(「宗教的戒律」と「現世の法律」との関係)
宗教にもいろいろあり、イスラム教における自由の概念(がいねん)には、多少違うものがあるかもしれません。
例えば、仏教にも戒律(かいりつ)はありますが、もう少し自由度が高いと思われます。
一方、イスラム教においては、「宗教的戒律」と「現世(げんせ)における法律および刑罰(けいばつ)」との関連性がかなり密接であるため、これが宗教的なものにとどまっているのか、あるいは、それ以上踏み込んでいるかについての判断に難しいところがあるでしょう。
それは、ちょうど、中国の法家(ほうか)思想の「法律による統治」という考え方に似たところまで入り込んでいるかもしれません。
また、経済制度についてまで意見を言っているところもあるでしょう。
例えば、イスラム教には「利子を取ってはいけない」というところまで入り込んでいる面があるために、利子の概念がありません。
そこで、利子に当たる部分を別のかたちで考えて、何らかの優遇(ゆうぐう)が生じるような取引形態を編み出したりしているのです。
つまり、「神は利子を取ることを禁じられた」という教えがあるから、そのようになるわけです。
このように、「社会構造をどのように考えていくか」ということについては、いろいろな要素や先入観、あるいは、思想や哲学の影響を受けていますし、過去、さまざまな文明実験が重ねられてきました。――この章は終わりです。
---owari---
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