今日も国際関係アナリスト・北野 幸伯さんのメルマガからお伝えします。(2020.5.12)
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全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは! 北野です。
日本は、変わるべきでしょうか?
そうでしょう。
かつて一人当たりGDP世界2位だったのが、今では26位になっている。
これは、何かがおかしいのです。
何をどう変えたらいいのでしょうか?
私は2年前、「日本のここを変えるべきだ」という本を出しています。
●日本の生き筋 家族大切主義が日本を救う
詳細は↓
まだの方は、是非ご一読ください。
しかし、「変えなくていい」というか「変えてはいけない」ものもあります。
それは、日本の国民性とか、根本的価値観とか、そういったことです。
たとえば、「ウソをつくこと = 悪」と考えない人たちもいます。
それで、「日本はだまされっぱなし」だと。
そんな他国を見習って、「日本ももっとしたたかになるべきだ」と。
要するに、「もっとずる賢くなろうぜ」と。
私は、こういう話には、反対です。
私は、「詐欺師にだまされないよう、自分も詐欺師になろう」という話には反対です。
そうでなく、「詐欺師にだまされないよう気をつけよう。でも、自分は詐欺をしないでおこう」。
これなら賛成です。
私たちは、「日本はすばらしい!」と外国から称賛される生き方をすべきで、外国から、「日本はずる賢いな!」と非難される生き方をすべきではないでしょう。
どこを変えるべきか?
どこを変えずに守るべきか?
今日は、読者のOさんからのメールをご紹介します。
<北野先生、今朝の「ちょっと独り言」です。
識別なしに、氾濫する情報(ニュースから噂話まで…)に身を任せているのがいかに楽で心地よいか。
一緒になって、誰かの、どこかの国の悪口を言って攻撃し、「犯人」は自分ではないと安心し、
この国が、わたしのいる場所が、わたしの仕事がうまく行かないのはわたしのせいではない、と変に納得するのがいかに容易か。
つまり、
「自分の頭で」考えること、
「自分の心で」感じることが
いかに面倒くさいか。
今、渡部昇一先生の『決定版 日本人論』(扶桑社新書)を読んでいて、感じた「独り言」です。
この本を「読んでしまったら」日本の国の益、日本人の善-それを通して、すべての人の善-のために、「わたしは」何が出来るか、何をしなければならないかと絶えず問いかけずにはいられなくなりますね。
以下、心にピーンときた箇所…(まだ序章ですが)
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(50-51頁)
また、平和ボケした日本のお人よしぶりが、やがて日本を弱小国に追いやることになることを危惧する向きもある。
隙あれば人の足元を掬(すく)おうと虎視眈々(たんたん)と狙っている海千山千の諸外国に伍していくには、日本も同じような逞(たくま)しさを身に付けなければいけないという議論も盛んである。
しかし、果たしてそうだろうか。
付け焼刃で、そんな逞しさを身に付けようとしても、長年それでやってきた国々に勝てるはずがない。
そんなことに無い知恵を絞るより、日本人だけが本来もっている「強み」をもっとちゃんと見直して、それを武器にするほうが絶対に有利である。
[…]人の足もとを掬うことなく、人も我もいいという日本の姿勢[…]。
それを戦前の日本で株式で成功した人は
「人もよかれ。我もよかれ。我は人よりちょっとよかれ」
と表現しているが、この考え方こそ、日本人独特の「強み」なのである。
この力を使わない手はない。
お人よし大いに結構ではないか。[…]
(51-52頁)
どの国にも、それぞれの歴史の中で国体が変化するときがあり、日本もその例外ではない。
しかし、他の多くの国家が、国体が変化するたびに、そこですべてが断ち切られるに比べて、日本は連続性を失っていない。
その中心にあるのが皇族だ。[…]
それは、おそらく神話時代に、天孫降臨の詔勅(しょうちょく)といわれるものにすでに記されている豊かな四季に恵まれた日本と神話時代から続いている皇室を持つ国民ならではの知恵であろう。
自然や人や他国と対立せず、拒否せず、排除もせず、それを受け入れて自分の中になじむように収めてしまう知恵が養われた。
すべてを受容するというこの知恵は、日本人の本質となっている。
すなわち、それが日本人の「強み」なのである。
***
北野先生が、ご自身のメルマガで、もう49歳になって「ただのおじさん」になってしまいました、と書いておられましたが、先生は、決して「ただのおじさん」ではありません!
北野先生と、先生と志を同じくする方たちは、もしかしたら少数派かもしれませんが、自分ファーストの多数派より、自分も大切だけれど、みんなでもっと善くなりたい、次の世代に夢を引き継ぎたい、と望む少数派の方がずっと「すてき」です。
「すてき」というのは、かなり主観的ですが、たとえば教皇フランシスコは、教会は「勧誘」で成長するのではなく、生き方の証で人を引き付けなければならない、と言っています。
ある人の、「多利的」な生き方は、人々の中に眠っている良心を刺激するので
「うざっこい」「見たくない」と否定されることもあるけれどでも、やっぱり、何か引き付けるものがある。
「わたしの利益になりそうな考え」ではなく、ちょっと大変だけど「正しい道」を歩みたい、という望みは誰の中にもある、と思います。
そうでなければ、人類は今まで生き延びなかったと思います。
そんな望みを、
少数派であっても「すてき」な人たちが実際に生きようとしているとしたらわたしは応援します。
…と書いていて、伊勢先生の言葉を思い出しました。
大村智教授についての話の最後に…
***
大村の偉業は、多くの人々に導かれ、助けられ、支えられて、成し遂げられた。まさに「一期一会」の精神で、多くの人々との出会いを大切にしてきたからだろうが、その姿勢も「自分はもっと何かをしなければ済まない」という初志に支えられていたのだろう。
そういう志を持っていればこそ「袖振り合う縁」を生かせる。
そして、そういう人には世間も助力を惜しまないし、天も必要な時に必要な人を出会わせてくれるのだろう。
(『世界が称賛する国際派日本人』、育鵬社、21頁)
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長くなりました。
先生と、ご家族、友人方の上に、神さまの祝福が豊かにありますように!>
【メール転載ここまで ▲】
渡部先生、Oさんの意見に賛成です。
悪が蔓延しても、日本は、世界に和をもたらせる存在でありたいものです。
私たちは「リアリスト」ですが、普通のリアリストとは少し違って、
理想を目指すリアリスト
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なのですから。
---owari---
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