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日本人の「情緒」を込めて開発されたスーパーコンピュータ

2019年04月22日 | 日本
コンピュータ技術の世界でも、「新しい日本人」が活躍している。
齊藤元章著『エクサスケールの衝撃――次世代スーパーコンピュータが壮大な新世界の扉を開く』(PHP研究所)という本は通常の単行本より大判で、六百ページ近い大部の本である。

本の帯には、<「エクサスケール・コンピューティング」によって、すべてが変わる>と大書されている。エクサスケールとは単位のことで、簡単にいえばスーパーコンピュータ「京(けい)」の百倍である。  

過去にスーパーコンピュータ(スパコン)のランキングで世界第一位に輝いた「京」の百倍の演算処理能力を持ったコンピュータが「エクサスケール・コンピューティング」と呼ばれるらしい。

では、その「エクサスケール・コンピューティング」が実現すると、何が変わるのか。難しい説明を省いて列挙すると、こうなる。

・世界のエネルギー問題、食糧問題が解決する
・衣食住が完全にフリー化する
・「生活のために働く必要がない社会」が到来する
・「老化」から解放され、「不老」の体を手に入れられる

まるでドラえもんの世界の話で、にわかには信じがたいかもしれない。私も当初は「本当か?」と思ったが、うなずきながら読み進めることができた。

インターネットでも多くの読者がこの本に衝撃を受けたようで、ある読者は、こんな感想を述べていた。「億単位の大量データを並列計算で瞬時に学習するエンジンが至るところで作動しはじめるようになれば、人の実行スピードがボトルネックになるので、人を介在(かいざい)させないほうがいいし、人がサービスを実行する意義がなくなる。

一方で、仕事がなくなることを恐れる話が出るが、すべてがフリー化してしまえば、働いてその対価を得る必要もなくなる。そして、計算機の中で、重大な病気が分子レベルで解明され、不老の体を得られるならば、悪いことではないと思えてくる」

昨今、巷(ちまた)で聞かれるAI(人工知能)の議論でも、「人間の仕事が機械にとって代わられて失業し、稼ぎ場がなくなるのではないか」と心配する声もあるが、それは狭い見方だと思う。

そのような環境になれば、「時間がたっぷりあるなかで、これから何にチャレンジしようか」と考えてもいいし、おそらく機械にはとって代わられない文化・芸術の分野で自分の可能性を試してみるのも楽しい。

大阪大学名誉教授の猪木武徳氏が平成28年10月6日付『産経新聞』の「正論」欄(「AIだけで社会は成り立たない」)で書いたことには、一つのヒントが示されている。

<例えば、AIに小説を書かせるという試みがあった。優れた小説というのが「新しい人間像」の創造、という点にあるとすれば、AIが真の文学を生み出すことはないだろう。既存の小説の主人公に似せた人物造形に終始することはできても、人間の謎や知られざる真実を浮かび上がらせることはできない。AIは自分自身が知らないことを「発見」できないのではないか>

私なりの言い方をすれば、AIには「情緒」がない。その点、日本人は世界でも有数の「情緒」の持ち主である。だから、エクサスケール・コンピューティングやAIの時代に、豊かで幸せな人生を送れると私は確信している。

実は先述の『エクサスケールの衝撃』を読んで最も感心したのは、著者の齊藤元章氏が、医学博士でありコンピュータ技術開発者でありながら、“技術秀才”ではなく、“情緒の人”だと感じたからである。

齊藤氏は1990年代後半、米国シリコンバレーに医療系システムおよび次世代診断開発法人を創業したが、東日本大震災を機に、海外での研究開発実験と事業経験を日本の復興に活かすために拠点を日本に戻す。そして2015年の世界スパコンランキング「Green500」では、開発したスパコンが世界第1位~3位を独占している。

著書の中で齊藤氏は、こう語る。
<我々日本人こそが、次世代スーパーコンピュータの積極的開発で世界を牽引(けんいん)し、そしてその成果をまずは日本においてかたちにし、その次には、その恩恵を世界中のあらゆる国々に遍(あまね)く行き渡らせることが必要であると考えている>

齊藤氏が開発するスーパーコンピュータには、日本人の「情緒」が込められている。

---owari---
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