このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

日本の擬音語・擬態語は魔法の言葉

2016年09月11日 | 日本

東京で訪日した外国人に、テレビ局のインタビュアーが質問していた。

「日本語で好きな言葉ありますか?」と聞かれて、アメリカ人女性(23歳)は「擬音語・擬態語が好きです」と答えた。

 

例えば、「ポカポカ」とか、「カリカリ」とか、英語では同じような言葉はないが、日本語の擬音語・擬態語は言葉だけでなく、気持ちも入っていると感心していた。

おせんべいを食べたときの「パリパリィ~」には、音に気持ちが入っているので、すごく美味しく感じると言う。

 

フランスから来た若い女性は、好きな言葉は「用事」」と言いました。誰かと会わなくてはならない時に、他の人から誘われた場合、「用事があります」と言うだけで通じるので、とても簡単で便利だと言うのです。

 

フランスでは、「用事」に該当する言葉がないので、長々と説明しなければならないのです。「用事があります」と言って、断った場合でも、「また今度~」という便利な言葉もあるので、「また今度」はいつのことか分かりませんが、とても重宝しますと語っていました。

 

この「用事」や「また今度」という言葉は、擬音語や擬態語ではありませんが、日本語にはとても簡単に、かつ適切に表現できる言葉が多くつくられているのではないでしょうか。

その技の原点が、言葉の一字一句を無駄にしない短歌であったり、俳句だったのではないでしょうか。

 

擬音語や擬態語は世界では、オノマトペ(フランス語)と呼ばれています。

日常の表現に織り交ぜることで、物事の様子がより伝わりやすくなり、日本語には4500から5000語もあるとされています。日本語のオノマトペの数は欧米語や中国語の3倍から5倍も存在しています。

 

「擬音語」とは、物音や動物の鳴き声など、人間の発声器官以外のものから出た音を、人間の音声で模倣したものです。波の打ち寄せる音「ザブン」や、馬のいななき「ヒヒーン」がそれに当たります。

 

このような音を模倣するタイプのオノマトペは、実は、世界の多くの言語で指摘できます。耳に聞こえる音を、口から出す音で模倣するというのは、言語行動としてごく自然だからです。

 

ところが、「擬態語」、すなわち、あるものの様子や心の動きを、音に変換したものは、言ってみれば自然とは言えません。「音なきものに音を聞く」からです。なにか、禅問答のようでもあります。

 

体がひどく疲れ切って、まっすぐに立っていられない状況を考えてみましょう。その疲れた体から、「ふらふら」という音など聞こえてはきません。しかし、日本語では、「ふ」と「ら」という音を重ね合わせて、その状況を描写しているわけです。

 

これは、日本語を当たり前に使っている人びとにとっては体にしみついたごく普通のことなのですが、考えてみると、ずいぶん不思議なことをしているわけです。

 

この「擬態語」というタイプの言葉が、組織的に発達しているところが、日本語の大きな特徴のひとつです。日本語のほかに擬態語が発達している言語としては、韓国語を挙げることができます。

 

しかし、韓国語で「音なきものに音を聞く」場合は、日本語とは、また違うようです。たとえば、「パルパル」ですが、どんな状況を表していると思いますか? これは、お湯がぐらぐらと沸き立つ様子を表しています。

 

「お湯がパルパル沸いてるから」などと言われても、日本語の感覚だと、たいした温度ではないと思ってうっかり手を入れて、やけどしそうです。「音なきものに音を聞く」ときの、言語による音感覚の違いが見えてきそうです。

 

日本語の世界はオノマトペであふれています。たとえば、食べ物や化粧品、服飾品など、その魅力を五感に訴えたい商品の広告にはオノマトペを使った表現が多用されます。それは擬音や擬態語によって感覚に直接訴えるオノマトペに、表現しにくいものを伝える力があるからです。

 

複雑な説明や言葉に表しにくい気持ちを一瞬で伝わるように変換できる魔法の言葉がオノマトペなのかもしれません。

 

日本語のオノマトペは、100語に1つあります。日本語において、確固たる勢力を持っていると言ってよいのでしょう。ですから、もし、これがないと、大変なことになるわけです。

 

たとえば、急に胃が痛みだしたとします。オノマトペがあれば、「ずきずき」、「しくしく」、「きりきり」などを用いて、その痛みを表現し分けられます。しかし、もし、これらが使えなかったら、どうでしょう。

 

「きりきり」なら、〈細い針のようなもので刺すような痛みが何度も襲ってくる〉とか、〈とても細いヒモのようなもので強くしばり上げられるような〉などとも言えそうですが、たった4文字で言い表せるものなのに、そもそも長ったらしい。

 

だいたい、胃が痛くて苦しいのに、どうして、そんなことで、さらに苦しまなければならないのか、理不尽です。そう考えれば、オノマトペをもっと有効に活用して説明していったほうが、はるかによいと思えるのではないでしょうか。

 

日本語のオノマトペは、とても古くからあります。日本最古の文献に属する『古事記』(712年成立)から、『日本書紀』『万葉集』などといったよく知られた書物にも見つけられます。

 

たとえば、『古事記』には、その冒頭から、国を生み出そうと塩の海を鉾でかき回したときに、「こをろこをろ」という音を立てたという描写があります。また、『万葉集』にも、鼻水をすする音「びしびし」が載っています。オノマトペは、日本語の歴史とともに存在しているわけです。

 

なぜ日本語には、オノマトペが発達してきたのでしょうか。これには、さまざまな説明が考えられますが、その一つとして、日本語が、深い情感を表わす語を好むという特質を考えることができるのではないでしょうか。

 

古くは、「あはれ」「をかし」から始まり、「わび」「さび」「粋(いき)」にいたるまで、日本語(日本人)は、深く心にしみわたるような情感を表わす語を好んできたという事情があります。

 

オノマトペは、実感を伝える力の大きい言葉です。手触りを表わすオノマトペを、「さらさら」「ざらざら」「つるつる」「ぬるぬる」「ねっとり」などと並べてみますと、これらのオノマトペを使っただけで、感触が直接的に伝わってきます。どんなに普通の言葉を論理的に組み合わせても、これらの4文字にはかないません。

 

ところが実は、日本語のオノマトペに大いに悩まされている人々がいます。日本語を学ぶ外国人と日本語を他の言語に翻訳する人たちです。日本語の相当うまい外国人でも、オノマトペは苦手です。

 

日本語の達者な留学生が腹痛で医者に行ったら、「しくしく痛むの? きりきり痛むの?」 と聞かれてとても困ったと訴えます。「しくしく」と「きりきり」の意味の違いが全く分からなかったそうです。

 

オノマトペは、発音の響きが意味に直結しています。だから、日本語の中で育った人には感覚的に分かる言葉なのですが、そうでない環境に育った人には意味の類推がきかない。そこで、最近では外国人のための「擬音語・擬態語辞典」が出ています。

 

また、翻訳者たちも嘆いています。日本語を英語や中国語に翻訳しようとすると、日本のオノマトペに該当する語が存在しないことが多い。そこで、仕方なくそれに近い普通の語に置き換えて翻訳するのですが、そうすると日本のオノマトペの持っていた情緒が失われてしまうと言います。

日本語のオノマトペは、翻訳者泣かせの言葉なのです。

 

一方、訪日外国人も感心する日本のオノマトペは歴史的に、日本人が深く心にしみわたるような情感を表わす語を好んできたという事情が背景にあるのではないでしょうか。

 

そして、そのベースとなったのは日本の豊かな自然であり、多様で繊細な環境が生みだした賜物だといえないでしょうか。日本の神々に感謝申し上げます。

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 江戸の大火が欧州より百年も... | トップ | 「いってらっしゃい」は素敵... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事