つきのわ駅 その3

2017-10-02 06:27:30 | 日記

熊野神社を探しています。なぜか関越道を越してしまいました。滑川町ふれあいバスの停留所を発見。すでにふれあいは廃線。終了しています。

関越道は母体の体内に食い込んだ尾てい骨。陰の易に入りましたので股関節を示します。大腿骨の足を繋げる。その「あし」を終わらせた因果が「ふれあい」の失いです。

墓石の石材。後ろには公園?。ロータリーとベンチのある広場です。「せき」の罪。財。材。才。大きな因果は昔、脊、責。昔からの積み立てた責任。親の責任。一家の大黒柱。個人だと背骨の脊。お役目を断ち切ったら立っていられませんね。お厄を軽くするのよ。循環紙幣社会だと8割9割の役は軽くできるのさ。

広場の上部は溜池。道を挟んで両脇に溜めています。そこに神社を見つけました。

何の神社かは分かりません。溜池前なので水に関係しているのは確かです。

関越道の真横の溜池。骨髄の髄液。

滑川町は肉食のなめし革。皮を舐めます。滑は三水+骨=出汁を取る。骨までしゃぶる。砕く。家畜肉のオリ。家畜の育て方。食べ方に悪意が架かります。紙幣主義の家畜はもっと美味しく。もっとたくさん。遺伝子を掛け合わせてブランドを作ります。循環紙幣社会の家畜は天寿を全うした死体肉をいただきます。土に帰る死肉なので食べても恨を溜めないのよ。
同じく金縛りの解けた人間像を土葬水葬風葬にします。虚構自然が食べてくれます。帰してくれるのは世界観です。

真横は月輪西新井矢尻集会所。「やじり」は鏃。金扁+矢=鉃。矢=族。一族。一血族。一家族。矢は武器の象徴です。獲物を仕留めた。仕留め損なった。矢九の尸が矢のお尻。一本の矢に見立てた時のお尻がこちらです。私は矢尻にタッチしたのです

コメントを投稿