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もっと働けば友人が増える

2021年07月23日 | 政治・経済
もう一つの発想転換は、「いま以上に働く」ということである。日本人はもともと働くことが好きである。生活のためというのは基本だが、それ以上に、職場に行けば多少嫌な上司がいても、仲間がいる。仕事のやり甲斐や達成感もある。

日本には、「働くと友人が増える」というメリットがあって、仕事帰りの一杯で仲間と疲れを癒(い)やし、連帯感を確認できる。だから給料に多少の不満があっても、勤勉に働いてきた。

その職を失ってしまえば、たいていの日本人は生活の基礎だけでなく生き甲斐も失ってしまう。
日本人とキリスト教圏の欧米人との間では、「働く」ことの意味がまったく異なる。欧米で「働く」とは、旧約聖書にあるように「神から科された罰」である。

エデンの園で神から「これだけは食べてはいけない」といわれていたリンゴをアダムとイヴが食べてしまった。神は怒って二人をエデンの園から追放し、「これからのちアダムは額に汗して働け。イヴは赤ん坊を産め」と二つの罰が科された。「働く」ことと「産む」ことは、楽園追放の罰だったのである。

だから労働は苦役でしかなく、「夕方五時になったら仕事は終わりにして、あとはプライベートな生活を楽しむ。また定年後は働かずに優雅な老後を過ごす。できればアーリー・リタイア(早期の隠居)をしたい」というのが常識となっている。

欧米と日本の労働観は、もともとこのように大きく違っていた。それが戦後民主主義(基本的人権や文化的生活)とともにキリスト教的な労働観が入ってきて、それを真に受けた日教組や大新聞が崇洋媚外(すうようびがい)(西洋を崇拝し、外国にこびる)の感覚で教化し広めたので、「労働=苦役」という欧米的な労働観が当たり前のようになってきた。

実際、日本人は以前よりも働かなくなった。年間の総労働時間は1990年代初めに2000時間を割って以後、年々少なくなり、いまや1730時間(2010年、経済協力開発機構<OECD>調査)である。

この数字はフランスやドイツなどヨーロッパ諸国よりも高いものの、韓国(2193時間)やアメリカ(1778時間)より低くなっている。
*2019年時点:日本(1644時間)アメリカ(1779時間)フランス(1505時間)ドイツ(1386時間)韓国(1967時間)・・・OECD調査

日本人の労働時間の低下は、1980年代後半にアメリカなどから「日本人は働き過ぎである」と批判されたことを受け、1987(昭和62)年の「新・前川リポート」で年間の総労働時間を1800時間以内にすることを国際的に公約して以来のことである。「時短」の名のもとに労働時間の短縮が各企業に求められ、そのぶん「余暇を楽しむこと」とされた。

一つ指摘すると、OECDの調査はファースト・ジョブだけでセカンド・ジョブが含まれていない。欧米では、会社員でも土日や勤務時以外にはレストランやガードマンとして働く人が多い。実態としてはデータに表れる数字より長時間働いているから、一概に日本人のほうが働き者とはいえない。

それでも日本人の根本には、「働くことは生き甲斐で、楽しいことだ」という労働観がある。文化や伝統を意識すればなおさらであり、さらには若年層を中心にゲーム感覚で仕事を楽しむ日本人も出てきた。

年収1000万円ではなく500万円で自分の生活を考える生き方も、やり甲斐や生き甲斐を求めて「いま以上に働く」ことも、日本にはどちらもある。どちらの生き方を選ぶかはその人の価値観によるが、そうした選択が可能なところにまで日本は到達したのである。

ここでいえることは、日本は「静止経済」の時代でも生きていけるし、短期的に財政状況が厳しいので、「ここは何とか働いて稼いでくれ。税収を上げてくれ」となれば、それにも応じられる力があるということだ。肝心なのは、指導者が庶民に対して姑息な嘘をつかないことである。

(日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載)

---owari---
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