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資本主義は、略奪主義に戻る③「資本主義、これからの四つの選択肢」

2018年02月16日 | 政治・経済

略奪するとき、一番良いのは外国へ行って略奪することである。外国で略奪するのなら、国内の人は支持してくれる。それでかつては日本叩きをした。

 

その後はイラクを叩き、中国を叩き、北朝鮮叩きが続いており、外国を叩いていればアメリカは団結が保たれるが、しかしそんなことを続けなければならないとは情けない国である。

 

外国は「いつ叩かれるか分からない。次は自分かもしれない」と思うから、反米感情が高まり、アメリカは孤立している。

 

以上をまとめて言えば、「自由資本主義と民主主義」も、全体主義、共産主義と同じく敗北したと思う。少なくとも資本主義は最終勝利ではないのであって、ではもっと良いものにこれから進んでいくのか、あるいは元へ戻るのか?

 

正確に言えば、四つのシナリオがある。

①資本主義はどんどん進んでもっと良いものになる、②止まって続く、③戻る。その戻る先は昔の野蛮な略奪主義、④戻っていく先はもっと昔の別の何か(たとえば共同体主義など)。

 

資本主義はもっと良いものへは進まないと考える。現にそうなっている。

そして、戻っていく先は略奪主義だと考えている。

 

資本主義のそもそもの始まりは略奪で、そのことを思い出して欲しい。「戻らない」というのが進歩主義で、歴史は進歩していくという考えだが、それに対して「進歩なんかしていない」という考えもあり、これを歴史観と呼ぶ。そのどちらが正しいか?それはこれから現実が教えてくれるだろうが、資本主義は略奪主義に戻るという予測に私は一票を投じる。

 

現に、アメリカがイラク戦争でやったことは、外国を略奪することであった。もちろん口ではそう言わない。「民主化する」「アメリカナイズしたほうがあなたは幸せですよ」と言うが、しかしそれは本当に結構なことか、それとも腹黒いと思うべきか。

どちらが正しいかを教えてくれる事例が2000年以降にずいぶん増えた。

 

歴史の比喩として参考になるのは、ローマである。トランプ大統領以前のアメリカはカルタゴとの戦争に勝ったときのローマと、そっくりではないかと思う(カルタゴは現在の平和ボケした日本だと言われている)。

 

イラク攻撃が始まる直前、あるアメリカの外交評論家は「その昔、パックス・ロマーナで世界は幸せだった。これからはパックス・アメリカーナで世界は幸せになる」と言った。その人は、アメリカがイラクと戦争をすると、楽勝してその結果、中近東はアメリカナイズされ、より幸せな生活になってアラブ人は感謝すると言った。

 

しかしその後、イラクの混迷でテロが頻発すると、今度はアメリカの戦争に懐疑的な意見が増えた。もう少し本格的な評論をしてもらいたいものである。日本はアメリカの何を支持し、何を支持しないのかを言うべきであって、勝てば官軍――勝ち馬に乗ろう――負ければ賊軍――距離をあけよう・・・・・では情けない。

 

20037月、アメリカはフセインの息子ウダイとクサイの所在を突き止めると、直ちにピンポイント攻撃をして二人を殺した。戦争中ならそのやり方も許されるが、ブッシュが声明したとおり「戦争はもう終わっている」のだから、降伏勧告とか出頭命令とか催涙ガスとかの手続きがないことにアラブの人は不信の念を抱いた。

 

「凶暴なアメリカ」「許さないアメリカ」を文明・文化的に見下すことになった。アラブには「許す」思想があるという。その後フセインのときは殺さずに拘束したが、しかし、疲労困憊した姿を公表したのはよくない。礼儀に欠けている。人道にももとっていると思われた。結局、今のアメリカには寛容の精神がないと思われており、そのためアラブの感化には失敗しているのである。

 

もしも歴史に学べというのなら、対抗勢力あるいはバランス勢力が亡くなったら、重石が取れて本性をむき出しにする国とそうでない国があると言うべきである。

 

では本性は何だろうか?

それは略奪主義。

 

弱肉強食は世の習いで、人間だって動物の一つである。動物の世界を見れば、弱肉強食になっている。「いやいや、そうとは限らない。動物でも親子は仲よく暮らしている。オオカミは群れをつくって、群れの中では仲よく暮らしている」と言う人もいるが、そのとおり、共同体は所々にはある。しかしそれは、「ある条件のもと」では仲よく暮らすという話である。

 

国際会議で「弱肉強食が基本である。略奪が基本である。だが、例外的に平和共存のときがある。相互扶助のつながりもある。その場合について研究し討議しよう」と言うと、日本ではそんな議論自体が友好親善に反するとして許されない空気があるが、アメリカ、ロシア、中国では、その場はともかく後でこっそり来て、「そのとおりです。賛成です」「今後はそちらと交流したい」と言う人がいる。

 

弱肉強食にならない場合は四つぐらい思いつく。

まず第一はパワーが対等なとき(どちらが強か弱かハッキリしないときも同様)。米ソ冷戦がそうだった。チェック・アンド・バランスが働くので、偏らない。

 

それから第二番目は、お互いに戦う必要がない場合である。たとえば共同体をつくって、両方がその内部になったとき。だから幕末に天皇と徳川幕府が戦うかどうかというとき、「いや、我々は日の本という国の一部だ。その中で争っていると、イギリス、フランス、ロシア、アメリカの植民地にされてしまう。それなら、どちらが上になっても下になってもいいから団結しよう。我々は共同体だ」というのが日本の選択だった。共同体という意識が芽生えれば、内部の弱肉強食は止まる。

 

国連をつくろうというのも、同じである。地球はみんな共同体で、ひとりだけ勝手なことをしないでやっていこう、あるいはさせないようにしようというのが第二次世界大戦が終わった時の人類の気持ちで、「これでもう永久平和だ」とそのときは思ったが、しかし、60年も経つとまた今のようになってくる。これはもう人間のサガだから仕方がない。地球共同体をつくらなければいけないはずだが、国連の力はむしろ弱まっている。

 

第三番目は満腹の時で、当たり前のことだが、具体例を挙げればアメリカは第二次世界大戦が終わったときは満腹状態だった。世界のGDP50%以上を押さえていたから、残りを食べてもあまり意味がない。だから非常に紳士的なアメリカだった。ところがその後、日本がどんどん発展したことも影響して、今やアメリカのGDPは世界の25%にまで下がった。そうなると、また何か食べたくなるのは当然かもしれない。

 

それから第四番目は、より巧妙な略奪が可能なときで、軍事力に訴えるような乱暴はしなくても、こっそりスッと略奪ができるときは弱肉強食には見えない。噛みついたりはせず、ストローでチューチューと吸う。蚊はくちばしの先から麻酔薬をちょっと入れておいて、それから血を吸うそうだが、だから刺されたほうは気がつかない。それと同じで、そんなやり方が成功しているときは弱肉強食には見えない。

 

以上四つのどれかが当てはまれば、アメリカ及びアメリカが主導する資本主義は略奪をしないが、しかし、今はいずれも当てはまらないのだから、資本主義はその本質たる略奪に戻るのである。

 

このシリーズはこれで終わりです。

ここまでお読みいただき有難うございました。

 

---owari---

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