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天命と天職 ~ 日本人の仕事観

2021年03月13日 | 日本
天命に仕え、天職を持つことが、「世の中で一番楽しく立派なこと」である。

(現代エリートを支える古典の教養)
北尾吉孝氏。慶應義塾大学経済学部を卒業し、野村證券に入社。英国ケンブリッジ大学経済学部に留学し、その後、部長職を経て、孫正義氏の招聘(しょうへい)によりソフトバンク・常務取締役に就任。現在はベンチャーキャピタルから不動産、生活関連サービスなどを幅広く展開する総合企業グループSBIホールディングスの代表取締役。まさに、絵に描いたような現代的エリートである。

しかし、この北尾氏には一風変わったところがある。江戸時代後期の儒学者・北尾墨香(ぼっこう)を先祖に持ち、幼稚園にあがる前から父親に中国の古典を叩き込まれた。高校・大学時代には昭和の漢学者・安岡正篤の著作に親しんだ。中国を訪問した際には、政府高官と四書五経の話で盛り上がった。

中国古典の素養は、北尾氏にとって単なる趣味ではない。事業家としての人生を支えるバックボーン(背骨)なのである。

事業のみならず何をするにしても、判断をし続けなくてはいけません。特に事業をやっていると、毎日毎日が判断の連続です。

そのときにブレない判断をするためには何が必要なのかと考えると、それは自分の根底にある倫理的価値観こそが根本になるのではないかと思っているのです。

私は論語の影響もあって、比較的早いときから自分の価値判断の基準として「信・義・仁」という三つの言葉を置くようになりました。以来、この三つを判断の物差しにしています。

(ホリエモンへの義憤)
北尾氏の「根底にある倫理的価値観」が、鮮明に表明されたのは、平成15年にホリエモン、ことライブドアの前社長・堀江貴文氏がニッポン放送などフジサンケイ・グループに敵対的買収を仕掛けた時である。

堀江氏は時間外取引というきわどい手法で、ラジオ局ニッポン放送の株式の35%を敵対的買収。ニッポン放送はフジテレビジョン株の22%を保有する筆頭株主であったため、その真の狙いはフジにあったと言われている。

ここで登場したのが北尾氏である。ニッポン放送の保有するフジの株式を借り受け、筆頭株主となった。敵対的買収に襲われた企業に救いの手を差し出す「白馬の騎士」である。

北尾氏は次のように述べて、堀江氏のやり方を公の場で批判した。

フジサンケイグループに対する、相手の立場を無視するような敵対的買収や、資本市場を投機の場にしかねないような大規模な株式分割など、良識や倫理観がない。公共財として守らないといけない資本市場の清冽(せいれつ)な地下水を平気で次々と汚していくやり方は、許せない。・・・もうければいいということではだめだ。

氏の考える「資本市場」とは、金を余っている所から集めて、足りない所に回していく社会的使命を持っており、その中でベンチャーキャピタルは新しい産業を興して国家社会に貢献するという役割を担っている。

その資本市場を悪用して、金儲けに使う堀江氏のやり方は「許せない」と北尾氏は義憤を感じたのである。

(仕事観の違い)
倫理観と並んで、堀江氏と北尾氏とは仕事観においても対立している。堀江氏は著書『稼ぐが勝ち』で、「人の心はお金で買える」「人間を動かすのは金」「金を持っているやつが偉い」などと公言していた。堀江氏にとって、仕事とは「金儲けのための手段」のようだ。

彼がニッポン放送に敵対的買収を仕掛けた時、社員一同が総会を開いて、「ライブドアの経営参画に反対する」との声明を発表した。

その声明では、ニッポン放送は「リスナーのために」ということを心のよりどころ・判断基準としているとしたうえで、ライブドアの堀江貴文社長には、リスナーに対する愛情が感じられず、経営に参画するというより、資本構造を利用したいだけとしかみえない、と批判していた。

北尾氏は、気に入らない株主に買われたら辞めるという勇気ある社員が多いなら、「『第二ニッポン放送』を作ることもある」と語っていた。本当にラジオ放送を愛し、リスナーのために働きたいと思っている人を応援したい、という気持ちだろう。

北尾氏やニッポン放送社員たちにとって、仕事とは金儲けのための手段ではないのである。

(「天につかえ、天の命に従って働く」)
北尾氏は近著『何のために働くのか』において、自らの体験と思索に基づいて、日本の、ひいては東洋の伝統的な仕事観をこう述べている。

東洋思想では、仕事とは天命に従って働くことだと考えます。仕事という字を見てください。「仕」も「事」も「つかえる」と読みます。では誰に仕えるのかといえば、天につかえるのです。天につかえ、天の命に従って働くというのが、東洋に古来からある考え方です。

かつては働きに出ることを「奉公に出る」と言いました。
これは「公に奉ずる」「公に仕える」という意味です。

東洋思想においては、「天」とは、ある理想の状態を目指す意思(天意)を持った存在だと考える。そして「天」はそのために、一人ひとりの人間に、ある使命(天命)と才能(天分)を与えている。自らの天分を生かし、天命に従った仕事を「天職」と言う。

孔子は「五十にして天命を知る」と言いましたが、これは「天から与えられた自らの使命を知る」ということです。実際、孔子は五十歳にして自分の天命とは世の人を救うことだと自覚して、それまでの修養の時期を終え、実社会の啓蒙活動に入っていくわけです。

(「自分の天命はこの二つだ」)
北尾氏も49歳になったときに、「自分の天命はこの二つだ」と思うようになったという。
一つはインターネットによって顧客中心のサービスを消費者や投資家に安く提供し、社会に貢献するということ。もう一つは、ともに働く者たちの経済的厚生を高めると同時に、事業活動によって得られた自らの資産を使って、恵まれない子どもたちのために社会貢献活動を行うというこ
とです。この二つが私の天命だと思ったのです。

二つの天命のうち、前者が金融、不動産、生活関連サービスなどを幅広く展開する総合企業グループSBIホールディングスとして結実し、後者がグループ各社の利益の一部を拠出して児童福祉を行う「SBI子ども希望財団」として実現した。

こういう仕事観を持つ北尾氏にとって、「リスナーのために」を天命としてラジオ放送に従事するニッポン放送社員たちの志は、分野こそ違え、共感できるものであったろう。

堀江氏もインターネットの世界で新興企業ライブドアを立ち上げたが、「人の心はお金で買える」と公言する姿勢から見ると、金儲けが主目的だったようだ。

天命に従って働いている人々の志が、金のために働いている人々によって踏みにじられようとしているのを見て、北尾氏は義憤を感じて立ち上がったのだろう。

(天命に従うことは、真の成功への道)
天命に従い、公に奉ずることを志す人間は、天の助け(天佑、天助)を受けて、真の成功に至る。これを実証する多くの事実がある。

松下幸之助は大正 (1918)年に松下電器産業を設立するが、この年の5月5日に真の使命を知った、としてその日を「命知元年」と名付けた。そして全従業員を集めて、「所主告示」という次の一文を発表した。

凡(およ)そ生産の目的は我等生活用品の必需品の充実を足らしめ、而(しこう)してその生活内容を改善拡充せしめることをもってその主眼とするものであり、私の念願もまたここに存するものであります。我等が松下電器産業はかかる使命の達成をもって究極の目的とし、今後一層これに対して渾身(こんしん)の力を奮(ふる)い、一路邁進(まいしん)せんことを期する次第であります。

北尾氏は言う。「ここには金儲けのことなどひと言も書いてありません」「こうした志のもとで事業を行ったがゆえに、松下さんは成功されたのだと思うのです」。

弊誌でもこれまで、豊田喜一郎、盛田昭夫、本田宗一郎、稲盛和夫など、日本を代表する企業を興した名経営者を取り上げてきたが、これらの人々に共通するのは、「世のため人のため」という奉公の志である。天命に従って、奉公を志すことは、真の成功に至る道である。

逆に金のために働いた堀江氏は、この3月16日、粉飾決算など証券取引法違反の罪で懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けた。

(自らの天職を見つけるには)
しかし、自らへの天命を理解し、天職を見つけるには、どうしたら良いのか。北尾氏はこう説く。

確かに天職の一つの要件として、その仕事が好きだという理由はあげられるでしょう。しかし、仕事が好きになった時期は人によって違うはずです。最初から好きだった人もいれば、続けているうちに好きになった人もいるでしょう。そう考えると、それがどんな仕事であれ、やってみなければ自分の天職なのかどうかはわからない、という結論になります。

ところが最近は、その仕事が天職かどうか判定できるようになる前に、あっさり転職してしまう人がたくさんいます。それではいつまで経っても、自分の天職に巡り会うことはできないでしょう。やはり一つのことを始めたら、簡単には諦めないでとことんまでやり遂げてみる。それが非常に大事だと思います。・・・

かくのごとく、もし本気で自分の天職を見つけたいという気持ちがあるのなら、まずは与えられた仕事を素直に受け入れることです。そして、熱意と強い意志を持って、一心不乱にそれを続けていく覚悟が必要だと思います。

北尾氏自身、大学を卒業する際、金融界の花形・三菱銀行を志望していたが、野村證券の人事担当者の意気に感じて、こちらに入社した。入社後は、与えられた場で懸命に働いて、能力を磨いた。しかし、野村證券に大不祥事が起こり、進むべき道を考えていた時に、ソフトバンクの孫正義氏に「うちに来てくれないか」と声をかけられ、資本金を出して貰ってソフトバンク・ファイナンスという会社を設立。そして事業を拡大していくうちに、ソフトバンクとの資本関係を清算し、SBIホールディングスとして独立した。

このように自分の遍歴をたどってみると、そのときどき、目の前にある仕事に一所懸命取り組んできたように思います。一方で、節目節目には必ず何かの啓示があり、そこに導かれて歩んできたように思います。そこに私は、天命というものを感じないわけにはいかないのです。

(天職を通じた成長)
こうして与えられた仕事に一所懸命取り組んでいくうちに、自分自身も成長していく。

私は仕事も一つの行であると考えています。・・・いつも同じ事ばかりやらされても愚痴をこぼさず、一生懸命に続ける。そして、自分から苦しい仕事に飛び込んでいって挑戦する。そうした一つひとつの行いが行なのです。

人間学の修養を続けながら、いつも「世のため人のため」という気持ちを持って、絶えず襲ってくる私心や我欲を振り払っていく。そうやって心の曇りを消しながら、仕事の中で「世のため人のため」を貫き通すのです。

もちろん失敗することもあるし、一時的に雲に覆われることもあるでしょう。それは人間だからしかたのないことです。しかし、失敗しながらも努力を怠らず、三十年、四十年とやり続けたら、一つの世界に到達することができるのではないでしょうか。

その「一つの世界」とはどのようなものか。

「一芸に秀でる」という言葉があります。どんな仕事でも一芸に秀でるところまで打ち込んだ人の言葉には、何とも言えない奥の深さと重みがあるものです。それはまさに、数々の苦難を乗り越えながら仕事を通じて人間的な成長を遂げた結果だと思います。私は、天職を見つけた人の誇りをそこに感ずるのです。

(「世の中で一番楽しく立派なこと」)
福沢諭吉は「心訓七則」の中で、こう言っている。

世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことである。

スポーツや習い事で上達した時に、嬉しく思った、という経験は誰にでもあるだろう。人間には自身の成長を悦(よろこ)ぶ心がある。また他の人に小さな親切をして感謝されたら、嬉しい、と思う心もある。奉公を悦ぶ心である。

一生涯を貫く天職を持つことで、もっと大きな成長の悦びと奉公の悦びを味わい続けられるとしたら、これほど「楽しく立派なこと」はないであろう。これが我々の先人の伝統的な仕事観であり、人生観なのである。

(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---

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