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フロイスの信長に対する印象

2020年11月20日 | 歴史
ポルトガル人宣教師・フロイスの信長に対する印象の中には、私達が信長という人間を考える上でも、かなり参考になる事柄が含まれている。即ち、信長は、
・誇りの高い男であったこと。従って、侮辱(ぶじょく)にはかなり敏感であったこと。
・非常に短気であり、しばしば激昂(げっこう)するが、平素は必ずしもそうでもなかったこと。
・家臣のいうことにはほとんど従わなかったこと。つまり独断専行であったこと。

・しかし、その生活は極めて質素であり、酒も飲まず、粗食に甘んじていたこと。特に、睡眠時間が短かったこと。
・人の取り扱いは、極めて率直であったこと。
・理性と判断力に優れており、神及び仏に対する一切の礼拝や尊崇をしなかったこと。ならびにあらゆる異教的占卜(せんぼく:うらないのこと)や迷信的慣習を軽蔑していたこと。偶像を見下げ、霊魂の不滅や来世の賞罰等は信じていなかったこと。

・極めて清潔を好み、また、自分の言行に非常に良心的であったこと。
・会議は、要点のみで運ばれることを好み、だらだらした前置きや、いたずらに延ばされる事を嫌ったこと。良い意見だと思えば、身分に拘(こだわ)らずどんどん発言させたこと。
・やや憂鬱(ゆううつ)な面影を有していたこと。しかし困難な企てに着手するにあたっては、甚(はなは)だ大胆不敵であったこと。また人々も彼の言葉に従ったこと。

信長が霊魂不滅や、死後の世界を信じていなかったことはよく知られている。そして彼自身、
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度(ひとた)び生を得て、滅せぬ者のあるべきか」
という敦盛(あつもり)の曲や、あるいは、
「死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定語り遺(のこ)すよの」
という小唄を好んだことは有名だ。共に、いわばニヒリズムの唄である。

しかし、信長の場合は、これらの唄が、世の人々に受け入れられているような厭世(えんせい)的な考えはない。むしろ彼はこの世だけが人間の世なのであって、死んでしまえばそれまでよ、という考えを持っていた。ということは、人間の生存時間を限定していたということである。

つまり死の先がないのだから、生きている間は、精一杯生きよう、生命を完全燃焼させよう、やりたいことをやろう、という心構えであった。しかし、だからといって、彼は自分の考えを、そのまま他人に押しつけたりはしなかった。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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