明治の人は偉かったと思う。独立精神があった、その結果、日本は世界中から良いところを取ってきて、新しい日本をつくった。それが今では普通の教養になっている。だから、アリストテレスを読んでも、カントを読んでも、トーマス・モアの教えを読んでもどこかで聞いたような話だなと思う。今さら勉強しなくても知っている。
お釈迦様、孔子、孟子にいたっては吸収に千年以上の歴史があるから、なぜだか知らない間にその教えを知っている。日本人全体がそういうセンスの持ち主になっているということは、世界七不思議の一つで、やはり先人に深く感謝をしなければいけない。
しかし、最近の日本は、そういう独立精神が消えてしまった。
英語ができたら、もうそれで済んだと思っているような人が言論界の舞台にいる。英米の大学で習ったことをそのまましゃべっている。学生ならそれでもいいが、独立した大人がするようなことではない。「日本人のほうが賢いですよ」と言いたいことがたくさんある。
縷々述べてきたように、日本にはすでに何でもある。あとはそれを、どのように用いるかだけ。
そしてそのためには、精神の自由と「意」の独立が必要である。
すなわち、まず日本の中で考えるのである。すると日本スタンダードができる。日本の中では日本スタンダードが一番良い。当たり前のことである。世界に通用しないという人がいるが、決してそんなことはない。世界はイギリスとアメリカだけではないのだから、日本と事情を同じくする国には自然に広がる。事情を同じくするとは、例えば共同体精神があることである。
独立精神の一例を挙げれば、経済学はそもそも200年前フランスやイギリスで誕生したもので、それを今日に当てはめようとしても無理がある。そのうえアメリカでも20~30年、新しい経済学はできていない。つまり、みんな旧製品。
日本は「日本の経済学」をつくらないといけない。そもそもデフレを説明する経済学はアメリカに探してもないし、「デフレでも幸せ」だという現在の日本は世界の最先端なのだから、そんなものの説明を過去の経済学の主流に探してもあるはずがない。
むしろ日本人の一般常識にならあるから、「日本の経済学」をつくろうと考え、日本人の常識やセンスを理論化したり言語化したりしようと、心を入れ替えれば良いのである。
それが独立精神だが、専門家はやろうとしない。
著名な外交評論家の意見は全部ワシントン情報だ。想像するに、彼はワシントン、ロンドンその他のありとあらゆる文字になった情報は読んでいる。友達もいるからたくさん意見交換をしている。それゆえ自分は国際情勢分析家として日本一だと思っているのだろう。しかし、手づくりの意見を聞くと判断ができないのだ。情報分析官とはその程度のことである。
一橋大学の元学長である都留重人さんは「日本には経済学者がいない。経済学学者ばかりいる」とおっしゃったが大いに同感である。
結局、独立精神がないということである。独立しようという精神、すなわち「意」があれば、誰でも自分の意見を何か思いつくはずなのだから。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます