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アメリカ公民権運動と日本

2022年02月03日 | 日本
この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。
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アメリカでは、1950年代に入るとアフリカ系アメリカ人が、公民権の適用と人種差別の撤廃を求めて大衆運動を起こしていきます。当時のアメリカ人は黒人を激しく差別していました。たとえば、バスには「白人専用及び優先座席」が設けられていました。

そんな中、アラバマ州モントゴメリーで黒人女性ローザ・パークスが公営バスの「白人専用及び優先座席」に座ったことに対して、白人の運転手が白人客に席を譲るように命じたが、パークスがこれを拒否したため、「人種分離法」違反で警察官に逮捕され投獄されるという事件が起こります。

それに対し、キング牧師らがモントゴメリー市民に対して、1年にわたるバス・ボイコットを呼びかける運動(モントゴメリー・バス・ボイコット)を展開しました。この運動には、黒人だけではなく、日本人を含む有色人種、さらには白人までが参加します。ユダヤ人です。それが大いに盛り上がって、1964年7月の公民権法成立になり、さらにその後のマルコムXらの活動へとつながりました。

こうしたアメリカの公民権運動の歴史に名前を残した日系人もいます。
カリフォルニア生まれの日系アメリカ人ユリ・コウチヤマ(河内山百合)です。

彼女の父親は、真珠湾攻撃の日に逮捕され、家族はアーカンソー州の収容所に収容されましたが、そこで黒人差別に直面し、黒人の抑圧と日系アメリカ人に対する処置とに類似性を見出し、戦後、夫のビル・コウチヤマと共に公民権運動に加わります。

彼女は、1965年2月21日、マルコムXが撃たれたとき、彼を看取ったひとりとしても知られていますが、その後もアフリカ系やヒスパニック系の運動にかかわると同時に、日系人強制収容所に対する補償要求運動も続けます。

そして1988年、その活動が「市民的自由法」成立という形で結実しました。アメリカ政府は「日系人の基本的な市民的自由と憲法上の権利の根底からの侵害に対し、議会は国を代表して謝罪する」と公式謝罪を行い、1人2万ドルの個人補償をすることとしたのです。

また、公民権活動家として知られるジェームズ・メレディスも日本の影響を受けたひとりです。
彼は、高校卒業後、すぐに軍務に服しましたが、日本に返還される前の立川基地に配属となり、日本の文化に触れています。そして帰国後、ジャクソン州立大学に2年間通い、その後ミシシッピ大学に入学を願い出ましたが、黒人であるということから二度にわたって拒絶されました。

そのため、大学構内で暴動が発生、ケネディ大統領の要請で連邦軍が派遣される事態となりましたが、フランス人ジャーナリストを含む2名が死亡、48名の兵士、30人の連邦保安官が銃で負傷するという騒ぎとなりました。

最終的にジェームズ・メレディスは1963年に歴史学の学位を取得後、ミシシッピ大学を卒業、その後、ナイジェリアの大学やコロンビア大学で学び、コロンビア大学では法律の学位を取得しています。

彼自身は、「自分は『公民権運動家』ではなく、アメリカ人なら誰にでも与えられるべき正当な権利を要求して与えられた一人の市民だ」と述べていますが、白人による差別を糾弾し、戦い続けた人々のバックボーンに、少なからず、白人たちと正面から立ち向かった日本という国と日本人の姿が投影されていたことは間違いありません。アメリカにはそういう話はいっぱいあるのです。

(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)

---owari---
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