goo blog サービス終了のお知らせ 

このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

「精度の高さ」で米露に競い勝った理化学研究所

2019年04月24日 | 政治・経済
関連して興味深い記事があった。これも「産経新聞」(平成28年10月6日付)だが、大隅氏のノーベル賞受賞が韓国で強い関心を集めたという。

韓国メディアが注目しているのは日本人の科学分野での受賞者が22人もいることで、<韓国人の受賞は金大中元大統領の平和賞だけで、自然科学分野での受賞はない。(略)各紙の社説は「世界が賛辞を贈る日本の科学技術の底力を前に、韓国の現実はみすぼらしい」(東亜日報)「日本の受賞歴がまぶしい」(ハンギョレ紙)

「韓国はノーベル賞シーズンになると委縮する。受賞どころか候補リストにも挙がっていない。いつまで隣の祭りを羨ましがっているだけか」(中央日報)と自虐的>でさえあり、<韓国の研究開発費が国内総生産(GDP)の4.15%を占め世界のトップ水準である点を指摘。にもかかわらず、自然科学分野で受賞がないことを問題視している。

「韓国科学界の風土に問題がある。短期的な成果を重視し、政府の支援金は2~3年内に目に見える成果が期待できる分野を選び分散投資。成果を立証する研究だけが量産されている」(朝鮮日報)。「日本のように長期間の集中投資をし、研究者が自らテーマを決めるようにする風土が必要だ」(中央日報)と目先の利益にとらわれる自国の風潮を戒めている>という。

日本の現状はどうなっているか。
平成27年末、理化学研究所が合成した原子番号113番目の元素が、国際学会で新元素として認定された。理研には新元素の名称と元素記号を提案する権利(命名権)が与えられ、日本を象徴する「ニホニウム」という名称が、平成28年11月末に元素周期表に記載された。

物質の性質や相互作用を探求する科学の基礎となる構成要素が元素である。自然科学における人類の知の集大成の一つといえる周期表に日本初の元素が載ることは、日本の科学技術の金字塔といってよい。

研究チームを率いた森田浩介氏は名称案の発表で、「研究が日本国民の力で支えられていることへの感謝を、日本の国名を使うことによって表現したかった」と語った。

113番元素は、理研と米国・ロシアの合同チームがそれぞれ発見を主張し、約10年前から審査が続いていた。理研の発表は米露の主張より遅く、合成回数も少ないため不利が伝えられていたが、最終的に実験及びデータの「精度の高さ」で米露に競り勝った。ここでは、日本は一番手の栄誉をめざしたのである。

理研は、加速器を使って原子番号30番の亜鉛の原子核を83番のビスマスに高速で衝突させ、113番元素を合成した。一個の合成に百兆回も原子核を衝突させる必要があったという。細かい技術論は措(お)くが、とにかく研究チームは途方もない努力を重ねた。

研究チームの要求に応じて精密な加速器や観測機器を製造した民間の技術力の高さもある。東日本大震災では電力不足に陥ったが、チームの熱意にほだされた他の研究者が電力を譲ってくれた。非常用電源で実験が継続できたという挿話(そうわ)もある。目先の成果だけでなく、基礎研究に打ち込むことを許容する理研の伝統もあった。

日本は過去に二度、新元素の発見を逸している。明治41年(1908年)、小川正孝博士がトリアニトという鉱石から43番を発見したとして「ニッポニウム」と命名したが、のちに別の元素と判明して周期表から削除された。

昭和15年(1940年)には、理研の仁科芳雄博士が93番の存在を加速器実験で示したが、検出には至らなかった。理研の加速器は大東亜戦争後、原爆製造用と見なしたGHQによって、破壊され、日本の原子核研究は大幅に遅れた。

今回の森田氏らによる113番の発見は、そうした先輩研究者の苦闘の後を追って百年越しに達成したものである。ここには日本人の長いストーリーがある。そして、それは続いていく。

<仁科研究室は実験装置を手作りして、最高の成果を出すのが伝統だった。その精神を受け継いだ森田氏。初の新元素を手作りの装置で実現させた。「尊敬する仁科先生が追い掛けた夢をかなえることができて、うれしい」と話す。

森田氏が長年続けてきた初詣(はつもうで)の賽銭(さいせん)は113円。「今年はこれが最後かと思うと実に感慨深かった」。チームはもっと難しい120番の発見を次の目標に掲げている。共に歩んだ森本氏(分析を担当した森本幸司氏)は元旦、理研近くの神社で120円を投げ入れ、新たな闘志を燃やした>(平成28年1月21日付『産経新聞』)

この記事を読みながら、慶応年間に生まれた俳人、村上鬼城の「生きかはり 死にかはりして 打つ田かな」という句を思い出した。

稲は一年草である。一年以内に発芽、成長、開花、結実を完了して枯れ死するが、そうやって生まれ代わり死に代わって命は、確実に次代にリレーされてゆく。先祖代々の田圃(たんぼ)も、自分の命も、実は自分のものであって自分一個のものではない。

連綿と続く命の流れを感じさせる句だが、ここに日本人の価値観、人生観、自然観がある。現代の日本人もこれを信じていることは、小川正孝博士、仁科芳雄博士の思いがしっかり引き継がれ、大きく結実したことが証(あか)ていると私は思う。

---owari---

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。