年あたりはブラッドピットとアンジェリーナジョリ―がきたとか、

又、ヌーディストクラブの海岸もある島もありました

もちろん陸からは見えない島の向こう側です。

とても入り組んだ海岸線島も多く船が嵐や海賊などから隠れるにも

もってこいの港が続きます。

もちろん海運王国を誇った対岸のイタリアのヴェネティア王国が

植民地としてこの海岸線上の色んな都市を制圧しました。

しかしドブロヴニクは小さな都市国家でありながら、19世紀に初頭にナポレオンの大群に降伏するまで、一度も侵略されたことがない。

巧みな外交で自治を守ったのです。

7世紀ころからドブロヴニクには人が住むようになったといわれています

ビザンティン帝国の支配をへて、1

2世紀の末に自由貿易の権利をえ、独立

ヴェネティア共和国が台頭してくると管轄下、自由権を得て、

14世紀ハンガリー王国が南下し、主権を認める代わりに完全な自治権を勝ち得た。

自由都市の基礎はここに出来上がったといわれます。

15世紀東からオスマン朝が台頭してきたときも、

戦火を交えず宋主権を認める代わりに

自治権を与えられ、オスマン朝の庇護のもとますます交易が盛んになり

最盛期となるのである

この赤い屋根は巧みな外交戦術で戦争を避け

自由を貫いたあかしであるといわれています

ですから、この都市の人々が一番大事にしてること

”リベルテ”(自由)なんだそうです。

1990年の内乱でいろんなものが壊されました

でも復興には、かろうじて生き残った使える瓦はそのまま使い、

新しい瓦と組み合わせているんです。

屋根の色は近寄ると様々な赤です。

戦火を生き抜いてきた瓦は、

この町と私たちの威信・それを誇りに将来を作りたいと・・という・

去年やっと復興したロープウエイ。

その裏には弾痕の後のおびただしい戦火の壁と

内戦の激しさを物語るプレートがひっそりとたたずんでいました。

魔女のキキが飛び交った美しい世界、そこからの眺めと対照的でした。

名物の有名チョコとラベンダーにおいがとっても強いです。

 

次回はそこからまた北へ上がった

世界遺産の都市”スプリット”についてお話しますね。

読んでくださってありがとう

 

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やっとドブロヴニク、小さな国の世界遺産、

2012-05-09 11:12:41 | クロアチアスロベニア、モンテネグロへの旅

旅の最初はクロアチアの世界遺産のドブロヴニクからです。

日本から、10時間以上飛行機に乗り、最初の目的地です。

先週までは一週間以上雨。寒い日が続いたそう。

寒さ対策をしっかりしてくるように、出発一日前の旅行アテンダントの電話で、言われました。

現地に着くと、なんと!毎日晴れで。

暑くて暑くて!

日差しがとっても強いです。

サングラスに帽子、半そで姿にならないと・・・

歩いてる方の女性はビーチサンダルに肩ひものサマードレスや短パンです。

びっくりしないで!!

みっちゃんは靴下から、ジーパン、シャツすべて、ヒートテックス!!!

 

一枚だけ持っていた、ヒートテっクでないのびるパンツを膝までまくりあげ、

現地で半そでTーシャツ、サングラス、帽子を買い求めたのは

素晴らしいお土産ですわ~(笑)

 

現地に着くまでに7時間半ヘルシンキまで飛行機に乗って乗継、4時間半の飛行機ドブロヴニク空港まで。

さらにバスでホテル迄40分海岸線を走りました。

なんと体調の悪かったみっちゃん

最初のヘルシンキ着陸で飛行機が大揺れに揺れた

その間、多分たった2~3分で乗り物酔い、真っ青になって戻しそう。

へろへろ~着陸後もどしたりして、でもなんとか飛行機を乗り継ぎました。

でも、しっかりと免税店でムーミンのキーホルダー買いました。

ヘルシンキ(フィンランド)と来たらムーミンだものね。

つぎの飛行機はうまく離着陸。やれやれ!!

ところがどっこい!!

バスの海岸線を縫って走るので、ゲロゲロでした~

でも海岸線の入日の美しさはしっかり写真に。(最初の写真です、)

ヨーロッパも4連休とかで大型フェリー3000人乗りの船がつくそうです。一船いました。

朝ついて観光をして、2~3日間か王をするそうです。ですからいろんなところが混むので

その混み具合が船の数でわかるんですね。

そんな説明は裏覚えです。

 

ホテルに着くやシャワーをして寝てしまいました.

朝は快調!

 

あくる日、朝見るとホテルは海に面して、そのままビーチになっています。

 

横には個人の持ちモノの船が横づけされていました

次はいよいよ町の観光にでかけます

(続く)お楽しみにね~

 

 

 読んでくださってありがとう

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日本に生れて、・・・クロアティア、スロベニア、モンテネグロの旅を終えて・・

2012-05-07 16:36:14 | クロアチアスロベニア、モンテネグロへの旅

ゴールデンウイークいかかお過ごしでしたか?

 

みっちゃんはイタリアの西アデリア海の対岸の国

スロバキア、クロアティア、モンテネグロの国々に行ってきました。

共産国ユーゴスラビアという国から分離独立した国々です。

 

現在スロバキアはすんなりと独立.EUの参加も認められ通貨もユーロです。

 

クロアティアは国内での内戦が本の10年前まで、続いていて

いたるところに銃撃戦のあとのおびただしい弾痕や破壊されたあとが残っています。

まだEUへの参加は認められていなくて、今年の秋くらいの認められるらしい。

 

クロアティアの南モンテネグロは「コトル」という世界遺産の街へ日帰りでしたがお土産物屋さんが一軒だけ、

値段も全商品は3種類くらいという大まかなつけかたです。

工業もなく観光国として国をやっていくという国策らしいですが、

入国出国の手続きに2時間近くかかる手際の悪さでした。

 

ヘルシンキ経由で最初の

クロアティアのドゥブロヴニクアドレア海の真珠

いわれたヨーロッパの昔からのリゾートにはいってから帰国まで

一番感じたのは

 

ここは東ヨーロッパの国なんだ。ヨーロッパなんだということでした。

 

長い歴史を持つリゾート地なのに。

私の接触した人びとはみんな素朴

 

おおらか、マイペース、のんびり、

 

日本の効率の良さがなんだか非人間的に思えてしまうこの頃のみっちゃんです。

 

でもやっぱり笑顔の少ない国なのは長い悲惨な内戦の結果なんでしょうか?

 

観光地なのでどこでも英語が通じます。

 

旅の最後のほうでスーパーで買い物をしレジで、

覚えたてのクロアチア語

”ヴァーラ”(ありがとう)といったとき、

レジの女性がパッと顔を上げて、

小さな声で、”ヴァーラ”といいかえした笑顔がとっても心に残りました。

 

どこへ行っても海はきれい、自然は豊か、空気も日本より澄んでいます。

 

天然の良港に恵まれ、それ故イタリアのべネティアの植民地であったり

陸のほうからはトルコのほうのサラセン帝国から防御の城壁あとが旧市街の町並みからわかるんですね。

 

強国でない小さな国がどう自らを守ってきたかうかがい知れる旅でした。

 

少しずつまた詳しく旅のレポートをお知らせします。

お楽しみにネぇ

読んでくださってありがとう

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