「連盟加盟金やら毎年払うのがあろう・・・あれナンボか あんた知っとるんか?あれさえなけりゃ、広島財界でカープを買う言うて名乗りをあげるところはナンボでもあるわい・・・グッズの販売で儲けとるとか、少々じゃ中止をせんとか言うけど、そうでもせんと独立採算の球団は維持できんわい・・・ワシはオーナーが好きか嫌いかと聞かれたら、好きじゃないんよ。しかし、カープ球団を面倒みいやと言われても、正直に言うて広島財界もじゃが、いまの日本の企業で探しても手を挙げるのはおらん。これが現状よ~もしあのオーナーが球団経営から手を引いたら、有力選手がFAするとか、選手の年俸があがらんなど言うとったことが小さなことじゃと、多くのものが気づくんよ。そのとき本当に広島はお終いじゃ・・・文句タラタラ言えるときがええんじゃ。黒字球団いうても内情は別よ・・・一説じゃオーナーの給料が4億じゃ7億じゃいいようるものがおるが、あれは大嘘じゃ・・・これ見てみい。」
今年は不動院で8時15分を迎えた。
祭りの作業も終えており、不動院さんが鳴らされた国宝である鐘楼の音で黙祷をささげた。
今年は53年ぶりに、広島市内でカープの試合も行われる年・・・
この理由はさておき、私の広島での8月6日を述べてみたい。
広島では、この日は特別な日とされている。
市内各地では多数の慰霊祭が行われ、平和とは何か?核兵器廃絶・・・などと議論が語られ、またムードに包まれてきた。
私の家族には被爆者はいないが、親族に被爆者はいる。
母は昭和20年8月6日に、当時の賀茂郡高屋町(東広島市)にて、大きなきのこ雲を見たと語った。
親族は・・・2日後に広島市内に入り、原爆で無残になった町を歩いて被爆者として認定されたらしい。その光景は何とも言えなかったと語った。
いま・・・葬儀業につき、多くの被爆者に接した。
そして8月6日の葬儀を通して、広島の現状もある程度理解できた。
お寺さんによっては、この日は葬儀が行えないほど法要で忙しい所もあれば、前日の5日に原爆供養法要を夕方に行われる所もあり、日程調整が思うように運ばないケースもある。
さて・・・私はこの8月6日に、平和公園で大掛かりな供養公演がが出来ないものか・・・数年前に それなりの有力者に提案してみた。
すると答えは・・・「あんたバカも休み休み言え。そがいな大恐れたこと言ったら大変なことになるでェ・・・」と即答で却下された。
広島・・・長崎では、平和に対しての発言は慎重である。
しかし・・・そろそろ平和の見方を真正面でなく、縦や斜めや横や下から見る議論がされてもいいのではないかと思う。
核兵器廃絶を願い要望しても核実験は多くの他国で行われ続けている。
被爆者援護法も時代と共に議論し、戦争の経験がない我々にも参画させてほしい。
8月6日の原爆の日・・・
この慰霊は継続するべきだが、革新系の市長から民主的な市長に変革したヒロシマ・・・
将来のために、多くの市民が参加できる議論の場を構築してほしいものである。
今朝5時に起きて・・・牛田新町の不動院へ。
今夜おこなわれる不動院まつり(盆踊り)の準備。
町内会有志の男女が30名集合し、櫓を組んだり、テントを張ったりしたものである。
毎回が、はじめてのことで
ドタバタするのだが、今年は何気に作業がはかどった気がした。
これは一にも二にも・・・Hさんの綿密なる作業工程を示した段取りのよさだと思う。
作業開始前に、男性陣に配布した紙・・・
そこには①~⑥の櫓完成までの工程が記されている。
作業開始と同時に、誰もその紙を見ながら動くものは
一人としていなかったのだが、テキパキと工程表どおりに作業は進み約1時間で終了した。
いつもでれば、もっと時間を要したものだが、最初に各自・・・段取りが頭に入っていたのと、Hさんの 「そこはそうじゃない・・・こうじゃけん」とか、「何しようるん。こっちが頭じゃけん・・・」の先導もよかったのであろう。(笑)
さて準備の済んだ不動院・・・
夕方には町内会の屋台もお目見え・・・
賑やかな祭りになるであろう。
今夜18時開始・・・不動院まつり。
どなたでも参加自由である。
どうそお越しください。